第17話 温もりの中
ナナセはソファに座ったまま、改めて部屋の中を見渡した。
自分に割り当てられた無機質な部屋とは、ずいぶん違っている。
少しだけ物が多い。
机の上には任務の書類が積まれ、棚には本や道具類が雑然と並べられている。
決して几帳面に片付けられているわけではない。
けれど、そこには確かな生活感があった。
人間がここで息をし、暮らしている。
そんな当たり前の気配が、部屋そのものから伝わってくる。
「……」
ナナセは少しだけ背筋を伸ばした。
以前、カネルの部屋に置かれていたこともある。
けれど、セレンの部屋はそれとも雰囲気が大きく違っていた。
家具には重厚感があり、使われている木材も置かれている調度品も、どこか上質だ。
特別部隊というセレンの階級を考えれば当然なのかもしれない。
それでもナナセにとっては、少しだけ身が引き締まる。
ソファに座っているだけなのに、自分がここにいるのが場違いな気すらしていた。
そんなナナセの固さを横目で見ながら、セレンが立ち上がる。
「はい」
「……?」
ふわり。
ナナセの膝の上に、柔らかいブランケットがかけられた。
「寒かったら言って」
「……ありがとうございます」
「飲み物はあっち」
セレンが部屋の奥を指差す。
「好きなの飲んでいいよ」
ナナセが視線を向けると、キッチンから見える小さな棚の上に水やお茶のボトルが整然と置かれていた。
「それと、浴室は勝手に使って」
「……はい」
「タオルは洗面所」
「はい」
「何か足りなかったら言って」
「……分かりました」
一通り伝えるべきことを口にすると、セレンはそれ以上何も言わなかった。
自分の机へ戻り、椅子に腰を下ろすと、積まれていた書類を一枚手にとる。
「……」
カサリ、と紙をめくる静かな音。
ナナセはブランケットの端を指先で触った。柔らかく温かい。
それを膝の上で丁寧に掛け直す。
セレンはもう黙々と任務の書類を確認していた。
こちらを過剰に気にしている様子はない。
だからといって、無関心に放置されている感じもしない。
必要なことは説明した。あとは好きにしていい。
ただそれだけの、押しつけがましくない距離感。
ナナセはソファの背もたれにゆっくりと身体を預けた。
横へ視線を動かすと、机に向かうセレンの姿が見える。
落ち着いた深紅の髪。
静かな灰色の瞳。
無表情な横顔。
書類に目を通しながら、ときどきペンで短く何かを書き込んでいる。
「……」
ナナセはその姿をぼんやりと眺めていた。
自分の部屋では、何をしていいのか分からなかった。
横になって眠ることすら、恐くて習慣がなかった。
けれど――ここでは。
セレンは何も強制しない。何かを求めることもない。
ただ、自分の仕事をしている。
そして、その同じ空間に自分がいることを、当たり前のように許してくれている。
ナナセはブランケットを少しだけ引き上げた。
そして、ソファの上で身体を小さく丸める。
しばらくセレンの背中を見つめていると――。
重い鉄のようだった瞼が、ゆっくりと、けれど確実に重くなっていった。
◇
セレンが書類から顔を上げた。
ふと、部屋の隅のソファへ視線を遣う。
「……」
ナナセは眠っていた。
さっきまで大人しく起きていたはずなのに、いつの間にか目を閉じている。
身体を小さく丸め、静かで規則正やかな寝息を立てていた。
しばらく無言で見つめていると、ナナセが小さく身じろぎをして寝返りを打つ。
その拍子に、膝に掛けていたブランケットがずるりと床へ滑り落ちた。
セレンは静かに椅子から立ち上がる。
足音を立てないように歩き、奥の寝室へ向かった。
戻ってきたセレンの手には、少し厚手の毛布が抱えられていた。
ソファの前まで来ると、眠っているナナセを起こさないよう、慎重に毛布を広げる。
華奢な肩から足元までをすっぽりと包み込むように掛けた。
「……」
ナナセは起きない。
ただ、毛布の温もりが心地よかったのか、気持ちよさそうに身体を少しだけ縮めた。
セレンはその様子を見届けてから、落ちていたブランケットを拾い上げ、ソファの端へ畳んで置いた。
それから、しばらくの間、眠るナナセを見下ろす。
こうして眠っていると、普段の警戒心むき出しの姿よりずっと幼く見えた。
任務中に見せるあの引きつった緊張感もない。
何かに怯え、身構えるような気配もない。
ただ静かに、安心して眠っている。
「……おやすみ」
ポツリと、誰にも聞こえない声で呟く。
もちろん、返事はない。
セレンはそれ以上何もせず、再び静かに自分の机へ戻った。
椅子に座り、書類を手にとる。
けれど今度は――書類を追いながらも、時折柔らかくソファのほうへ視線を向けながら。
静かな夜は、二人の間をゆっくりと過ぎていった。




