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星を抱くひと  作者: 飴目
第7章

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第173話 本能の呪縛

濃い霧の中、一人で立ち尽くしているナナセを見て、カネルは警戒するように周囲の木々へと視線を巡らせた。


「……一人か?」


霧の向こうの気配を確かめながら、カネルはゆっくりとした足取りで近づいてくる。

その周囲には、使役妖精であるアザミたちの姿も飛んでいた。

かつてナナセが、第五部隊にいた頃に何度も何度も目にしてきた光景だった。


離れなくては。

全身の細胞と身体が、そう強く訴えかけていた。

考えるよりも先に、ナナセの背の羽が大きく広がる。


この場から飛び立とうとした、まさにその瞬間――。


「動くな」


ばし、と後ろから強く羽を掴まれた。


「……っう……」


息が詰まり、全身の身体がカチリと引きつるように強張る。


「なぜ答えない?」


頭上から、低く冷たい声が落ちてくる。


答えなければ。そう頭では思った。

けれど、その言葉を聞いた瞬間にはもう、ナナセの身体は本人の意思とはまったく関係なく、石のように固まって止まっていた。


指一本すら動かすことができない。

羽を強く掴まれているせいだった。かつて刻まれた使役妖精としての本能と主従の記憶が、ナナセの身体の自由を完全に奪い去っていた。


カネルはそんなナナセの固直した様子を見て、ふっと蔑(さげす)むように笑った。


「今も昔も、ナナセは本当に、本能に抗えないな」


掴んでいた繊細な羽を、まじまじと眺める。


「所詮は使役妖精ってところか。あいつにもそうやって従っているのか?」


「……」


ナナセは何も言えない。

恐怖と身体の拒絶反応で、言葉を一つ返すことすらできなかった。


「……そのまま居ろ」


それだけを冷淡に告げると、カネルは興味を失ったようにあっさりと手を離し、そのまま部隊を率いて霧の奥へと歩き去っていった。


「……」


使役妖精のアザミも、少し離れた所からナナセのことを見つめていた。


この危険な戦場の真ん中で、動けないまま放置されるナナセの姿を見て、さすがに動揺したような複雑な顔をしている。

けれど、アザミにはどうすることもできなかった。


やがてアザミたちの小さな姿も、深い霧の中へと消えていった。


ナナセだけが、静まり返った戦場の真ん中に一人取り残された。


動かない。


逃げ出すことすらできない。


周囲の霧の向こうからは、不穏ないくつもの気配が確実に近づいてきている。


先ほどセレンに夢魔法を仕掛けてきた、敵ギルドの隊員たちだろう。

こちらへ向かって近づいてくる敵の魔力だけが、肌を通してはっきりと伝わってくる。


そして、攻撃の魔法がこちらへ放たれる独特の気配。


「……っ」


ナナセはぎゅっと、強く目を閉じた。


本能の縛りで身体がまるで動かない。


自分を守ることも。

この場から逃げ出すことも。


何もできない。


絶望が胸を満たそうとした、その時だった――。


「……ナナセ!」


聞き慣れた愛おしい声が、静寂と濃い霧を力強く切り裂いた。


次の瞬間――。

目の前で強烈な魔法の衝撃音が走り、セレンが手に握ったナイフでその攻撃を鮮やかに弾き飛ばした。


「……!」


ナナセが勢いよく目を開ける。


そこに、セレンが立っていた。


「っ……はぁ、どうした?」


セレンは驚いたように、胸を弾ませながらナナセを見下ろす。


戦場の真ん中で一人膝をつき、座り込んでいるナナセの姿が、彼にとってもよほど予想外だったのだろう。


「とりあえず……立てる?」


セレンの額には、びっしりと汗が滲んでいた。


肩で息が上がり、整っていた髪も乱れている。


いつもの冷静で余裕のある表情ではない。

誰が見てもわかるほど、強く焦っていた。


「ごめん、遅くなって」


セレンはそう言いながら、ナナセへ向かって優しく手を伸ばす。


自分を拘束し閉じ込めていた夢魔法を強引に解呪し、なりふり構わずナナセの気配を探し回っていたのだ。


ようやく、見つけた。

その安堵と焦りの感情が、セレンの表情からはっきりと読み取れた。


ナナセは、目の前のその顔をただじっと見つめた。

そして、セレンが来てくれたことで、ようやく自分の身体に自由が戻り、動くことに気付く。


「せ、セレンさん……」


慌ててその場から立ち上がる。


「大丈夫ですか……?」


自分の置かれた状況よりも先に、セレンを気遣う言葉が口をついて出た。


セレンは一瞬、意外そうに目を丸くする。


「俺は、大丈夫だけど」


そう言って、セレンの手はすぐにナナセの華奢な肩へ伸びた。

本当にそこに彼女が無事でいるのかを確かめるように、そっと優しく触れる。


「ナナセは?」


「私は……」


ナナセはセレンの問いに答えようとする。


けれど、先ほどカネルに羽を強く掴まれた時の、あの冷たい恐怖の感覚が残っていて、ほんの少しだけ身体が小さく震えた。


セレンの鋭い目が、その微かな震えを見逃さなかった。


「……何があった?」


静かな、けれど底知れぬ響きを持った声だった。


周囲の戦場の喧騒の中でも、不思議なくらいはっきりとナナセの耳に届いていた。

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