第124話 不屈の誇り
セレンは静かにナナセの手を引いたまま、人通りの少ないあの小さな中庭へと向かっていた。
オレンジ色の鮮やかな夕暮れの光が木々の隙間から柔らかく差し込み、静かに佇む噴水の水面を淡くキラキラと揺らしている。
「ちょっと休んでこ」
セレンが優しくそう言って、噴水の縁にある石造りの座面へ腰を下ろした。
ナナセもそのすぐ隣に静かに寄り添うように座る。
けれど、先ほどからずっと彼女は膝の上で手を結び、顔を俯かせたままだった。
頭の中には、去り際にアザミが吐き捨てるように残していった言葉が、何度も重く響いていた。
『カネル様も、あなたが抜けて大変だったというのに』
『私たちもね』
自分の中で、その言葉を否定できるだけの強い言葉がどうしても見つからなかった。
「……やっぱり、迷惑でしたよね」
ぽつり、と耐えかねたように小さな罪悪感を零す。
「私がいなくなって、アザミさんたちの仕事が増えて……」
「ナナセ」
セレンがそれ以上彼女が自分を責めないように、優しい声で言葉を遮る。
そして膝の上で強張っていたその手を取り、大きな手で温めるように握り締めた。
「五部隊の仕事が大変だったことと、ナナセがあそこで無理をしてたことは、同じ話じゃない」
ナナセは、ゆっくりと顔を上げた。
「謝る必要はないよ」
「でも……」
ナナセはセレンに繋がれた自分の手を、縋るようにほんの少し強く握り返した。
「申し訳なくて。きっと、アザミさんはやりがいを見つけて、自分のことも自分で管理出来て。ちゃんと、第五部隊での誇りがあるんです。だから……思わず私に言ったんだと思うんです」
セレンは、ナナセのアザミに対してすくい取った感情をすぐには否定しなかった。
ただ、彼女の繊細で優しい手を、両手で包み込むようにして優しく握り返す。
「そう思うのは仕方ないよ」
静かで、どこまでも凪いだ声だった。
「でも、抱えなくていい」
ナナセは何も言わず、黙ってセレンの顔を見つめる。
自分が感じた思いや相手の立場を一方的に否定されなかったことが、彼女にとっては少しだけ不思議で、そして救われる心地だった。
「五部隊の妖精たちに大変だったと思う人がいるのも、たぶん本当なんだと思う。ナナセは優秀だったろうしね」
セレンはそう言って、ナナセの瞳をまっ直ぐに見つめた。
「でも、それをナナセが背負う必要はない」
「……」
「それに」
セレンの声が、いつにも増して甘く柔らかくなる。
「いまナナセがいるのは、俺の隣でしょ」
ナナセの瞳が、驚きと溢れ出す感情で大きく揺れた。
セレンの言葉が、じんわりと温かく胸の深層へと静かに落ちていく。
アザミに直接ぶつけられたあの鋭い言葉の痛みが、すぐに全て綺麗に消えてなくなったわけではない。
自分が特別部隊へ移動したことで、かつての仲間に負担をかけてしまったという事実そのものまで、なかったことにして忘れ去るわけにはいかない。
けれど――。
今、自分が居るべき大切な場所は。
ナナセはそっと自分の隣を見た。
自分を逃がさないように繋がれた大きな手が、確かな体温と強さを持ってそこにある。
ナナセはふっと、肩の力を抜いて深く小さく息を吐き出した。
「……少し怖かったです」
素直な本音を口にしたナナセに、セレンは少し嬉しそうに目を細めた。
「うん」
それだけを優しく返して、ナナセの手をもう一度慈しむように包み込む。
「大丈夫」
夕暮れの中庭に響く清らかな噴水の音に混ざり合うような、どこまでも穏やかな声。
「もうここには誰も来ないよ」
そう言って、セレンは彼女を心から安心させるように柔らかく笑ってみせた。
ナナセはそのセレンの眩しいほどの笑顔をじっと見つめる。
アザミとの再会以来、胸の奥に固く残っていた冷たく硬い結び目が、ほんの少しずつ解けていくのを感じていた。
「……はい」
小さく、けれど確かな声で返事をして、ナナセもセレンに向かって少しだけ微笑んで見せた。
セレンは彼女のその柔らかな笑みを見届けると、もう何も言わずに、ただその小さな手をしっかりと握り締めたまま、夕暮れの空の下で静かに隣に居続けてくれたのだった。




