第123話 アザミの棘
すれ違いざまの、ほんの一瞬のことだった。
先ほど去っていった第五部隊の後ろを追うように飛んでいた使役妖精たちの中から、一人がすっと列を離れる。
そしてナナセの目の前でぴたりと立ち止まると、ふわりと光を纏いながら、身体を元の大きさへと戻した。
「……ナナセじゃない」
どこか棘を含んだ、わずかに冷ややかさを残した声だった。
ナナセの身体が、一瞬で固まったようにほんの少し強張る。
「……アザミさん。お久しぶりです」
ナナセは視線を落とし、小さく丁寧に頭を下げる。
目の前に立っていたのは、第五部隊に所属する使役妖精の一人、アザミだった。
思い返せば、以前行われた使役妖精の定例集会の場でも、アザミはナナセに対して何か言いたそうに唇を動かしていた。
けれど結局、最後は何も言わずに視線を逸らしていたのだ。
その時の記憶が脳裏を掠め、ナナセは無意識のうちに少しだけ身構えてしまう。
隣に立つセレンは、余計な口を挟もうとはしなかった。
ただ、繋いだ手を離そうとはせず、ナナセの様子と目の前のアザミの動向を静かに見守っていた。
アザミは、ナナセの頭からつま先までを品定めするようにじろじろと眺めると、嫌味っぽく口を開いた。
「元気そうね」
「……はい」
ナナセの返事は蚊の鳴くように小さい。
そのおどおどとした控えめな様子を見ていたアザミの表情が、苛立ちからか、わずかに歪んだ。
「カネル様も、あなたが抜けて大変だったというのに」
その言葉に、ナナセの肩がぴくりと震える。
「私たちもね」
その怨嗟のこもった不満の言葉が口から落ちた。
ただ、その瞬間。
アザミ自身が、ハッと己の失言に気づいて、息を呑んだ。
ナナセのすぐ隣に、特別部隊のセレンがいるのだ。
自分が今、誰の前で何を口にしてしまったのかを遅まきながら理解し、アザミは慌てて口を固く閉ざした。
セレンは怒鳴るわけでも、声を荒らげるわけでもなかった。
ただ静かに、アザミを見つめていた。
感情を殺した冷たい視線だった。圧迫感のある大きな動作も威圧もない。
それでも、これ以上ナナセに対して不躾な言葉を続けることを許さない、そんな静けさがそこにはあった。
セレンの視線に晒されたアザミの顔色が、みるみるうちに蒼白へと変わっていき、その場に重苦しい沈黙が落ちる。
アザミがこれ以上続ける言葉がないと分かると、やがてセレンは感情の起伏を感じさせない淡々とした声で口を開いた。
「もういい?」
氷のように静かなその声に、アザミは声を発することすらできなかった。
ナナセは言葉を失ったまま、セレンと固く繋がれた自分の手を一点に見つめていた。
「……すみません」
そして、アザミからぶつけられた言葉に対してか、隣のセレンに対してか、あるいはこの気まずい状況そのものに対してなのか、消え入りそうな声で小さく呟いた。
セレンはナナセのその呟きを聞くや否や、すぐに優しい眼差しで彼女を見下ろした。
「ナナセが謝ることじゃないでしょ」
アザミに向けた冷たさとはあまりにも対照的な、どこまでも甘く穏やかな声だった。
そのセレンの態度と温かな言葉に、アザミは驚きで目を見開いた。
改めてナナセを見る。
そこには、以前の第五部隊にいた頃と何一つ変わらず、小さく身を縮めているナナセの姿があった。
けれど――。
以前の彼女とは、決定的に違っていた。
今の彼女のすぐ隣には、絶対的な味方であるセレンがいる。
セレンはナナセの手をしっかりと握り締め、彼女を守るようにごく当たり前にそこに立っているのだ。
アザミは悔しそうに何かを言い返そうと唇を震わせた。
けれど、結局何の言葉も形にはならなかった。
「……っ」
アザミは顔を歪めながら、礼すら交わさず静かに背を向けた。
背中の羽を大きく広げると、ふわりと小さな身体が宙へ浮き、そのまま逃げるように第五部隊の列の向こうへ戻っていってしまった。
ナナセは夕空へと遠ざかっていくアザミの小さな背中を、複雑な想いでしばらくじっと見つめていた。
セレンはアザミのことについても、過去のことについても、何も聞こうとはしなかった。
ただ、繋いでいた小さな手を、安心させるように少しだけ強く握り直す。
ナナセがはっと顔を上げた。
セレンと優しく視線が重なり合う。
「……行こうか」
「……はい」
二人は再び、ゆっくりと歩みを進め始めた。




