第154話 森の閃光
森の奥へ向けてしばらく歩を進めた頃だった。
少し離れた樹木の梢で、鳥たちが一斉に甲高く騒ぎ始めた。
「……?」
羽ばたきの音と重なる甲高い鳴き声が森の静寂を切り裂き、バサバサと不穏な羽音が木々の間を走り抜けていく。
次の瞬間、枝葉の向こうから、何羽もの鳥たちが警戒の声を上げて空へ飛び立っていった。
セレンがその場でピタリと足を止める。
少しだけ距離を開けて歩いていたフィリスたちも、ほぼ同時に立ち止まっていた。
「……何かあったか?」
フィリスが低い声で短く呟く。
ナナセも胸ポケットの縁から小さく顔を出し、鳥たちが飛び立った異変の方向へと警戒の目を向けた。
さっきまで穏やかで神秘的だった精霊の森に、張り詰めたような緊張感が走る。
フィリスたちは互いに短い視線を交わした。
言葉なく互いの意図を共有すると、音のした警戒領域へ向けて慎重に進み始める。
セレンはフィリスたちの本隊とは少し距離を開けた。
正面からは向かわず、気配を殺しながら横へ大きく回り込むようにして進んでいく。
「ナナセ」
低く静かな声で短く呼ぶと、ナナセもその意図を察し、すぐにセレンのポケットの中へとその身を収めた。
セレンの足音が、落ち葉を踏む音すら聞こえないほど完璧に静まり返る。
木々の狭い間を潜り抜ける。
枝葉の隙間から斜めに差し込む日光。
肌を撫でる冷ややかな風の音。
鳥たちの騒がしい鳴き声は、いつの間にか嘘のように止んでいた。
静かすぎる――。
セレンはわずかに警戒を強めて目を細めた。
まさに、その瞬間だった。
「……っ!!」
殺気も前触れすらも存在しなかった。
何者かが、森の鬱蒼とした奥深くから一直線の矢となって飛び込んできたのだ。
ドン、と重く鈍い音を立てて、セレンの身体へと直接激突する。
いや――。
単にぶつかったのではない。
明確な殺意を秘めた先制攻撃だった。
想像外の衝撃に身体が大きく傾き、セレンはとっさに足を踏み込んで体勢を力強く立て直そうとする。
その、ほんの一瞬。
視界の端に捉えた影を見て、セレンは目を見開いた。
(……妖精)
自分たちが普段アルカや街で目にしてきた使役妖精とは、醸し出す雰囲気がまるで違っていた。
人間と共存を知らない、原生の森の奥底から現れた野性の妖精だ。
その華奢な身体から放たれている魔力は、これまでセレンが見てきたどの妖精よりも濃く、強い。
自然の荒々しさそのものを直接纏っているかのような濃密な魔力だった。
そして――。
その妖精は、すでに殺傷力の高い魔法を容赦なく展開させていた。
(……間に、合わない)
セレンが相手の攻撃準備に気付いた時には、もう手遅れだった。
距離が近すぎて、今からでは回避動作が間に合わない。
しかも、胸元にはナナセがいる。
ここで下手に大きな動作で動けば、攻撃の巻き添えをナナセに負わせてしまうかもしれない。
セレンは反射的に、己の右手を制服のポケットへと素早く伸ばした。
せめて自分の身を盾にして、ナナセの命だけでも確実に守り抜くために――。
だが、その瞬間。
ポケットの中から、小さな手がセレンの手を遮るように伸び出してきた。
「ナナセ……!」
セレンが制止の声を張り上げるよりも早く。
ナナセはセレンの指先をかいくぐるようにすり抜け、迷わず外へと飛び出した。
ふわり、と小さな身体が空中に浮く。
背中に畳まれていた薄く透明な羽が、淡い光を持って大きく広がった。
次の瞬間――。
眩いばかりの黄金色の光が、薄暗い森の空間全体へ一気に広がった。
夜空の星屑を惜しみなく撒き散らしたかのような、美しくも淡く輝く光の粒子。
ナナセの小さな身体から溢れ出た莫大な魔力が、セレンの全身を包み込むように円状に広がっていく。
それはまるで、目の前にいるセレンという存在を守ることだけを唯一の目的に据えた、絶対の防護の光だった。
「ナナセ! 逃げろ!」
セレンが必死の想いで叫ぶ。
けれど、ナナセはセレンの言葉に従うことなく動かなかった。
その儚く小さな身体一つで、森の妖精とセレンの間に毅然と立ちふさがったのだ。
彼女の背中に、幾重にも重なった黄金色の光の波が、眩しく輝く。
押し寄せる森の妖精の魔法が迫り、その光へと激突した瞬間――。
辺り一面が、黄金色の光に満たされた。
「……!」
妖精が放った強大で凶悪だったはずの魔法が、ナナセの光に触れた瞬間にあっけなく形を失っていく。
鋭く猛威を振るっていた魔力の奔流が、まるで夜空に溶ける星屑のように細かな光の粒子へと姿を変え、ナナセの周囲へと美しく散っていった。
攻撃そのものが、光の中で静かに溶けて消えていく。
破壊の音すら残すことなく。
ただ、幻想的な黄金色の光だけが静かに森の樹々の中へ広がっていた。
セレンは息を呑み、言葉を失った。
目の前で翼を広げ、自分を守るように立つナナセの背中を、ただ茫然と見つめる。
守られている――。
その事実を脳で理解するよりも先に。
どうして、とセレンの胸の奥から激しい感情が込み上げていた。
逃げろと、あれほど叫んだのに。
相手がどれほど危険な存在か、分かっているはずなのに。
それでもナナセは、自分の身を挺してセレンの前に立ち続けていたのだった。




