第165話 好きな季節
翌日。
朝を過ぎ、日はすっかり昇っていた。
それでも、セレンはまだ眠っていた。
ここ最近、連日のように続いていた慌ただしい訓練の疲れが溜まっていたのだろう。
ナナセが先に目を覚ましてからしばらく経っても、隣からは静かな寝息が続いていた。
ナナセが身動きをするくらいでは起きないほど、今日は珍しく熟睡している。
(……先に起きちゃおう)
そう思い、ナナセはセレンを起こさないよう、静かにベッドを抜け出した。
そういえば、今日は衣替えをするとセレンが言っていた気がする。
そんなことを思い出しながらテーブルにつき、用意してあった果物を少しずつ口に運んだ。
部屋の中は、ナナセが来たばかりの頃と比べると、ずいぶん変わっていた。
キッチンの一角には、いつのまにかナナセが食べる果物が常備されるようになっている。
ハーブティーもいくつか種類が増えていた。
セレンの生活だけだった部屋に、少しずつナナセのためのものが増えている。
小さな変化ばかりだったけれど、今では、ここに自分がいることが自然になっていた。
果物を食べ終え、ナナセはふと衣装室の方へ視線を向けた。
セレンはまだ起きそうにない。
代わりに衣替えをしてしまおうか、そう思い立ち、実行に移すことにした。
ナナセはクローゼットに向かい、そこに掛けられていた夏用の制服を手に取った。
そっと、右胸のポケットに指を添える。
夏の間、自分が入っていた場所。
セレンの体温がすぐ近くにあって、歩くたびに身体が揺れていた。
思い出すと、自然と口元が緩む。
「夏のポケットも、好きだったな……」
小さく呟いて、ナナセは制服を持つと静かに衣装室へ入った。
夏物を一つずつ片付け、代わりに秋冬の制服や衣服を出していく。
長袖の制服。
厚手の衣服。
そして、外套。
外套を手に取った瞬間、その中にいた時のことを思い出した。
包まれるような布の感触。
その内側に残っていたセレンの匂い。
「……」
ナナセは外套を胸元に抱える。
もう、あの暑さはすっかり遠くなった。
夜には肌寒さを感じることも増えてきている。
「……早く、着て欲しいな……」
そう呟いて、ナナセは外套を大切そうに畳んだ。
冬物を出し終える頃には、衣装部屋の中もすっかり秋冬の色になっていた。
夏の気配をしまい込んで、これから来る寒い季節を迎える。
その季節には、またこの外套の中に入れる。
そう思うと、ナナセはこれから迎え入れる季節が楽しみになっていた。
◇
衣替えがもうすぐ終わろうとしていた頃だった。
トントン、と部屋の玄関の扉が控えめに叩かれる音が響いた。
「……?」
ナナセは手にしていた畳みかけの衣服を整えて置き、静かに玄関へ向かった。
セレンの部屋を訪ねてくる人物は、だいたい決まっている。
この時間帯なら、きっとキサだろう。
今日が休みのセレンを訪ねてきたのだろうか。
そんなことを思い浮かべながら、扉をそっと開ける。
「……あれ? セレンは?」
そこに立っていたキサが、ナナセの姿を見て不思議そうに首を傾げた。
ナナセはキサを招き入れる前に、セレンが眠る奥の寝室へ視線を向けた。
そして、少しだけ困ったように苦笑する。
「……まだ寝ています」
「え?」
キサもつられて寝室の方へ視線をやった。
「もう昼だけど」
「そうですね……」
「寝すぎじゃない?」
呆れたように言いながらも、どこか慣れた様子でキサは室内へと足を踏み入れた。
「お邪魔します」
「どうぞ」
ナナセがそう促すと、キサはそのままリビングのソファへ向かい腰を下ろしたところで、ふとナナセの手元に視線を止める。
「ん?」
ナナセが抱えていたのは、セレンの秋冬用の衣服だった。
「衣替えしてあげてるの?」
「今日するらしかったんですけど……まだ起きないので」
「なるほどねぇ」
キサは少しだけ楽しそうに笑った。
「甘やかしすぎちゃダメだよ~」
「……」
ナナセは少し考えてから、ふっと微笑んだ。
「そうかもしれません」
「お、素直」
「でも……」
ナナセは手元に抱えた衣服へ視線を落とした。
「疲れているみたいだったので」
「まあ、それはそうか」
そう言って、キサも再び寝室の方へ視線を向ける。
「最近ずっと忙しかったろうしね」
「はい」
ナナセは頷きながら、抱えていた冬物を奥の衣装室へ運んでいく。
その小さく動く後ろ姿を見送りながら、キサはふっと目を細めた。
セレンの部屋にナナセがいることも。
こうして当たり前のようにセレンの衣服を片付けていることも。
少し前なら、きっと誰も想像もしなかった光景だった。
「……すっかり馴染んだね」
「え?」
「いや、こっちの話」
キサはそう言って、ソファに深く身体を預けた。
奥の寝室からは、変わらずセレンの静かな寝息が聞こえている。
休日の昼。
いつもより少し遅い時間が、部屋の中で穏やかに流れていた。




