第157話 青年の罪業
少し遅れて、森の奥から足音を響かせながらフィリスたちがセレンのもとへと駆け寄ってきた。
「セレン!」
「大丈夫?」
声を掛けながら慌ただしく近づいてくるフィリスたちに向けて、セレンは大事ないことを示すように軽く片手を上げてみせる。
「大丈夫。怪我はない」
反対側の手の上には、小さくなったナナセが乗っていた。
その無事な姿を目にしたナギが、驚きに満ちた目でパッと表情を輝かせた。
「ナナセ、すごいじゃん!」
「え?」
「さっきの魔法。あれナナセの魔法だろ?」
いきなり振り向けられた称賛に、ナナセは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
「……見えてたんですか?」
「そりゃ見えるよ。あんなに派手に光ってたんだから」
ナギが可笑しそうに楽しげな笑い声をあげる。
「俺も初めて見た。あんな魔法使えるんだね」
「俺も。というか、あれであの妖精を止めたの?」
ヒヨリやソラトまでが、感心した声をあげた。
あまりにストレートな言葉の数々に、ナナセはどう答えていいのか分からない様子で、セレンの手の平の上で照れくさそうに小さく身を縮めた。
そんな賑やかな面々の様子を眺めながら、フィリスがふっとセレンへと視線を移す。
「しかし、すごいね。ナナセの力もだけど……」
「ん?」
「セレンはさ、いつあの妖精に嫌われたわけ?」
「……」
フィリスの軽妙な問いかけに、一瞬だけその場の空間に静かな沈黙が落ちた。
「いや、そういう話じゃないだろ」
セレンが呆れたように淡々と返すと、フィリスは堪えきれずに吹き出した。
「ふは、冗談だよ」
「絶対ちょっと面白がってるでしょ」
ナギが横から可笑しそうに口を挟み、それにつられるようにヒヨリたちも口元を緩める。
だが、仲間たちの明るい会話の輪の中にありながら、セレンの意識は先ほどの森の妖精が残していった言葉へと戻っていた。
『お前は違うのか』
あの森の妖精は、先回りして見てきた第五部隊の使役妖精たちの姿を目の当たりにした直後、そう口にした。
人間の都合に縛られ、人間のために力を貸し、人間を守る道具として扱われている妖精たち。
あの時はきっと、自分の周りにあるナナセの気配で、捕らわれているのだと思い込んで助け出そうとしたのだ。
そしてその行動が結果として、セレン自身を危険に晒すこととなった。
セレンは、少しだけ目を伏せた。
あの森の妖精は、第五部隊に同行する使役妖精たちを見て、一体何を思ったのだろう。
きっと、憤っていたのだろう。
そして、自分の胸元にいたナナセもまた、同じように自分という人間に捕らわれ、利用されている存在なのだと思い込んだのだろう。
セレンは、自分の手の上で座るナナセを見つめた。
フィリスたちが合流したことで、ナナセの緊張もすっかり解けたようだった。
小さな身体からすっと力が抜けた今、自分の指先へとその身体そっと寄り添わせている。
その無防備で健気な様子を、セレンは黙って見つめ続けた。
もし、あの時――。
もしあのまま、あの妖精がナナセの手をとって、人間の手の届かない深い森の奥へと連れ去って消えてしまっていたら。
自分は、迷わずその後を追いかけただろうか。
何があっても、その手を取り戻そうとしただろうか。
――きっと、自分はそうしたはずだ。
けれど、その時。
自分には果たして、彼女を引き留めるだけの正しい権利があるのだろうか。
ふと、冷たい刃のような問いがセレンの胸の奥をかすめた。
ナナセは本来、この緑豊かな森のような、美しく自由な世界で生きるべき存在なのだ。
いつしか、自分の隣にいることが当たり前になりすぎていて、そのごく当然の事実をどこかで忘れてしまっていたのではないか。
セレンは言葉を発することなく、ナナセの小さな頭を人差し指の先でそっと優しく撫でた。
撫でられたナナセはふと顔を上げると、セレンの顔を見つめ返す。
「……セレンさん?」
「ん」
「どうしました?」
「……なんでもないよ」
セレンはそう静かに答えると、いつものように穏やかな笑みを浮かべてみせた。
けれど、その微笑みの下にある胸の奥底には、これまで感じたことのない小さな不安の影が静かに、澱のように残っていた。
自分がナナセを大切に想い、失いたくないと強く願うほど、ナナセが持つべきはずの自由を、自分の身勝手な手で奪ってしまうかもしれない。
それは絶対に犯してはならない過ちなのだと、セレンは己に言い聞かせるのだった。




