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星を抱くひと  作者: 飴目
第7章

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第166話 昼下がり

ナナセは衣替えの手を一旦止めると、静かにキッチンへ向かった。

しばらくして、湯気の立つカップをそっと両手で持って戻ってくる。


「どうぞ」

「ん?」

キサの前に、温かなハーブティーが静かに置かれた。


「……ありがとう」

キサは目の前に出されたカップを見つめ、それからナナセの顔を見た。

そして、ふっと嬉しそうに口元をほころばせる。


「すっかり妖精っぽくなったね」

「……え?」

ナナセが不思議そうに首を傾げた。

キサはカップに手を添えながら、少しだけ遠くを見るような目をした。


「アルカに来たばっかりの頃もさ」


一度、言葉を切る。


「治療を受けるために医療室にいた時も。ナナセって、なんていうか……人形みたいだったから」

「……」


ナナセは黙ってキサを見つめた。


「自分から何かをするっていうより、言われたことをそのままやって。痛くても、苦しくても、嫌だって言わないし」


キサの声が、ほんの少しだけ低くなる。


「笑うこともほとんどなかったしね」


ナナセは何も言えなかった。

あの頃の自分を思い出せば、どれも否定できないことばかりだった。

言われたことだけを機械のようにこなし、感情を押し殺して生きていた日々。


「だからさ」

キサは手元のハーブティーへ視線を落とした。


「こうやって自分から誰かにお茶を淹れてあげたり、誰かの服を片付けたり。そういうのを見ると……ああ、ちゃんとらしくなったんだなって思うんだよ」

「……らしく」


ナナセが小さくその言葉を繰り返す。


「うん」

キサは穏やかに笑った。

「ちょっとずつ、自分の好きなこととか、したいこととか。そういうのが出てきたんだなって」


ナナセは少しだけ目を伏せた。

そして、衣替えの続きをしようとする自分の手元を見つめる。


「……そう、なんでしょうか」

「そうだよ」


キサは迷いなく答えた。


「少なくとも、今のナナセは人形には見えないよ」


その言葉に、ナナセはほんの少しだけ目を丸くした。


やがて――。


「……ふふ」

小さく笑った。


キサはそんなナナセを見て、さらに嬉しそうに笑う。


「ほら。そういうところ」

「……?」


ナナセは意味が分からないまま首を傾げたが、それでもどこか胸の奥が嬉しくなって、もう一度小さく微笑んだのだった。


◇


ナナセが衣替えを終え、キサと他愛のない話をしていた頃だった。

奥の寝室の方から、ガサゴソと小さな物音が聞こえてくる。


「……お」

キサがそちらへ目を向けた。


「やっと起きた」

壁に掛けられた時計を見ると、針はすでに午後二時を指していた。


「寝すぎじゃない?」

そう笑っているうちに、ガチャリと寝室の扉が開く。


「……」


出てきたセレンは、いつも通りの寝起きの顔をしていた。

髪は少し乱れていて、まだ半分眠っているような目つきをしている。

リビングにキサがいることに気付くと、ちらりと視線を向けた。


「……キサじゃん」

「おはよ。いや、もうこんにちはだけど」

「……寝すぎた」


セレンはそれだけ呟くと、ソファに座るナナセの隣へどかっと身体を沈めた。


「頭いてぇ……」


眉間に皺を寄せたまま、静かに目を閉じる。


「……大丈夫ですか?」

隣からナナセが心配そうに声をかけた。


その声にセレンがゆっくりと目を開ける。

そして、ナナセの手元にあるものへ視線を落とした。


「……それ、ちょうだい」

「え?」


返事を待つより先に、セレンの手が伸びた。

ナナセが持っていたハーブティーのカップを、その手ごとすっと引き寄せる。


「……あ」


ナナセが目を丸くする。

そのままセレンはナナセの手を添えた状態でカップを口元へ運び、一口飲んだ。


「……ふぅ」

満足したように息を吐くと、再び目を閉じてしまった。

ナナセは、完全に固まっていた。


「……ふっ」

そんな二人を眺めていたキサが、とうとう吹き出す。


「俺もいるんだけど」

「……なにが?」


セレンがキサを見る。


「別にいいでしょ」


何でもないことのように言いながら、ふわりと欠伸(あくび)をした。


「いや、いいけどさぁ」

キサは肩を揺らして笑った。


「すっかり仲良しじゃん」

「……」

ナナセの頬がじわりと赤くなる。

セレンはというと、そんなナナセに気付いたのか、少しだけ目を逸らした。


「……別にもともと仲悪くないけど」

セレンが、キサにぼそりと告げる。


「それはそうだけどさ」

キサは面白そうに笑った。


隣では、ナナセが頬の熱を誤魔化すように、ふと衣装室の方へ目を向ける。


「あ、衣替え、しておきました……」

「え?」

セレンが顔を上げる。


「俺の?」

「はい。今日するって言っていたので……」

「まじで助かる……」


セレンは驚いたように目を瞬かせ、それからほっとしたように息を吐いた。


「ありがと、ナナセ」

「いえ」


ナナセが小さく笑う。

その様子を見ていたキサが、部屋の中をぐるりと見回した。


「去年のセレンの部屋とは大違いだなぁ」


「……去年?」

ナナセが首を傾げる。


「うん。去年の今頃も交流戦の準備で忙しかったんだけどさ」

キサは思い出すように笑う。


「夏の制服と冬の制服がそこら中に置きっぱなし。書類も机に積みっぱなし。脱いだ服もその辺に転がってて……」

「言うな」


セレンがソファに沈んだまま、弱々しく遮る。


「すごかったよ。足の踏み場がないって、ああいうことを言うんだなって思った」

「……」


ナナセはなんとなく部屋の中を見回した。


今は、日頃片付け続けていた自分の手によって、衣服も書類もあるべきところに置かれていた。

テーブルには果物があり、ハーブティーも置かれている。

以前の散らかりがちだった部屋とは違って、いくらか小綺麗な部屋になっていた。


それでもナナセは、去年のその光景を見たわけではないのに、なぜか容易に想像できてしまった。


「……なんとなく、想像できます」

「でしょ?」


キサが笑う。


「セレン、自分の身の回りのことになると意外と適当だから」

「セレンさん、忙しそうですもんね」


ナナセがそうフォローすると、キサは笑ってナナセを見る。


「ほら、また甘やかしてる」

「え?」

「そんなこと言ってると、どんどんダメ人間になっちゃうよ」

「……」


セレンはソファに身体を沈めたまま、眉間に皺を寄せる。


「うるさい……」


力のない否定だった。


「ほら、もう反論する元気もない」

「……頭に響くからやめて」

「自業自得じゃん」

「……」


セレンはそれ以上何も言わず、静かに目を閉じた。


ナナセはそんなセレンを見て、思わず小さく笑う。

キサもつられるように笑った。


忙しさに追われる普段の姿からは少し離れた、休みの日のセレン。


その隣にナナセがいて、キサがいて。

去年とはまるで違う整った部屋に、穏やかな時間が流れていた。

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