第102話 護りの紋章
訓練中、ナナセはいつものように訓練所の端に置かれたセレンの上着の中で、静かに羽を休めて過ごしていた。
激しい武器の交錯音や隊員たちの掛け声を聞きながら、上着の隙間からじっとセレンたちの凛々しい動きを見つめている。
「終わったー」
やがて荒い息とともに訓練が一段落し、ナギたちが汗を拭いながら戻ってきた。
セレンも手慣れた動作で武器を片付けながら、ナナセの待つ場所へと戻ってくる。
ナナセも安心したように上着の中からそっと抜け出ると、ふわりと光を纏っていつもの大きさに戻った。
その瞬間。
シャラ、と涼やかな小さな金属音が静かな空間に響いた。
「……ん?」
真っ先にナギが違和感を覚えて振り返る。
ナナセの胸元で、銀色のハチドリが訓練所の光を受けて反射しながら揺れていた。
「え、ナナセ。それ……」
ナギの驚いたような声に引き寄せられるように、フィリスやソラト、ヒヨリ、リツまでもが一斉にナナセの首元へ視線を向けた。
ナナセは何が起きたのか分からず、不思議そうに首を傾げる。
「これ、ですか?」
華奢な指先で、胸元のペンダントをそっと持ち上げて見せた。
「うん。それ」
ナギは目を細めてそのペンダントを凝視し、次いで隣にいるセレンへと視線を移した。
当のセレンは何でもないような素知らぬ顔で、淡々と武器の点検を続けている。
「……セレン?」
「……なに」
「いや」
ナギはナナセとセレンの顔を交互に見比べた。
「へぇ……」
どこか納得したような、妙に含みのある面白がる声を漏らす。
「え?」
ナナセはますます首を傾げ、困惑を深めた。
するとナギは、自分の服の首元へとすっと手を伸ばした。
「ほら」
服の中からチェーンを引き出し、その先につけられたものをナナセの目の前へと差し出してみせる。
「……え」
ナナセの瞳が驚きで大きく丸くなった。
そこにぶら下がっていたのは、ナナセの胸元にあるものと全く同じ形をしたハチドリだった。
繊細な銀色の翼、羽の細かな装飾。そして、中央に嵌め込まれた輝く宝石。
違っていたのは、中央に別の色の宝石が嵌め込まれている点だけだった。
「同じ……」
「でしょ?」
ナギが面白そうにふっと笑う。
そして、フィリスも。
服のポケットからペンダントを取り出すと、手のひらの上に載せて見せた。
「俺も持ってるよ」
ソラトたちもそれぞれ身につけていたペンダントを引き出し、ナナセへ見せてくれる。
驚いたことに、どれも全く同じ造形のハチドリだった。
ナナセは自分の胸元にあるハチドリへと、戸惑いがちに視線を落とした。
「これ……何なんですか?」
ナナセの切実な問いかけに、今度は誰もすぐには答えなかった。
ナギがチラリとセレンに視線を送る。
「……え、言ってないの?」
「……まぁ」
それだけ短く呟くと、セレンは気まずそうに視線を逸らし、小さく息を吐き出した。
どうやらセレン自身から詳しく説明する気はないらしい様子を見て取り、フィリスが代わりに優しく口を開く。
「それ、エーテルの紋章」
「紋章……?」
「エーテルは俺たちの昔の組織の名前」
「……え」
ナナセは息を呑み、もう一度胸元のペンダントを見つめ直した。
昨夜目にした、裏側に深く刻まれていたあの文字。
あれは、工房の名前でも、ハチドリ自体の名前でもなかったのだ。
「これが……」
「そう。俺たち、昔からこれ持ってるんだよ」
ナギが自分のペンダントを指先でチリンと揺らしてみせる。
「そう、だったんですね……」
ナナセは自分と仲間たちのペンダントを何度も見比べた。
みんなとおそろいの同じ形をしていることが、どこか不思議で、胸の奥がじんわりと温かくなるほど嬉しかった。
けれど――そんな歴史ある大切なものを、ただの使役妖精である自分が持っていて本当に良いのだろうか。そんな小さな恐縮と不安が胸を掠める。
そんなナナセの思考を見抜いたように、フィリスが言葉を続けた。
「セレンが渡すなんて、よっぽどだね」
「何がですか?」
ナナセが素直に首を傾げる。
フィリスは一瞬だけセレンの方へ視線を遣り、穏やかに少し笑った。
「ナナセが、俺たち側にいるってこと」
ナナセは驚きでパチパチと目を瞬かせた。
「……私が?」
「そう」
フィリスは肯定するように、深く優しく頷いた。
「アルカの中じゃ、俺たちが別の組織だったって話は割と有名な話なんだよ。その紋章をみれば、どこの誰か一発で分かる。
ナナセが身につけていれば、少なくとも『この妖精には手を出さないほうがいい』って考える人は多いと思うよ」
「……」
ナナセはあまりの事実の重さに、言葉を完全に失ってしまった。
昨日の全体集会の記憶が、一気に脳裏を駆け巡る。
一人きりで浮いていた自分の周りから向けられていた、あの視線。
そして、かつて所属していた五部隊の妖精が、何かを詰め寄ろうとして急に口を閉ざし、気まずそうに目を逸らしたこと。
(もしかしたら、あの時……)
あの妖精は、自分の胸元で揺れていたこのペンダントを見ていたのかもしれない。
特別部隊――旧エーテルの精鋭たちが庇護し、大切な仲間として認めた証である、この紋章を。
ナナセは胸元のハチドリへ、震える指先でそっと触れた。
「……セレンさん」
「……ん?」
背を向けたままのセレンに、静かに問いかける。
「これ……そういう意味だったんですか?」
セレンは手元の作業を止め、少しだけ考えるように沈黙した。
そして、照れを隠すように肩を竦めてみせる。
「まあ、それもあるかな」
「それも?」
「うん」
セレンはゆっくりと振り返ると、ナナセの首元へまっすぐ視線を落とし、そっとそのペンダントへ手を伸ばした。
銀色のハチドリが、セレンの大きな手の中で優しく、小さく光を反射する。
「持っててほしかったから」
手に伝わるハチドリの感覚をしばらくじっと見つめると、それだけをぽつりと呟き、セレンはまた照れくさそうに武器の手入れへと視線を戻してしまった。
ペンダントを見つめていたセレンの灰色の眼差しが、あまりにも深く、愛おしそうだった。
ナナセはしばらくの間、その愛おしい横顔から目を離すことができなかった。




