第122話 交錯する視線
「じゃ、お疲れ」
背後から掛けられたフィリスの気さくな声を背に、二人は夕暮れの柔らかな光に包まれたアルカの敷地内を歩いていた。
無事に午後の任務を終え、本部へ戻ったセレンは、いつものようにナナセの小さな手を優しく引きながらロビーを抜け、敷地の中央に広がる大きな庭園へと足を進めていた。
季節は春の終わり――。
かつて感じられた冬の冷たい名残はすっかりと失われ、木々の枝々には瑞々しい若葉が青々と茂っている。
庭園を彩る花々も最盛期を過ぎつつあったが、夕日に照らされてなお色鮮やかな色彩を残していた。
ナナセはセレンの隣を並んで歩きながら、どこかぼんやりとその美しい庭園の風景を眺めていた。
その時――。
ふと、前方の木々の隙間からこちらへと歩いてくる人影が視界に入った。
「……あ」
ナナセの足取りが、ほんの少しだけ鈍く止まりかける。
遠巻きにこちらへと歩を進めてくる、訓練の帰りらしき集団。
忘れようもない、見覚えのある面々だ。
第五部隊――。
その集団の中心を歩く男、カネルの姿をはっきりと認めた瞬間、ナナセの身体が緊張でわずかに強張った。
相手側もまた、こちらのことに気づいている。
向こうも気まずいのか何となく視線を逸らしながら、そのまま何事もなくすれ違おうとしていた。
ナナセはセレンの足を止めまいと、何も口には出さない。
ただ、セレンの手を握りしめている自分の指先に、ほんの少しだけ無意識の力がこもってしまった。
その指先の微かな強張りや体温の変化を、セレンが逃さず感じ取る。
けれど、セレンは何も言わなかった。
ただ、彼女に不安を与えないように、握られた小さな手を静かに、けれど力強く握り返してやる。
それだけの無言の応答だった。
二つの集団の距離が、一歩、また一歩と近づいていく。
ナナセは過去の記憶が脳裏を掠め、無意識のうちにすっと首をすくめて俯き、セレンと繋いだ自分の手元をじっと見つめた。
やがて、互いにすれ違う直前――。
第五部隊の足が、ぴたりと止まった。
「……」
カネルをはじめとする部隊の面々が、セレンに対して深く軽く敬意を込めて会釈を交わす。
セレンは特に表情を崩すこともなく、ほんの僅かに視線を彼らへと向けただけだった。
本来であれば、そのまま言葉を交わすこともなく通り過ぎていくはずだった。
けれど、カネルがふと、セレンの隣で俯いているナナセへと目を移した。
ほんの一瞬、ただの気まぐれのような視線だった。
――その視線がナナセの元へと届くよりも前に。
カネルは、別の視線の存在に気づき、背筋を凍らせた。
氷のように冷たく、どこまでも静かで、刺すように鋭い眼差し。
ナナセの隣に立つセレンが、カネルの顔を一切の感情を排した瞳でじっと射抜いていた。
何か警告の言葉を口にするわけでもない。
表情の筋肉一つすら動いてはいない。
ただ、ナナセへ視線を向けようとしたことそのものすら、絶対に許さず見逃さないという、圧倒的な威圧を孕んだ目だった。
カネルの動いた視線が、恐怖で凍りついたように止まる。
「……っ」
息が詰まるような、わずかな沈黙。
カネルは、すぐさまセレンから視線を逸らした。
「……行くぞ」
引きつった声で部下に促し、第五部隊の面々が逃げるように再び歩き出していく。
ナナセもまた、去っていく彼らの背中を追うようなことはしなかった。
ただ、しっかりと握り締められたセレンの手の温もりを手のひらに感じながら、胸に溜まっていた息を小さく吐き出す。
セレンは何も言わない。
けれど、彼女を護るように握りしめた手だけは、最後まで決して離そうとはしなかった。
そのまま二人は、美しい夕暮れの庭園を静かに歩いていく。
瑞々しい若葉を揺らす夕方の風が、ぴったりと寄り添う二人の間を穏やかに通り抜けていくだけだった。




