第112話 受容
キサが部屋をあとにし、しばらく経った頃――。
静まり返ったリビングにまで、寝室から荒く苦しげな息遣いが漏れ聞こえてきた。
セレンは異変にすぐさま気付き、ベッドの傍らへと駆けつけた。
「ナナセ」
名前を呼ぶと、ナナセが重そうな瞼をうっすらと開ける。
キサの予想通り先ほどよりも熱が上がってしまっているらしく、その白い額にはじんわりと熱い汗が滲んでいた。
「きつい?」
「……っ……ん……」
ナナセはかすかに唇を動かして答えようとするものの、熱のせいで呼吸が乱れてしまっていて、曖昧に小さく頷くのが精一杯だった。
「そっか」
セレンは水で濡らして固く絞ったタオルを手に取る。
額に浮いた熱い汗をそっと優しく拭い、そのまま熱を持った首元へと静かに滑らせる。
「……っ」
ナナセはひんやりとした感触に、少しだけ気持ちよさそうに目を閉じた。
冷やしタオルの心地よさに、熱で強ばり張り詰めていた身体からわずかに力が抜けていく。
「薬、打ってもいい?」
セレンがナナセの熱くなった腕をそっと撫でながら尋ねる。
その優しい手つきに、ナナセは少し迷うように熱に揺れる瞳を開けると、小さく頷いてみせた。
「……は、い……」
「分かった」
セレンはキサから渡されていた薬の小瓶と注射器を手に取った。
熱を帯びたナナセの細い腕をしっかりと、けれど痛めつけないよう優しく支えながら、慣れた手つきで落ち着いて準備を進めていく。
「ちょっと痛むよ」
「……ん」
細い針が肌を刺し、腕の皮膚へ入る。
ちく、とした明確な痛みに、ナナセの肩がびくりと小さく震えた。
「……っ」
「大丈夫」
すぐにセレンの大きな手がナナセの頭へそっと触れる。
痛みを紛らわせるようにゆっくりと撫で続けながら、薬を少しずつ投与していく。
「はい、終わり」
セレンは注射を無事に終えると、使い終えた針を処理して、すぐさまナナセの傍らへと戻ってきた。
「効くまでもうちょっと耐えてね」
その低く温かな声を聞いて、ナナセは安心したように頷いた。
セレンは不安を打ち消すように、そのまま彼女の髪と頭を撫で続けていた。
薬の効果はすぐに表れた。
数分ほど経つと、あれほど荒かったナナセの呼吸が少しずつ穏やかなリズムへと落ち着いていく。
強ばっていたナナセの肩からも、すうっと余計な力が抜けていった。
「……よかった」
呼吸の安定を確認し、セレンが安堵の息とともに小さく呟く。
ナナセは薄く目を開けた。
自分が苦しい間、ずっと側にいて肩や頭を撫でてくれていたセレンを見つめ、どこか申し訳なさそうにぽつりと口を開いた。
「……すみません」
「ん?」
「ずっと……いてもらって」
セレンは予想外の言葉に少しだけ目を丸くした。
それから、優しく口元を緩めて笑う。
「謝らなくていいよ」
ナナセの汗ばんだ額をもう一度慈しむように撫でる。
「何でも言って」
「……」
「きついとか、怖いとか、痛いとか」
セレンは、彼女の心に届くようにゆっくりと言葉を重ねていく。
「俺に言っていいから」
ナナセはしばらくの間、セレンの温かな瞳をまっすぐに見つめ返していた。
そして、その深い優しさに包まれながら、ほんの少しだけ目元を解けさせるように緩めた。
「……はい」
今度の返事は、さっきまでの遠慮がちな声よりもずっと柔らかく、穏やかだった。
セレンはそのまま、ベッドの上に置かれたナナセの小さな手をそっと優しく握りしめた。
「じゃあ、もう少し寝よ」
「……はい」
ナナセはセレンに握られた大きな手に、そっと身を寄せ、そのまま静かに眠りの中へと落ちていくのだった。




