第159話 秋風の記憶
それからしばらく経ち、立て続けだった任務がようやく一段落して落ち着く頃には、季節の移ろいとともにすっかり涼しくなり始めていた。
早朝や夕暮れ時の空気にはしっかりと冷たさが混じり始め、昼間訓練所を吹き抜ける通り風も、あの日々の暑かった夏の頃とはどこか違っていた。
そんな季節の変わり目を迎える時期になると、アルカでは毎年恒例となっている大規模な「交流戦」が盛大に行われることになっている。
複数のギルドが合同で参加し、広大な演習エリアのフィールドを丸ごと使って行われる本格的な拠点占領戦だ。
単なる一対一の模擬戦とは大きく異なり、各ギルドがそれぞれ作戦を練りながら拠点を奪い合う大規模な合戦形式の戦闘試合のようなものだった。
ナナセもまた、かつて第五部隊に所属していた頃、カネルの指示によって何度かこの大規模な交流戦に参加したことがあった。
だからこそ、訓練所にその独特の熱気が戻ってきたこと自体には、見覚えがあったのだ。
「もうそんな時期か~」
訓練所の一角にあるベンチで、ナギがどこか気の抜けた声を空へ向けて上げる。
「一年経つの早くない?」
「去年も同じこと言ってたよ」
ソラトが呆れたように苦笑しながらすぐさま突っ込みを返す。
「だって大変なんだもん」
「まだ始まってもないのに」
そんな二人の気心の知れたやり取りを、ナナセは少し離れた陽の当たる場所から静かに眺めていた。
フィリスたちも、アルカの主力を担う部隊としてこの交流戦に毎年参加しているのだろう。
「今年はどの辺り担当になるかな」
「去年と似た感じでしょ?どうせ前線じゃないよ」
そんなことを言いながら、作戦について言葉を交わし合っている。
その活気ある姿を目にしながら、ナナセはふと記憶の底にある出来事を思い出していた。
第五部隊の使役妖精として戦場に駆り出されていた頃。
この大規模な交流戦という同じ戦場に、フィリスやセレンたちも確かに存在していたというのに、あの頃は彼らの存在に一度だって気づくことはなかった。
アルカの中でも上位に位置する彼らは、他部隊と戦場を共にするとなれば目立つ存在だっただろう。
五部隊の隊員たちだって、上からの戦闘指示に従って戦わされていたはずだった。
それなのに――。
「……」
ナナセの瞳の光が、少しだけ遠くを追うように陰っていく。
脳裏に蘇ってきたのは、激しい戦場そのものの光景よりも、当時のあまりに無機質だった自分自身の姿だった。
当時主人であったカネルから、矢継ぎ早に届く絶対の命令。
心身を休める間すらもなく過酷に与えられ続ける戦闘指示の数々。
どこへ行って敵を叩けと言われれば向かい、誰の部隊を援護しろと言われれば思考を殺して援護する。
一つの命令を終えれば、間髪入れずに下される次の命令、またその次の命令。
ただひたすらに、与えられたタスクを機械のように消化しこなしていた。
この交流戦という催しがどれほど大規模なものであったかも。
どこにどんな部隊がいて、相手が誰だったのかも。
あの頃のナナセにとっては、何の意味も持たないどうでもいい事実に過ぎなかったのだ。
目の前に示された命令を終わらせること、ただ、それだけに没頭していた。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように少しだけ重くなる。
自分があの大規模な戦場に確かに立ち、戦っていた記憶自体はある。
けれど、その時、自分が何を思い何を感じていたのかは、あまり深く思い出したくはなかった。
「ナナセ?」
ふいに、頭上から穏やかな声で名前を呼ばれる。
ハッとして顔を上げると、いつのまにかセレンがすぐ側に立ち、心配そうにこちらを見つめていた。
「どうしたの?」
「……いえ」
ナナセはかすかに首を左右に振る。
「交流戦、昔も参加していたなと思って」
「そっか。数年は五部隊に居たんだもんね」
セレンはそれ以上、何かを問いかけることはしなかった。
ただ、ナナセの顔に落ちた小さな影を、静かにそのまま見つめている。
ナナセはセレンの優しい視線に耐えかねるように、ゆっくりと手元へ視線を落とした。
「……あの頃は、ずっと戦っていた気がします」
ぽつりと漏らしたその小さな呟きは、自分自身で思っていたよりもずっとかすれ、小さく響いた。
セレンは何も言わず、その声を受け止めるように耳を傾けている。
「命令されて、それをこなして……また次の命令が来て」
ナナセの細い指先が、感情を押し殺すように無意識にきゅっと両手を結ぶ。
「交流戦がどんなものだったのかも、あまり覚えていません」
そう口にして、セレンを安心させようと少しだけ表情を緩めて笑おうと試みる。
けれど、どうしても顔の筋肉が強張って、うまく笑うことができなかった。
「……楽しかったのかも、分からないです」
「……そっか」
その胸の奥から絞り出された言葉に、セレンの表情がほんの少しだけ曇る。
けれどセレンは、それ以上のことは言わなかった。
ただ静かに、冷たい秋風の中でナナセのすぐ隣に寄り添い続けている。
その存在感が、今のナナセにとって胸の重みを少しだけ和らげてくれる、何よりもありがたい救いだった。




