第145話 祭りの余韻
浜辺に集まっていた人々が、ちらほらと名残惜しそうに帰り始めた頃――。
「俺らも戻るか」
フィリスの穏やかな声を合図に、特別部隊の宴もゆっくりと解散になった。
「飲みすぎた……」
帰り道、酒の回ったナギがふらふらと覚束ない足取りで歩き、その身体をソラトが心底呆れたような顔でしっかりと支えている。
「だから言っただろ。ほどほどにしろって」
「いやぁ、星が綺麗だったからさぁ」
「星のせいにするなよ」
そんな微笑ましい二人のやり取りの少し前を、フィリスたちが楽しそうに歩いている。
セレンとナナセは、そのさらに少し後ろを二人でゆっくりとした歩調で歩いていた。
夜更けの静まり返る道は、行きよりもずっと静寂に包まれている。
昼間のうだるような暑さはすっかり遠のき、通り抜ける夜風にはひんやりとした涼しさが混じり始めていた。
季節そのものが、ほんの少しずつ次の秋へと向かい始めているようだった。
繋いだままの二人の手。
少しお酒を飲んだセレンの手は、いつもよりもぽかぽかと熱を持っていた。
その確かな熱が、涼しい夜風の中では不思議とたまらなく心地よい。
ナナセは何も言わず、その手をそっと握り返していた。
◇
部屋へ戻る前、二人はいつものあの小さな中庭へと立ち寄っていた。
「涼し……」
中央にある噴水の縁に腰を下ろしたセレンが、酒で火照った身体を夜風に晒して心地よさそうに息を吐く。
祭りの終わりを告げるかのように、夜空を横切る星の流れる数も少しずつ減っていた。
さらさらと溢れ出る水の音が、静まり返った中庭に絶え間なく響いている。
ナナセは、そのすぐ隣に座ったセレンの横顔をじっと見つめていた。
いつも目にする彼より、ほんの少しだけ気が抜けている。
髪もどこか無造作に乱れており、着ている私服も普段よりゆるく着崩れていた。
何よりも、今の彼の表情――。
任務中に見せる冷徹な鋭さも、訓練中の真剣な雰囲気もそこには一切ない。
ただ心地よい酒と冷たい夜風に身を委ねたような、ゆるやかで穏やかな顔をしている。
ナナセはしばらくの間その横顔を眺めていたが、ふと嬉しくなって小さく笑った。
「……ん?」
その微かな気配に気付いたセレンが、首を傾げてナナセを見る。
「なに?」
少し酒で掠れた、甘く優しい低音の声。
「いえ……なんでもないです」
ナナセは恥ずかしそうに小さく首を振った。
本当は。
こうして誰にも邪魔されず、セレンの隣に並んで座っていることが、なんだかたまらなく嬉しかったのだ。
それと同時に、今日の、あの海辺でのセレンのことも思い出していた。
星の満ちる海の中で、自分の手を取って。
そっと口付けをしたこと。
あの時のセレンの表情は、今のゆるやかなものとは少し違っていた。
切なげで、真摯で、真っ直ぐで――。
あの時彼が囁いてくれた「綺麗だ」という言葉も、まだナナセの胸の奥深くに温かく残っている。
思い出すだけで、彼女の白い頬が少し熱くなっていくのが分かった。
あのキスの意味が何だったのかを尋ねるには、今のナナセにはまだ恥ずかしすぎた。
「……そう?」
セレンは深く追及することもなく、また静かな噴水へ視線を戻す。
「じゃあ、なんでもないってことにしとく」
「……はい」
ナナセもその優しさに甘えるように小さく笑う。
冷たい夜風が、寄り添う二人の間を穏やかに通り抜けていく。
噴水の水面が風に揺れ、落ちる月明かりが細かく砕けてきらきらと輝いていた。
ナナセはその静かで美しい景色を眺めながら、そっとセレンの暖かな手に自分の指を重ねた。
熱を持ったセレンの手が、重ねられた指先に反応して少しだけ動く。
そしてセレンも何も言わず、その指先を包み込むように優しく握り返した。
夜の静寂の中、二人の間には、それ以上の言葉はもう必要なかったのだった。




