第134話 連絡係
ナナセが夜の森をひと筋の光のように飛び去っていくと、ほどなくして樹木の合間からナギたちの居る班の灯りが見えてきた。
その灯りのすぐ近くで待機していたナギが、夜空から舞い降りる小さな気配に気付く。
「あれ、ナナセじゃん」
ナギは少し驚いたような笑みを浮かべ、空中へそっと片手を差し出した。
ナナセはその手のひらへ、ふわりと軽やかに降り立った。
「どうしたの?」
「実践を始めていいそうです」
「お、了解」
ナナセの口から届けられたフィリスからの伝言を一通り聞いたナギは、彼女を手のひらに乗せたまま、遠く離れた森の向こうにある灯りの方へと視線を向けた。
少し離れた樹木の間で、フィリスが大きく片手を高く掲げているのが見えた。
模擬戦の開始を告げる、合図のサインだった。
「よし」
ナギもそれに応えるように、しっかりと手を上げ返す。
「じゃあ、始めようか」
ナギの声を合図に、周囲に控えていたソラトやヒヨリたちも、班員と共に一斉に行動を開始した。
それぞれが息を潜め、暗闇の広がる別々の方向へと弾かれたように散っていく。
そんな中、ナギはナナセを自分の肩へとそっと乗せ直すと、少し面白そうに口元を緩めて呟いた。
「じゃ、俺たちはどうしようかな」
「……?」
肩の上で、ナナセが不思議そうに首を小さく傾げる。
ナギは少し思案するように暗い森の深遠を見つめ、それから悪戯っ子のように楽しげに笑った。
「セレンに不意打ちでも仕掛けよっか」
「え」
ナナセがナギの思いもよらない提案に、思わず漏らしてしまう。
「大丈夫大丈夫。訓練だから」
ナギはフッと笑いながら、差し出した指先を軽く一閃させた。
すると、彼の周囲に満ちていた魔力が波紋のように静かに揺らぎ始める。
次の瞬間――。
ナギと、その肩に乗っていたナナセの身体の輪郭が曖昧になり、そのまま夜の深い森の闇へとすうっと溶け込んでいった。
ナギが得意とする、高度な隠密魔法。
自身の気配も視覚的な姿も極限まで遮断し、相手に気付かれないまま移動するためのナギらしい魔法だった。
ナギの戦い方は、セレンのそれとは根本的に異なる。
セレンが一瞬の隙を逃さず距離を詰め、一撃で仕留めるタイプなのだとすれば、ナギは巧みな魔法で自身の存在を完全に隠しながら、盤面全体を把握してじっくりと相手の隙を探るタイプだ。
足元の落ち枝や落ち葉の感触を確かめるように、音もなくゆっくりと踏み出しながら、木々の向こうの暗闇を注意深く見回す。
「セレン、どこかなぁ」
楽しげで軽快な声とは裏腹に、暗闇を見通すナギの視線は鋭かった。
ナナセもまた、彼の肩の上から息を潜めて周囲を見渡した。
月明かりの届かない暗い森、木々の葉を揺らして吹き抜ける冷たい風。
遥か遠くの空間で、班員の誰かが不用意に枝を踏みしだいた微かな音が耳に届く。
ナギはその明らかな音には反応を示さず、狙いを定めたように別の静寂が支配する方向へと静かに足を進めていく。
「……あいつ、こういう時どこにいるかな」
「状況的に、ナギさんと私を待っているんじゃないですか?」
「んー……」
ナギが声を潜めて可笑しそうに小さく笑う。
「たぶん、こっちを探しに来てると思うんだよね」
その的を射た言葉に、ナナセは少しだけ驚いた。
確かにセレンなら、自分で迎えに来るかもしれない。何となくそう思った。
「……そうかもしれませんね」
「でしょ?」
ナギは潜めた声で楽しそうに笑う。
「だから、先に見つけたほうが勝ち」
ナナセを肩に乗せたまま、ナギは気配を消した状態でさらに森の深い奥へと静かに侵入していく。
静まり返る夜の静寂の中――。
姿と音を消した二人は、暗闇のどこかに潜むセレンの気配をじっと探し始めたのだった。




