第131話 日照りに濡れる
妖精という存在は本来、体内に宿す自らの魔力を行き渡らせることで、外気の暑さや寒さに合わせて身体の温度をある程度自律的に調節できる。
けれど、今のナナセにとって、今日の降り注ぐ太陽の陽気は久しぶりに味わう強烈な暑さだった。
かつての傷から立ち直りつつあるものの、まだ魔力が完全な状態まで戻りきっているわけではない現在の身体では、急激な気温の上昇に合わせて上手に体温を調節することが追いついていなかったらしい。
巡回任務が一段落して休憩に入り、セレンが大きな木々の影で一息ついていると、彼の胸元の小さなポケットから、ナナセがそっと力なく顔を出した。
「……あつ……」
今にも消え入ってしまいそうな、小さな吐息のような呟きだった。
「ん?」
その微かな声を聞き逃さず、セレンがすぐさま視線を胸元へと落とす。
胸ポケットの縁に小さな手を力なくかけているナナセの白い髪が、じっとりと滲んだ汗のせいで額や柔らかい頬に張り付いてしまっていた。
「ナナセ」
「はい……」
「ちょっと外出て? 大きさも戻して」
「……? はい」
セレンに促されたナナセは、ポケットからふわりと風を求めるように飛び出す。
セレンから少し離れた柔らかい草地の上で、光を纏いながら身体を人間と同じ元の大きさへ戻すと、セレンはすぐに彼女の元へと駆け寄った。
「……汗、すごいじゃん」
セレンは驚いたように眉をひそめると、彼女の額に濡れて張り付いていた髪を、指先でそっと払ってやった。
「なんだか、ずっと暑くて……」
ナナセは自分の不甲斐なさに、申し訳なさそうな顔で小さく答える。
「大丈夫?」
セレンはそう優しく声をかけながら、迷わずナナセの手を取った。
「こっち」
引き寄せるようにして連れていかれたのは、大樹の枝葉が折り重なり、木々の影がもう一段深く落ちている涼やかな場所だった。
先ほどまで二人が立っていた場所よりも、肌に触れる空気の温度が明らかに涼しい。
「ここなら少しマシか」
「……はい」
ナナセは木陰の涼しさに包まれ、ホッと胸を撫で下ろすように小さく息を吐き出す。
それでもまだ、熱にあてられてぼんやりと焦点が定まらない様子のナナセを見て、セレンは自分が持っていた携行水を彼女へ差し出した。
「ナナセ、水飲んで」
「……ありがとうございます」
差し出された水を受け取り、ナナセはコクリと一口、口に含んだ。
冷たい――。
ひんやりとした水が喉を滑り落ち、熱を溜め込んで火照っていた身体の内側へとじんわり染み渡るように落ちていく。
ナナセは渇きを癒やすように、何度かゆっくりと味わうように飲んだ。
「……おいしい」
「うん。もう少し飲んで」
セレンに促されるまま、もう一口。
冷たい水が体内を巡るにつれ、少しずつ荒くなっていた呼吸と身体の熱が落ち着いていく。
セレンは介抱されながら水を飲むナナセの様子を、心配そうにじっと見つめていた。
「妖精って、暑さに弱かったりする?」
「本来は……もう少し、平気なんですけど」
ナナセは冷たい水が入った容器を持ったまま、自分の身体ごとぽつりと見下ろす。
「たぶん、まだ魔力が……うまく追いついてないみたいで」
「そっか」
セレンは何かを納得したように少しだけ考えたあと、ナナセの汗ばんだ髪をもう一度、そっと手で払った。
「じゃあ、今日は無理しない」
「でも……」
「だめ。具合悪くなったらちゃんと言って」
セレンの優しくも拒絶を許さない声に、ナナセは気圧されるように少しだけ目を伏せた。
「……はい」
素直に返事をしてから、身体を潤すようにもう一度小さく水を飲む。
心地よい冷たさが、全身の隅々へと広がっていく。
木々の向こうの陽の当たる場所では、フィリスたちが次の巡回ルートや行動について賑やかに話し合っている声が遠くに聞こえていた。
その頼もしい声に耳を傾けながら、ナナセはそっとセレンの方に意識を寄せた。
昔のように、暑さや身体が弱っていることを隠して一人で耐える必要はもうないのだ。
そう思えるだけで、彼女の肩から張り詰めていた余計な力がほんの少しだけ抜けていったのだった。




