第167話 夕暮れの約束
セレンが目を覚ましてから、しばらく。
キサと交流戦の話や、最近アルカに出入りしている他ギルドの話などをしているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
窓の外へ目を向ければ、いつの間にか陽は傾き、空は淡い橙色から少しずつ深い夜の色へと変わり始めている。
「じゃ、そろそろ帰るわ」
そう言いながらキサがソファから腰を上げた。
「またね、ナナセ」
「はい。また……」
ナナセが小さく手を振る。
「セレンも、ちゃんと飯食べなよ」
「ん」
セレンはソファに座ったまま、気のない返事をする。
キサは苦笑しながら玄関へ向かい、扉を開けた。
「じゃあね」
「はい」
最後にもう一度ナナセへ手を振ると、キサはそのまま部屋を出ていった。
セレンはというと、最後まで特に気に留める様子もなく、ソファの背に身体を預けたままだった。
「……」
ナナセはそんなセレンを見て、少しだけ可笑しそうに笑う。
キサとの長い付き合いがあるからこそ、こういう気を使わない距離感なのだろう。
しばらくの間、静かな時間が部屋の中に流れた。
やがてセレンが、ふと思い出したように顔を上げた。
「あ」
「?」
「俺の飯食いに行くついでに、中庭いこっか」
そう言いながらナナセを見る。
昨日の夜に交わした約束を、セレンもちゃんと覚えていたらしい。
「中庭?」
「うん。昨日言ってたでしょ。満月見ようって」
「……はい」
ナナセの表情が、ふっと嬉しそうに明るくなる。
「行きたいです」
「じゃ、行こ」
セレンも小さく笑って立ち上がった。
夕暮れを越えたギルドの中庭は、昼間よりずっと静かになっている。
二人で並んで歩くには、ちょうどいい時間だった。
◇
ダイニングには、夕方の静かな空気が流れていた。
セレンはカウンター席に座り、運ばれてきた食事を黙々と口に運んでいる。
その隣では、ナナセがハーブティーのカップを手に、のんびりとその様子を眺めていた。
本来、食事をあまり必要としないナナセはすでに部屋で軽食を済ませていたこともあり、今日はただセレンの隣につきあっているだけだった。
けれど、しばらくその様子を見ていると、ナナセはあることに気がついた。
「……セレンさん」
「ん?」
「今日、これが最初の食事ですか?」
セレンは少し考えるように、食べる手を止めた。
「……そうだね」
「それで、これが最後の食事になるんですか?」
「……まあ、たぶん。夕方だし」
ナナセは思わず困ったように眉を下げる。
よく考えれば、昨日も遅くまで訓練があり、夕食は軽食で済ませていた様子だった。
今日は昼過ぎまで眠っていて、起きてからもそのままキサと話していた。
そして今、やっとまともに食事をとり始めている。
普段あれだけ身体を動かしているのに、自分の食事に関しては随分と適当だ。
「……ちゃんと食べた方がいいですよ」
「食べてるよ」
「今日、一食しか食べていないですよね?」
「……」
セレンが少しだけ目を逸らす。
その様子に、ナナセはますます心配そうな顔になった。
そこへ、次の皿を運んできたルナが呆れたように口を挟んだ。
「だから言ってるでしょ。もっと早く起きろって」
「んー……」
「んー、じゃない」
びしっ。
ルナがセレンの頭を軽く叩いた。
「痛っ」
「昼過ぎまで寝て、一日一食で済ませようとするな」
「……でも休みだし」
「休みだからって生活まで休ませるな」
「……はいはい」
セレンは頭をさすりながら、いつものように適当な返事をする。
「返事だけは一人前だな」
ルナは呆れたように笑っていた。
ナナセはその二人のやり取りを眺めながら、くすっと笑う。
「セレンさん、いつもこんな感じなんですか?」
「だいたいね」
ルナが即答する。
「忙しい時はもっと酷いよ。食べる時間がなければ、適当に何か口に入れて終わり」
「……」
ナナセは隣のセレンを見つめた。
セレンは何事もなかったかのように食事を続けている。
「……心配です」
ぽつりと呟くと、セレンの手が止まった。
「大丈夫だって」
「でも……」
「ほら」
セレンは少し笑って、ちゃんと食べていることを示すようにフォークを持ち上げて見せた。
「今食べてる」
「それは、そうですけど……」
「……ナナセがそんな顔するなら、もうちょっと気を付ける」
軽い調子の言葉だった。
けれどナナセは、その言葉を聞いて少しだけ安心したように微笑んだ。
「……はい。そうしてください」
隣でそんな二人を見ていたルナが、ふっと口元を緩める。
「二人でいると生活がまともになってくねぇ」
「どういう意味」
「なんでもない」
セレンが怪訝そうに返すと、ルナは楽しそうに笑っていた。




