第109話 小さな解れ
訓練を無事に終え、部屋へ戻る帰り道。
夕闇の迫る廊下を歩きながら、セレンはふと歩む足を緩めた。
手を引かれ、少し後ろを歩いているナナセの方を振り向く。
目元の酷い腫れは、今朝冷やした甲斐あってか、もうほとんど残っていない。
けれど、何となく今日のナナセは様子がおかしかった。
いつもより少し意識がぼんやりとしているようで、歩く速度もどこか力なくゆったりとしている。
「ナナセ」
「……はい?」
名を呼ばれてゆっくりと顔を上げたナナセは、不思議そうにセレンの顔を見つめ返した。
「なんか、具合悪い?」
「え?」
ナナセは小さく首を傾げる。
どうやら自分自身の体調の異変に、本人も自覚がないらしい。
セレンはその場で足をピタリと止めた。
「ちょっとみせて」
すっと距離を詰めると、ナナセの細い首筋へとそっと大きな手を添えてみる。
温かな肌に触れた瞬間、セレンは眉をひそめた。
「……熱くない?」
「そうですか?」
「うん。いつもより熱い」
首筋に触れているセレンの掌の冷たさが、今のナナセにはじんわりと心地よかった。
「……」
熱を持った身体が求めるままに、吸い寄せられるようにほんの少しだけセレンの手へ体重を預けてしまう。
「微熱あるんじゃない?」
「そう、なんですか……?」
返ってくる声も、まだどこか熱に浮かされたようにぼんやりとしている。
セレンは呆れたように小さく溜め息を吐いた。
「自覚ないんだ」
「……元気だと思ってました」
「その顔で言われてもな」
セレンが可笑しそうに苦笑する。
そして、しゃがんで視線を合わせることもなく、そのままの手でナナセの小さな身体をふわっと腕の中に抱き上げた。
「おいで」
「わ……」
突然浮遊感とともに視界が高くなる。
ぐわん、と周囲の景色が揺れて、ナナセもようやく自分の身体に起きている違和感に気が付いた。
自分で身体を支えようと力を入れようとしても、頭も心身もなんとなくふわふわと浮いているような感覚。
「……セレンさん」
「うん?」
「ちょっと……変かもしれません」
「やっぱり?」
セレンはナナセに衝撃を与えないよう、歩く速度をそっと落とした。
腕の中のナナセの身体をしっかりと抱き直すと、彼女の熱っぽい額が自分の胸元へと優しく触れる位置まで引き寄せる。
「寄っかかっていいよ」
「でも……」
「部屋に戻ったらキサに連絡するから」
「……はい」
ナナセはかすかな声で小さく返事をした。
廊下に響く、セレンの規則正しい一定の足音。
服越しに伝わってくる温もりが、今の熱を持った身体には少しだけ暑く感じる。
それでも――。
自分をしっかりと腕の中に抱いてくれているその強さと優しさだけは、ひどく安心できた。
「……眠い?」
「少し……」
「寝てもいいよ」
セレンのその穏やかな一言を聞いて、ナナセは静かに瞼を閉じた。
セレンは自分の腕の中で、次第にすうっと力が抜けていくナナセの重みを感じながら、少しだけ心配そうに眉を寄せた。
ナナセはセレンの胸元に頬を寄せたまま、静かな呼吸を繰り返していた。




