第169話 自覚
しばらくして。
「そろそろ戻ろ」
セレンの静かな声に、ナナセはゆっくりとセレンを見上げた。
「はい」
淡い黄金色の光を羽にまとったまま、ナナセが小さく頷く。
セレンが手をとると、二人はどちらからともなく歩き出した。
満月の光が差し込む中庭を抜け、静まり返った夜の廊下を並んで歩いていく。
もう夜の空気には、夏の名残はほとんど残っていなかった。秋の気配を感じさせる少し冷えた風が、ふたりの中を静かに通り抜けていく。
それでも、繋ぎ合わされた手だけは、どこまでも温かかった。
部屋へ戻れば、あとはいつもと変わらない夜の時間が待っていた。
部屋の灯りを落とし、いつものように二人でベッドへと入る。
セレンが慣れた動作で、ナナセを腕の中へとそっと引き寄せ、収めた。
「おやすみ、ナナセ」
「おやすみなさい」
静かな暗闇の中で言葉を交わし、ふたりはそっと目を閉じる。
けれど――。
ナナセはセレンの広い腕の中で、小さく瞬きをした。
いつもと同じ夜のはずなのに。
自分を抱き寄せるセレンの手が、ほんの少しだけいつもより優しく感じられた。
背中に回された腕の力加減も、肌に触れる指先のひとつひとつも。
まるで、壊れやすい大切なものをそっと扱うかのように、どこまでも穏やかだった。
ナナセはその温もりを全身で感じながら、安心したようにそっと身体の力を抜いた。
そのまま、セレンの温かい胸元へすり寄るように頬を寄せる。
やっぱり、すごく安心する。
自分はこの場所が心から好きなのだと、改めてそう思った。
一方で、セレンもまた、まだ眠りにはついていなかった。
自分の腕の中にいるナナセの心地よい体温を直接感じながら、暗闇の中で静かに自分の感情と向き合っていた。
ナナセを大切にしたい。
彼女を守りたい。
彼女の望むまま、自由に生きていってほしい。
それは、今まで思ってきたことと何一つ変わらない。
きっとこれから先も、絶対に変わることはないだろう。
けれど――その強い思いのすぐ隣に、もう一つ、確かな感情が存在していることに気付いていた。
自分はナナセのことが、どうしようもなく好きなのだということ。
その気持ちに気付いてしまった今。
いっそのこと、彼女を自分の中だけに閉じ込めて、守り込んでしまいたい。
そして、他の誰でもなく、自分だけを見ていてほしい。
そんな、自分でも酷く身勝手だと分かる思いが、胸の奥からじわじわと全体を浸食し始めていた。
そして、セレンはこの胸を焦がすような暗い感覚を、もっと前から、すでに知っていた。
どうしようもない、ナナセに対する強い独占欲。
セレンは腕の中で呼吸を整えるナナセの白い髪に、そっと指を滑らせ、撫でた。
「……」
口に出して言葉にはしない。言葉にする必要もない。
けれど。
自分のこの醜い独占欲が、彼女への恋情なのだと理由が付いたことで、ずっと胸の奥に引っかかっていた後ろめたさのようなものが、ほんの少しだけ解けたような気もしていた。
セレンは静かに目を閉じる。
そして、腕の中のナナセを、今度はほんの少しだけ強く、愛おしむように深く抱き寄せた。
二人はお互いの確かな温度の中で、静かに深い眠りへと落ちていった。




