第178話 エーテルの前衛
しばらくの間、二人はそのまま静かに抱き合っていた。
セレンの胸元に頬を寄せて落ち着きを取り戻してくると、先ほど彼から聞かされた悪夢のことが、ナナセの中でも少しずつ現実味を帯びて感じられてくる。
夢魔法は人の心を揺さぶる魔法だ。
自力で解呪して現実に戻ってこられたからといって、身体や精神に何の影響も残らないとは限らない。
人によっては、術が解けたあともしばらくその苛烈な悪夢に悩まされたり、目に見えない精神的な負担を引きずったりすることも珍しくないのだ。
ナナセはふと、セレンの胸から顔を上げた。
「……」
改めて、目の前にいるセレンの顔をじっと見つめる。
肌の顔色、呼吸の乱れ、瞳の些細な動き。
彼の身体に変なところや異常が残っていないか、観察するように丹念に見つめ続けた。
「ん?」
セレンが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「……魔法、大丈夫だったのかなって……」
ナナセが本当に心配そうな眼差しで尋ねる。
「ああ」
セレンはナナセの視線に気づき、少しだけ苦笑した。
「俺はその辺、慣れてるから平気」
「……慣れてる?」
ナナセが驚いたように目を瞬いた。
「うん」
セレンは、ナナセの首にかかるハチドリのペンダントにそっと触れながら、何でもない世間話のように、あっさりと答えた。
「フィリスたちと五人で動いてた頃、俺って基本近接だからさ。どうしても、こういう魔法当たりやすかったんだよね」
前線で刃を交えるセレンは、どうしても敵との距離が近くなる。
そのぶん、相手の仕掛けてくる特殊な魔法の射程範囲に入る機会も必然的に多くなるのだ。
「最初は普通に参ってたけど、何度かくらってるうちに、夢の中でも『あ、これ夢だな』って俯瞰できるようになった」
「……」
セレンはそう言って、悪びれる様子もなく少し笑ってみせた。
あまりにも過酷な体験をあっさりと言ってのけるものだから、ナナセは余計に言葉を失い戸惑ってしまった。
「……そんなに、何度も……?」
「まあね」
「怖くは、ないんですか」
「んー……」
セレンは顎に手を当て、少しだけ考える仕草を見せる。
「夢の内容によるかな。今回はちょっと怖かった」
その言葉に、ナナセの表情が僅かに影を落として曇る。
先ほどセレンが語った、自分が死ぬという悪夢の話を思い出したのかもしれない。
彼女の表情の変化に気付いたセレンが、なだめるように少しだけ笑ってナナセの頭を優しく撫でた。
「でも大丈夫だよ」
「……」
「ヒヨリ辺りが当たるともっとやばいから」
「え」
「戻ってきてもずっと泣いてたり、しばらくぼーっとしてたり。だから俺でよかった」
「……」
仲間の様子を引き合いに出され、ナナセはますます複雑そうな顔になった。
セレンはそれを見て、困ったようにふっと笑った。
「そんな顔しないで。俺はもう慣れてる側だから」
「……でも」
ナナセは胸の奥で息を詰まらせ、小さく呟く。
「セレンさんが、慣れてしまうくらい……」
そこまで言いかけて、ナナセはぎゅっと言葉を飲み込み、口を閉ざした。
どれほど何度も危険な目に遭ってきたのか。
それほどの苦痛を重ねておきながら、彼はそれを「慣れた」と笑って何事もなかったかのように話している。
自分がこれまで知らなかった、五人で戦っていた頃のセレンの過酷な過去が、ほんの少しだけ垣間見えた気がした。
セレンはそんな思い詰めた表情のナナセを、静かに見つめる。
「……ナナセ」
「はい」
「心配してくれてる?」
「……はい」
素直で温かい返事だった。
セレンは嬉しそうに、少しだけ目を細める。
「そっか」
そう言って、膝の上にいるナナセを抱く腕に、そっと力を込めた。
「じゃあ、ありがと」
そのセレンの声は、先ほどまでのどの言葉よりもずっと穏やかに、部屋の中に響いていた。




