第148話 深まる夜
それから。
少しだけルナと他愛のない会話を交わしたあと、ナナセはダイニングを後にした。
廊下へ出ると、冷ややかな夜の静けさが再び足元から忍び寄ってくる。
さっきまでルナと温かな言葉を交わしていたからだろうか、一人になった途端、その静けさがずっと重く感じられた。
足早に自室へ戻り、壁の時計を見上げると、時刻はすっかり日付が変わる頃を過ぎていた。
それでも、セレンはまだ帰ってきていなかった。
「……」
出かける前に彼から言われた言葉が、ふと頭をよぎる。
『遅くなったら先に寝てていいから』
ナナセは一度は寝室へと向かった。
整えられたベッドに入り、冷えた身体を温めるように毛布を肩まで引き上げる。
けれど、固く目を閉じても眠気は一向に訪れてはくれなかった。
自分のすぐ隣にあるはずの場所が、ぽっかりと空いている。
いつもなら、ほんの少し身体を寄せればその熱を感じられる距離にいる人が、今日はどこにもいない。
しばらくの間じっと横になっていたが、ナナセは諦めたように小さく身体を起こした。
(……眠れない)
何となく胸がざわついて落ち着かなくなり、静かにベッドから出る。
リビングのソファへ移動すると、そこに畳んで置いてあった毛布を持ち上げ、すっぽりと身体に巻き付けた。
ここなら、セレンが帰ってきたときに鍵の開く音ですぐに気付ける。
扉が開けば、真っ先に出迎えることができる。
そんなことを胸の中で思いながら、ナナセはソファの上で小さく膝を抱え込んだ。
こうしてソファで夜を明かそうとするのも、どこか久しぶりのことに感じられた。
静まり返った部屋の中で、壁に掛かった時計の針が刻むカチカチという音だけが、やけに大きく耳に響く。
「……遅いな」
ぽつりと、静寂の中に小さな呟きが落ちる。
最初は、ただ隣に彼がいないことが寂しいだけだった。
けれど、刻一刻と時間が経つほどに、その胸の中の気持ちに別の重苦しい感情が混ざり始めていた。
何か不測の事態でもあったのだろうか。
過酷な任務の途中で、大きな怪我でもしていないだろうか。
無事に、ちゃんとここへ帰ってくることができるだろうか。
考えたくもない最悪の想像ばかりが、静寂に包まれた部屋の中で膨らんでいく。
ナナセは不安を振り払うように、羽織った毛布をぎゅっと力強く握りしめた。
「……セレンさん」
静かな部屋で名前を呼んでも、もちろん返事など返ってこない。
そんなことは痛いほど分かっているのに、静けさに耐えかねて、もう一度その名前を口にしてしまいそうになる。
寂しい――そんな甘い気持ちはとうに通り越して、今はただただ怖かった。
無事に帰ってきてほしい。
怪我なく、自分の目の前へ姿を見せてほしい。
ただ、求めるのはそれだけだった。
ナナセは今か今かと扉を見つめたまま、毛布の中で身体を小さく丸める。
いつセレンが帰ってきてもいいように。
無事な帰りを願うその想いだけを頼りに、暗い部屋の中で静かに彼を待ち続けていたのだった。




