第108話 変わらない居場所
訓練所。
いつものようにセレンたちが武器の点検をし、訓練の準備を進めていると、ナナセの顔をふと覗き込んだヒヨリが、ある異変に気付いた。
「……ん?」
ヒヨリは歩みを止め、じっとナナセの顔を見つめる。
「ナナセ、目どうしたの?」
「え?」
「ちょっと腫れてない?」
急に指摘されたナナセは、驚いて思わず自分の目元へと細い指先を触れた。
「……少しだけ」
「え、喧嘩?」
「そんなわけないだろ」
すぐ隣にいたセレンが、間髪入れずに否定する。
「えー、でも目元腫れてるし」
「うるさい」
「いてっ」
セレンは容赦なくヒヨリの頭を軽くどついてみせる。
「なんで俺がナナセと喧嘩するんだよ」
「いや、知らないけどさ」
「知らないなら言うな」
そんな二人の漫才のようなやり取りを間近で見ていたナギが、耐えきれずに吹き出した。
「はは、朝から何やってんの」
「ヒヨリが変なこと言うから」
「だってさぁ」
ヒヨリも痛がりながら笑って頭をさする。
様子を窺っていたソラトやフィリスまでもが、おかしそうに小さく笑っていた。
ナナセもみんなの楽しそうな空気に包まれ、つられるように、くす、と小さく笑った。
「……仲良しですね」
「どこが?」
セレンが心底心外だと言わんばかりの呆れた顔をする。
「俺はこいつと仲良くするつもりないけど」
「言いすぎ言いすぎ!」
セレンの素っ気ない返しに、また一段と賑やかな笑い声が訓練所に響いた。
そんな和やかな雰囲気の中で、ナギはふとナナセへと視線を向けた。
ナナセの首元には、光を反射して輝くあの銀色のハチドリのペンダントが、今日も誇らしげに揺れている。
そして今の彼女は、かつて訓練所に来たばかりの頃に見せていた、どこか周囲から一定の距離を取るような張り詰めた雰囲気が綺麗に消え去り、以前よりずっと柔らかく穏やかな表情を浮かべていた。
ヒヨリも、ソラトも、フィリスも。
ナナセのその小さな、けれど大きな変化に、何となく同じことを感じ取っていた。
けれど、誰もそれを野暮に口には出さない。
ただ、ナナセがこうしてみんなの中で当たり前のように笑っていることに、胸の奥でひっそりと安心する。
セレンの傍らにいることが、彼女にとって少しずつ当たり前の日常になっていく。
そして、その「当たり前」という場所が、ナナセにとって何よりも心地よい存在になっている。
それが分かっているからこそ、誰も余計なことは言わずに、ただ温かく笑い合っていたのだった。
「じゃ、そろそろ始めるぞ」
フィリスの隊長らしい号令の声が響き、皆がそれぞれの準備へと戻っていく。
ナナセもいつもの日課のように、訓練所の端に置かれたセレンの上着へと向かう。
「ナナセ」
背後からセレンに呼び止められた。
「はい?」
「今日もそこで見てて」
「はい」
小さく嬉しそうに笑うナナセの表情を見て、セレンもまた、わずかに口元を緩めるのだった。




