第106話 自省
泣き腫らした顔で静かに目を閉じるナナセの眠り顔を横目で見届け、セレンは音を立てないよう静かに寝室をあとにした。
パタン、と木製の扉をそっと閉め、静まり返ったリビングへと戻る。
ふと視線を落とすと、激しく泣きじゃくったナナセの涙で、胸元がじんわりと濡れてしまった自分の服が目に入った。
「……結構泣いたな」
部屋の静寂の中に、小さく言葉を溢れさせる。
セレンは小さく呟きながら、湿った上着のボタンを外し、着替えを始めた。
服を脱ぎ捨てながら、先ほどまで自分の胸の中で声を上げて泣いていたナナセの姿を脳裏に思い返す。
あんなふうに、自身の抑えきれない感情を剥き出しにして露わにする姿を見たのは、出会ってから初めてのことだった。
子どものように泣いて、声と身体を激しく震わせて。
それでもなお、縋るように自分の服を片時も離さずに握りしめていた。
「……」
あの時の感触と表情を思い返すだけで、自分でも驚くほど自然と口元が甘く緩んでしまう。
愛おしい。
心から、そう思った。
けれど、それと同時に――。
ナナセを腕の中で強く抱きしめている間、自身の胸の奥にはまた別の生々しい感情も確かに存在していた。
自分だけに、あんな無防備で泣きじゃくる顔を見せていればいい。
他の誰の前でもなく、自分の腕の中でだけ、あんなふうに弱音を吐いて泣いてくれればいい。
胸の奥を黒く焦がすような、暗い独占欲。
「……俺も大概だな」
セレンは自嘲気味にぽつりと苦笑する。
傷つき泣いている彼女を優しく慰めながら、裏でそんな独占欲を滾らせていた自分があまりにもおかしかったからだ。
ナナセが自分という存在を必要としてくれている。
自分がここにいていいのだと、自分こそが自分の帰る場所なのだと思ってくれている。
その揺るぎない事実が、胸が痛くなるほど嬉しかった。
思えば、自分自身もナナセと同じだったのかもしれない。
ただ一方的にナナセを守り、保護しているつもりでいた。
けれど本当は、ナナセに頼られ、必要とされることで、自分自身の空苛んだ心が深く満たされていたのだ。
誰かに必要とされること。
ずっとそばにいてほしいと心から望まれること。
自分を縛る過去や孤独の中で、それがこれほどまでに胸を満たし、心地いいものだとは夢にも思っていなかった。
セレンは乾いた新しい服に袖を通し、着替えを終える。
そして、静まり返った寝室の扉の方へとゆっくりと視線を向けた。
「……お互い様か」
静かな部屋で小さく呟くと、セレンは自分たちの不器用な関係性に、少しだけ可笑しそうに笑ったのだった。
セレンが寝室へ戻り、室内の明かりをそっと落とす。
足音を忍ばせて静かにベッドへ入ると、隣で眠っていたナナセが僅かに身じろぎした。
無意識の眠りの中で、温もりを探すようにそっと身体を寄せてくる。
「……」
セレンは思わず口元を緩めた。
起こさないように気遣いながら、ナナセの柔らかな頬へそっと手を添える。
温かな指先でゆっくりと肌を撫で、小さな目元を丁寧になぞった。
目元の長いまつ毛に指先がそっと触れる。
たくさん泣いた跡はまだ少し濡れていて毛束をなし、ひんやりとした感触が伝わってきた。
「……大丈夫」
小さく優しく呟きながら、セレンは滑り落ちかけていた毛布をナナセの肩までそっと引き上げる。
そして、その小さく愛おしい身体を抱き寄せた。
腕の中にすっぽりと収まる確かな温もりを感じながら、セレンも静かに目を閉じる。
今度はもう、何も考えなかった。
ただ、こうして自分の隣に大切な彼女がいることを確かめるように。
セレンはナナセを腕に抱いたまま、安らかな眠りにつくのだった。




