第141話 星の降る海辺
人波に沿ってしばらく歩いたところで、セレンがふと前方へと視線を向けた。
「ほら、ナナセ」
「……?」
セレンの抱える腕の中から、彼の視線を追うようにしてナナセが顔を上げる。
立ち並ぶ街並みの向こう側、建物の途切れた空間から、濃紺の淡い夜色がどこまでも静かに広がっているのが見えた。
「……あ」
ナナセの口から、小さな声が漏れる。
「海……」
「うん、あそこで降星祭やるんだよ」
潮の清涼な匂いが、風に乗って二人の元へと優しく届いてくる。
「思ったより早く着いたね」
「もっと遠いと思っていました」
「俺も。案外近かった」
そんな他愛もない穏やかな会話を交わしながら、セレンは海の方へ足を進めていく。
やがて街の暖かな灯りが途切れ、二人の目の前に広大な砂浜が一面に姿を現した。
空の上の夜はすっかり深まりつつある。
目の前に広がる波立つ海は深い暗青色に静かに沈み、その境界線の向こうと頭上の全天には、ぽつりぽつりと少しずつ眩い星々が増え始めていた。
広々とした砂浜には、すでにたくさんの人々が集まって思い思いの時間を過ごしている。
小さな温かな灯りを囲んで楽しそうに談笑する人々の姿。
砂の上にゆったりと座り込み、静かに夜空を見上げる人々。
その少し離れた場所には、見慣れた特別部隊の面々の姿もあった。
「あ、フィリスたちもいる」
セレンがそちらを指差す。
離れた場所で、フィリスやナギたちが賑やかに集まっているのが見えた。
「本当ですね」
ナナセが楽しそうにそちらを眺めている間に、セレンはナナセを抱えていた腕を優しくゆっくりと下ろした。
「ほら」
その声と共に、ナナセはセレンの腕の中から砂の上へそっと降り立った。
「……わ」
裸足のように軽い足取りでそっと砂を踏みしめたナナセが、慣れない足場の感触にほんの少しだけ身体を小さく揺らした。
その時だった。
「おぉ……」
セレンの少し驚いたような声が、上を向けられた顔から聞こえた。
ナナセも声につられるようにして、顔を夜空へと上げた。
静まり返る夜空――。
そこに、一筋の輝く光がすうっと尾を引いて走った。
そして、また一つ。
さらに、そのすぐ隣をもう一つの光が駆け抜ける。
夜空の深遠から、流星がまるでぽろぽろと溢れる涙のように夜空からこぼれ落ちていく。
それはまるで、星という存在そのものが、この静かな夜の海へとそっと零れ落ちているかのような幻想的な光景だった。
「……わあ……」
あまりの美しさに、ナナセの口から思わず言葉にならない声が漏れ出していた。
目を大きく見開いたまま、溢れる光の粒で満たされていく夜空をただひたすらに見上げている。
降星祭――その特別な名をつけるのにこれ以上なく相応しい、そんな幻想的な夜の始まりだった。
「綺麗だね」
「……はい」
ナナセはまだ、空を満たす光の奇跡から目を離すことができない。
次々と夜空を駆けていく一瞬の光を愛おしそうに追うように、その瞳の視線だけが揺れるように動いていく。
すると、隣に立つセレンが静かに声をかけて、そっと手を差し出した。
「ナナセ、おいで」
「……?」
ナナセが声に振り向いて、星空からセレンに視線を移した。
セレンはそのまま躊躇うことなく、ナナセの小さな手を取った。
「海の近くまで行こ」
「はい」
セレンに優しく手を引かれるまま、二人は波打ち際に向かって歩き出していく。
ザーッと穏やかな波が寄せては返す静かな音。
胸を満たす潮の香り。
そして、二人の頭上をどこまでも贅沢に流れ落ちていく光の星々。
ナナセは繋がれたセレンの手をそっと優しく握り返しながら、何度も、何度も夜空を見上げた。
今夜は、セレンと過ごしてきたこれまでのどの夜とも、まるで違っていたのだった。




