第110話 妖精の熱
「なにかあった?」
セレンからの連絡を受けて部屋へやって来たキサが、セレンのベッドで大人しく横になっているナナセの顔を覗き込みながら尋ねる。
なにか、と言われて真っ先に思い浮かべたことといえば、昨晩の出来事だった。
セレンは考え込むように少し黙り込んだ後、言葉を濁すように告げた。
「……昨日、色々あって」
それから、少しだけ言いにくそうに言葉を続ける。
「大泣きはした」
「え」
キサが意外な理由に思わず目を丸くすると、そのまま視線がベッドのナナセへと向けられる。
毛布に包まれたナナセは、キサに見つめられて気まずそうにそっと目を逸らした。
「……はは」
キサは二人の妙に初々しい雰囲気に、耐えきれず小さく吹き出してしまった。
「そういうことか」
「何」
「いや。ナナセがここまで感情を出せるようになったんだなって」
キサは笑みを浮かべながらベッドの脇へ優しく腰を下ろし、熱を帯びたナナセの顔色や呼吸を丁寧に確認していく。
「たぶん、気が抜けちゃったんだろうね」
「……よくなかった?」
「いや?」
キサはどこまでも穏やかに笑う。
「すごくいいことだよ」
ナナセがうっすらと重い目を開ける。
キサのその温かな言葉が耳に届いているのかいないのか、熱のせいでぼんやりとした瞳でキサを見つめていた。
「昨日までずっと張り詰めてたものが、一気に抜けたんじゃないかな」
「……」
セレンはベッドで横たわるナナセを静かに見つめた。
昨夜泣き腫らした目元も、今は熱のせいで少し潤み、赤みを帯びている。
「もうちょっと熱が上がるかもしれない」
キサは持参した医療キットから、小瓶に入った注射用の薬を取り出した。
「そのときは、これ打ってあげて」
「分かった」
セレンはそれを受け取り、手元で確認する。
特別部隊の人間は、現場での簡単な応急処置や自己治療程度なら問題なく自分たちで行うことができるのだ。
そのため、ナナセへの投薬や経過観察も、今回はセレンが一任されることになった。
「無理に起こさなくていいから。様子だけ見ておいて」
「了解」
キサが診察を終え、静かに立ち上がる。
その気配を感じ取ったのか、ナナセが再び薄く目を開いた。
熱でとろんとした眼差しで、セレンとキサの姿を交互に見つめる。
どこか置いていかれるのを恐れるように、ほんの少しだけ不安そうだった。
「大丈夫」
そういいながら、セレンはベッドの脇に座り直すと、ナナセの汗ばんだ頭をそっと優しく撫でてやる。
「少し寝て」
「……はい」
消え入りそうな小さな返事。
けれど、セレンの手に触れられたことで安心したのか、ナナセはすぐに瞳を閉じた。
セレンはしばらくの間、彼女の寝顔をじっと見つめ続ける。
キサはそんな二人の様子を側で見守り、微笑ましそうに少しだけ笑うと、部屋を出ていく。
静けさを取り戻した静かな寝室で、セレンはナナセの熱い額へそっと手を当てた。
「……ゆっくり休んで」
すでに眠りに落ちているナナセには決して届かないほどの小さな声で、セレンはそう呟くのだった。




