第174話 隠された震え
ナナセを静かに見つめるセレン。
彼女の身体は、まだ微かに小さく震えていた。
「ナナセ」
セレンが心配そうに、もう一度問いかけようとした、まさにその時だった。
――ゴォン。
森の敷地全体に、戦いの終わりを告げる大きな鐘の音が重々しく響き渡った。
それと同時に、先ほどまで周囲を覆い尽くしていたあれほど濃かった霧が、嘘のように一気に薄れていく。
立ち並ぶ木々のずっと向こうまで見通せるほど、一瞬にして視界が開けていった。
「……終わった?」
セレンが音のした方角へと顔を上げる。
遠くのエリアから、勝利を祝う大きな歓声が沸き上がった。
森の奥では、アルカのギルド紋章旗が高く掲げられているのが見える。
アスレイたちが率いる主力部隊が、無事に相手ギルドの隊長を戦闘不能へと追い込んだらしい。
「……一旦、出よ」
セレンが隣のナナセへ落ち着いた声で声をかける。
ナナセはセレンを見上げ、小さく静かに頷いた。
そして、元の人の姿のままで歩くのではなく、ふわりと魔力を通して身体を小さく縮める。
そのままセレンの外套の、右胸のポケットへすっと身を隠すように飛びこんだ。
「……ナナセ?」
返事のないナナセの様子に、セレンは何も言わなかった。
ただ、ポケットの中に確かに彼女がいることを確かめるように、そっと優しく手を添える。
そうしてセレンは、森の出口に向かって静かに歩き始めた。
しばらく歩くと、合流地点で待っていたフィリスたちと巡り会った。
「どこに居たんだよ、セレン」
追いついてきたナギが、呆れたような声をかけてくる。
「夢食らってた」
「うわ、あの人?」
ナギが何かに納得したように、思い出して嫌そうな顔をしかめる。
「俺も一回引っかけられた。あれ、地味に面倒なんだよな」
「こっちを狙ってきてくれたなら、アスレイ的には良かったんじゃない?」
フィリスが軽やかに笑う。
「主力から戦力を引き離せたわけだし」
「結果的にはね」
ソラトも静かに頷いた。
そんな仲間の会話を耳に流しながら、セレンは一人黙ったまま歩いていた。
セレンの意識は、ずっと胸元にあるポケットのぬくもりに向いている。
さっきから、ナナセが全く動かない。
いつもなら、ポケットの中から少し顔を出して、会話の様子を伺ったり、周囲を眺めたりする。
けれど今は、その気配すら驚くほど小さかった。
外套の内側で、小さな身体をきゅっと丸めて縮めたまま、じっと静かに耐えている。
セレンは歩調を緩めることなく、もう一度ポケットへそっと手を添えた。
「……ナナセ」
他人に聞こえないほどの小さな声で呼ぶ。
けれど、返事は返ってこない。
ほんのわずかに、ポケットの中で彼女の身体が揺れた気がした。
それだけだった。
セレンは眉間に深くシワを寄せる。
自分が取り残されていた間、あの森の中で一体何があったのか。
夢魔法の拘束から強引に戻った時、ナナセは一人で冷たい地面に座り込んでいた。
そして、酷く震えていた。
何かがあったのかを聞こうとしたところで戦終了の鐘が鳴り響いてしまい、確かめられないままになってしまっていた。
「……」
セレンは前を見据えたまま、胸の奥で静かに息を吐き出す。
今は周りに人が多すぎる。
ここで無理に事情を聞き出すつもりはなかった。
けれど、ポケットの中で小さくなって耐えているナナセを、このまま放置しておくことなどできるはずもなかった。
せめて森を出るまでの間。
自分の側に間違いなく彼女がいることだけは、何度でも確かめるように。
セレンは外套のポケットを、愛おしむようにそっと握りしめたのだった。




