名を持つ者たち
名札の制度は、思っていたよりもあっさりと受け入れられた。
反発が出るかもしれない。
そうエドワルドは考えていた。
だが――実際は逆だった。
「エドワルド様、名札の配布ですが順調です」
文官が報告書を差し出す。
「拒否した者は?」
「今の所おりません」
「……そうか」
エドワルドは少し意外そうに頷いた。
町の広場では、名札を受け取った者達が互いに見せ合っている。
小さな金属片。紐で首から下げる形だ。
そこには――
それぞれの名前が刻まれている。
「おお……俺の名前だ」
「本当に彫ってある……」
「読めないけど……俺の名前らしいぞ」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
エドワルドはそれを遠くから眺めていた。
文字を読み書き出来る者は多くない。
特に、ここへ流れ着いた難民達は尚更だ。
それでも自分の名前が刻まれている。
それが嬉しいらしい。
中には、何度も指でなぞっている者もいる。
子供が親の名札を触っている。
「……なるほどな」
エドワルドは呟いた。
「思った以上に喜ばれているな」
レオンが横で笑う。
「自分の名が刻まれる機会なんて普通ありませんからな」
確かに兵なら戦死すれば墓に名が刻まれる。
だが民は違う。多くは、ただ消える。
記録すら残らない。
「まあ」
エドワルドは肩をすくめる。
「結果オーライだ」
名札と同時に。文官達は帳簿へ書き込みを続けていた。
名前。年齢。出身。家族構成。全て。
町の住人として登録されていく。
「これが終われば」
エドワルドは帳簿を見ながら言う。
「住人の把握が出来る。誰がどこに居るか。何人いるか働ける者は誰か」
今まで曖昧だったものが、形になる。
「……いい案を思いついたな」
エドワルドは満足そうに呟いた。
その時だった。
広場の端に、妙な人だかりが出来ている。
「……ん?」
エドワルドは目を細める。
「何だ、あれは」
子供や大人が集まり、何かを見ている。
「騒ぎですか?」
レオンが言う。
「いや」
エドワルドは少し笑った。
「違うな」
近づいてみると、理由はすぐ分かった。
「……ああ」
人だかりの中心。
そこには、一頭の黒い馬がいた。
あの馬だ。
モルガン領の伝令を乗せてここまで走り抜けた馬。今は簡易の囲いの中で休んでいる。
子供達が少し離れて眺めていた。
「この馬なんだって?」
「死んだ人を運んできたんだって」
「矢がいっぱい刺さってたって」
「すげえな……」
そんな声が聞こえる。
エドワルドは少し苦笑した。
「……見物か」
レオンも頷く。
「まあ無理もありません」
普通の馬ではない。主人が死んだ後も。
そのまま走り続けた。
ここまで三週間近い距離を。
「物珍しい話ですからな」
レオンが言う。
「しばらくは町の名物になるでしょう」
エドワルドは黒い馬を見た。
馬は静かに草を食べている。
時々、周囲を見回す。
まるで――まだ主人を探しているかの様に。
「……」
エドワルドは少しだけ目を細めた。
「強い馬だ」
レオンが頷く。
「戦場向きですな」
エドワルドは少し考えた。
「この馬はどうする?」
「乗りますか?」
レオンが聞く。
エドワルドは首を振った。
「いや」
少しだけ視線を外す。
「しばらく休ませてやれ」
主人を失った馬。それでも走り続けた。
その役目は、もう終わったはずだ。
エドワルドは黒い馬を見ながら呟いた。
「……よく走ったな」




