第100話 窓辺の赤光
報告書の提出を終え、会議室の重厚な扉を開けて廊下へ出た瞬間――。
ナナセは目の前に広がっていた予想外の光景に、思わず息を呑んだ。
「……え」
静かな廊下の大きな窓辺。その縁に背中と体重を預けるようにして、ぼんやりと外の風景を眺めている人物がいた。
窓から差し込む陽の光が、彼の美しい赤髪を薄く透かすように煌めかせている。
セレンだった。
ナナセが驚きのあまり目を丸くして立ち尽くしていると、気配を察したセレンがゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「あれ」
セレンは窓辺から体を離すと、ナナセの姿を認めて嬉しそうに近づいてくる。
「早くない?」
ナナセはあまりの衝撃に、しばらくの間言葉が出てこなかった。
「……待っていたんですか……?」
「うん」
あまりにも当然といった様子で自然に答えられ、ナナセはさらに驚いて言葉を失う。
セレンはそんなナナセの呆然とした表情を見つめ、どこか照れくさそうに少し苦笑した。
「俺、過保護なのかもしれない」
以前、キサから呆れ交じりに言われていた言葉を、そのまま自分で借りてくるような言い方だった。
「ふふ……」
「何?」
「いえ……」
ナナセはその言葉とセレンの表情のおかしさに、思わず胸の奥からふっと笑いを漏らしてしまう。
さっきまで会議室で胸の奥を重く占めていた孤独感や寂しさが、セレンの姿を見た瞬間に、すうっと音を立てて解けていくのが分かった。
セレンはそんなナナセのこわばりが消えた様子を見て、安心したように柔らかく笑った。
「じゃ、帰ろ」
そう言うと、セレンはごく自然な動作でナナセに向かって右手を差し出す。
ナナセはその大きな手を見つめた。
ほんの少しだけ胸を詰まらせてから、その温かな手をそっと握りしめる。
「……はい」
二人で並んで静かに歩き出す。
廊下を歩きながら、セレンがふと隣のナナセを見下ろした。
「おかえり」
「……」
ナナセはセレンのまっすぐな言葉に、少しだけ恥ずかしくなって目を伏せた。
それから、溢れ出る愛おしさを隠すように照れたように小さく微笑む。
「ただいま、です」
そう言って、繋いだ右手にほんの少しだけ力を込めた。
会議室の中で一人きりだった寂しい時間。
五部隊の妖精たちと視線が合い、冷たい過去を突きつけられたこと。
胸の奥に残っていたあの重い痛み。
それらの全てが、セレンと手を繋いでいる今、ずっと遠くの出来事に思えた。
隣には、こうして自分を待っていてくれたセレンがいる。
それだけで、自分が帰るべき本当の場所がどこなのか、はっきりと分かる気がした。
「出てきたの、ナナセが一番だったんじゃない?」
廊下をのんびりと歩きながら、セレンがふと思い出したように言葉を紡ぐ。
「そうかもしれません」
ナナセはセレンの問いかけに、少し考えてから答えた。
「報告書を書くところで、特に書くことがなくて……」
「うん?」
「任務の内容も省略されていたんです。だから、本当に何も書けなくて」
「あー……」
セレンは少し納得したように声を漏らした。
それから、面白いことを見つけたようにふっと楽しそうに笑う。
「やったじゃん」
「……?」
「早く終わったってことでしょ」
「……あ」
セレンに言われて、ナナセはその事実に気づいた。
思わず自分も、少しだけ可笑しくなって笑ってしまう。
「そうですね」
「うん。よかったじゃん」
セレンはナナセが早く戻ってきたことが、心底誇らしく、どこか嬉しそうだった。
その優しさに満ちた横顔を見つめながら、ナナセはふと歩く足を緩めた。
「……セレンさん」
「ん?」
「待っていてくれて、ありがとうございます」
改めて、セレンの目を見て感謝を伝える。
集会が終わる正確な時間すら分からなかったはずだ。
それなのにセレンは、冷たい廊下でずっとナナセが出てくるのを待っていてくれたのだから。
セレンはナナセのまっすぐな視線に、少しだけ気まずそうに目を逸らした。
「……気にしないで」
どこか照れを隠しきれないような、低い声。
そして、離れないように繋いでいた手を、少しだけ握り返してくる。
「一人で帰ってくるより、いいでしょ」
「……はい」
ナナセは小さく頷いた。
ぎゅっと握られたセレンの手が、驚くほど温かい。
その温度を感じながら、ナナセもその手をそっと握り返すのだった。




