第127話 水底の星屑
木々が鬱蒼と生い茂る森の奥深くを進んだ先には、神秘的な佇まいを見せる少し大きな湖が広がっていた。
深い緑の樹木に抱かれるように静かに広がる湖面は、吹き抜ける風が弱いせいか波ひとつ立っていない。
鏡のような水面には澄み渡る青空と木々の濃い緑がそのまま映り込み、時折、頭上の枝葉の隙間から差し込む光の筋が水面をきらりと優しく撫でていく。
湖の周囲には青々とした低い草地が広がり、澄んだ岸辺には小さな花々がぽつぽつと愛らしく咲き誇っていた。
引き込まれるような水はどこまでも清らかに透き通っていて、浅瀬のところでは水底に沈む滑らかな石の模様までハッキリと見て取れる。
静かだった――。
先ほどまで聞こえていた森のざわめきも、風が揺らす葉擦れの音も、ここではどこか遠くの世界の出来事のように感じられた。
「ふう……」
休憩に入ったフィリスが満足そうに息を吐き出し、眼前に広がる湖を気持ちよさそうに眺める。
「ここは結構涼しいな」
道中の森は思った以上に蒸し暑かった。
強烈な初夏の日差しが木々の隙間から容赦なく降り注ぎ、ただ歩いているだけでもじんわりと額や首元に汗が滲むほどだったのだ。
「もういいよね!」
草地に腰を下ろしていたヒヨリが、唐突にパッと立ち上がった。
「何が?」
「お先!」
ヒヨリは元気にそう言うなり、帯びていた武器を地面に置き、上着の制服を素早く脱ぎ捨て始める。
「おい、ヒヨリ」
フィリスが慌てて呆れた声を上げるより早く――。
ざぶん! と大きな爽快な水音が静かな森に響き渡った。
「冷たっ! 最高!」
「お前なぁ……」
その自由すぎる行動に呆れながらも、フィリスは思わず口元を緩めて笑ってしまう。
「まあ、暑かったしな。俺も行こっ!」
その背中を追うようにナギも威勢よく水へと飛び込み、ソラトたちもまた笑顔で後に続いていった。
「おー、気持ちいいじゃん!」
「涼しー!」
ついさっきまで任務のため警戒ながら森を歩いていた男たちが、今は童心に帰って互いに水を掛け合ったり、清らかな湖の中を気持ちよさそうに泳ぎ回っている。
こうしてはしゃいでいる姿を見ていると、ただの年相応な青年たちにしか見えないのだった。
ナナセはセレンの肩の上の岸辺からその賑やかな様子を眺めて、思わず口元をほころばせてくすりと笑った。
「セレンとナナセもおいで~!」
湖の真ん中あたりから、濡れた髪を拭いながらナギが楽しそうに手を振って呼びかけてくる。
ナナセは隣に立つセレンの顔をちらりと見上げた。
セレンは柔らかく目を細めて少しだけ笑うと、
「行っておいで」
そう優しく声をかけた。
「……!」
セレンの許可を得たナナセの瞳が、嬉しさでほんの少しキラキラと輝いた。
小さく素直に頷いて羽を広げると、セレンの肩から軽やかに離れた。
湖の透明な水面へ向かって飛びながら、彼女の小さな身体が、ふわりと元の人間と同じ大きさに戻っていく。
そのまま――。
ぽしゃん。
透き通った水面に小さな水音を立てて、ナナセが湖の中へと飛び込んだ。
「……!」
冷たい――。
どこまでも清らかな水が、彼女の全身を包み込んでいく。
先ほどまでの蒸し暑さで火照っていた肌から、熱が引いていくのが心地よい。
ナナセは浮力に身を任せ、水中でゆっくりと身体を伸ばした。
彼女が身に纏っている妖精の衣服も、澄んだ水の中では普段の陸上とは少し違った姿を見せていた。
薄い羽衣のような布地そのものが水に馴染み、身体を包み込む膜のように柔らかく、まるでクラゲのようにゆらゆらと揺れている。
普段、人間の目にはほとんど認識できない彼女の体内の魔力が、この透き通った水の中では光の屈折や、水面から降り注ぐ太陽光の加減によって、淡く神秘的に浮き上がっていた。
ナナセの身体の内側を巡る魔力――。
それが、美しく淡い光の筋となって水中でくっきりと見えていたのだ。
細く、どこまでも静かに、彼女の身体の内側を巡っていく光。
その優美な光の流れから、細かな光の粒がまるで息づくようにパラパラとこぼれ落ちていく。
水の中を優雅に漂うそれは、まるで夜空に輝く星屑そのものだった。
ナナセが水中でしなやかに腕を動かす。
すると、その動きに導かれるようにして光の粒もきらりと水の中で美しい軌跡を描いて流れていく。
水中で長い髪が優雅に揺れ動くと、その周りを光の粒たちが追いかけるように舞う。
彼女が身体をゆっくりと回転させれば、星屑のような光が一緒に円を描いて流れ、水底に向かってゆっくりと散り広がっていく。
澄み渡る湖の中に、ナナセ自身が幻想的な淡い夜空を創造しているかのようだった。
「……綺麗だな」
岸辺の草地に立ち、その光景をじっと見つめていたセレンが、思わずぽつりと呟く。
水面からぷはっと顔を出したナナセが、楽し気に声を出した。
「冷たい……」
その愛らしい声に、セレンも目元を緩めて笑い返す。
「気持ちよさそうだね」
「はい」
ナナセはもう一度、滑らかに水の中へと身体を潜らせた。
美しく眩しい光の筋が水中で幻想的に揺らめき、散らばる星屑が彼女の後を追うように水中を華やかに舞った。
セレンは湖の水面に揺れる太陽の光と、その光の中心で誰よりも美しく輝くナナセの姿を、ただ静かに見つめ続けていたのだった。




