第140話 休日の外出
「じゃあ、そろそろ浜辺に行こうか」
部屋での支度を終えたセレンがそう言って自室の扉を開けると、そっとナナセに向かって大きな手を差し出した。
「はい」
ナナセも頷き、その手を取った。
いつものように自然に繋がれた手。
けれど、今日はほんの少しだけいつもと違って見えていた。
訓練服でも制服でもない、柔らかな私服に身を包んだセレンと、妖精らしい背中の羽もなく、繊細な衣服でもない人間のようなワンピース姿のナナセ。
静かな廊下を並んで歩く二人の姿は、ギルド員と使役妖精というよりは、ただの年相応の青年と少女のようだった。
ナナセはふと自分たちのいつもと違う姿を見下ろし、それからすぐ隣を歩くセレンの横顔を見上げる。
いつもと違う服、それだけの違いであるはずなのに、なんだか無性に気恥ずかしい。
「……なんか変な感じですね」
「うん?」
「こうして歩いてるの」
セレンもナナセへと視線を落とし、少しだけ考えるように目を細めた。
「確かに」
それから、繋いだ互いの手元を見つめてフッと小さく笑う。
「でも、嫌じゃないでしょ?」
「……はい」
ナナセは少しだけ頬を赤く染めながら答えた。
セレンもそれ以上は何も追求せず、ただ繋いだ手のひらを優しく握り返したまま静かに歩いた。
特別部隊の区画を出る渡り廊下までやって来ると、鮮やかな橙色に染まる夕暮れの空が二人をあたたかく迎える。
二人を繋ぐ足取りは、いつもの移動よりもほんの少しだけ、ゆっくりとした穏やかなものだった。
◇
外へ出るためにロビーへと近づくにつれて、ナナセは少しずつ緊張しはじめていた。
アルカへ来てからというもの、休みの日にこうして個人的に外へ遊びに出ること自体、今までほとんどなかった。
任務で街へ出る機会はあっても、それは明確な目的が決まっており、向かう場所も時間も全て定められている仕事だ。
けれど、今日は違う。
ただ、セレンと一緒に美しい星を見に行く。
そんな自由で特別な外出は、ナナセにとって初めての経験だったのだ。
夕刻のロビーには、すでに同じように浜辺へと向かうらしい人々がちらほらと姿を見せ始めていた。
楽しそうに、賑やかに話しながら歩いていく人々を目にして、ナナセは無意識のうちにセレンの手をぎゅっと握り締めていた。
「大丈夫?」
その手の変化に、セレンが気付くと、静かに優しく問いかけた。
「……は、い」
返事はできた。
けれど、自分でも分かるほど、その声は緊張でほんの少し震えて揺れていた。
セレンは何も言わず、ナナセの顔をじっと見つめる。
それから、ふっと口元を緩めて笑った。
「……じゃあ」
次の瞬間――。
ふわっと浮遊感が襲い、ナナセの身体がふわりと空中に浮き上がった。
「わっ……!」
気づいた時には、セレンの腕の中にすっぽりと抱き上げられていた。
不意を突かれて驚くナナセのワンピースの裾が、ふわりと広がる。
セレンはそのまま、ナナセを腕に座らせるように抱え直した。
「抱っこなら安心でしょ」
「……」
ナナセは驚きで目を丸くしたまま、目線が同じ高さにあるセレンの顔を至近距離で見つめる。
そして、今の自分の状況と彼の言葉の意味を完全に理解すると、白い頬が熱く真っ赤に染まった。
「あのっ……自分で、歩きます……!」
「んー、今日はこのままでいいよ」
セレンは何でもないことのように平然と言いながら、軽い足取りで歩き出した。
「道中、もうちょっと人増えそうだし」
「でも……」
「大丈夫だよ」
そう優しく言って、ナナセを支える腕に少しだけ優しく力を込める。
「俺がいるから」
「……」
その揺るぎない言葉に、ナナセはもう何も言い返せなくなってしまった。
少しだけ照れくさそうに顔を伏せながらも、セレンの胸元へトスッと身体を丸めて預けることにした。
恥ずかしいような、情けないような気持ち。
けれど、不思議と腕の中から離れたいとは思わなかった。
むしろ、さっきまで胸の奥を締め付けていた緊張と不安が、セレンの確かな腕に包まれるうちに、少しずつほどけていった。
ギルドの大きなロビーを抜け、外の一歩へ出れば、夕暮れに染まる街には同じように浜辺を目指して歩く人々の姿が増え始めていた。
そんな賑やかな人波の中を、セレンは大事な宝物を抱えるようにナナセを腕に抱いたまま静かに歩いていく。
ナナセはその暖かな腕の中から、ほんの少しだけ顔を上げて周囲の景色を眺めた。
初めて目にする、任務の緊張感がない街の温かな景色。
そして、その美しい景色の中で自分を抱いて歩いてくれるセレン。
それだけで、知らない場所へ向かう不安は、綺麗に消え去っていたのだった。




