市場の火種
昼前の市場は、いつも通りの賑わいを見せていた。
曙町から運ばれてきた蕪や乾燥肉。
鍛冶屋の作った簡易農具。
布を売る商人。
人の声が重なり、活気がある。
町が生きている証だった。
エドワルドは、その様子を城壁の上から眺めていた。
「……人が増えたな」
隣に立つレオンが頷く。
「ええ。難民も増えましたし、商人も居着き始めております」
市場の端では、労働帰りの者達が並んでパンを買っている。
以前は配給だけだったが、今は賃金が出る。
働き、金を受け取り、物を買う。
町としては正しい流れだ。
「順調ですな」
「……ああ」
そう言いながらも、エドワルドの目は市場の奥を見ていた。
人が増えるという事は——摩擦も増える。
その時だった。
「おい!返せ!」
市場の一角から怒鳴り声が上がった。
人がざわつく。
レオンが眉をひそめた。
「……行きますか?」
「様子を見に行こう」
二人はそのまま市場へ降りた。
騒ぎの中心では、若い難民の男がパンを握りしめていた。
向かいには商人。そして周囲には数人の兵。
「金が無いなら買えない!」
商人が怒鳴る。
難民の男は息を荒げている。
「昨日も働いた!配給も減ってる!」
「だからって盗む理由にはならん!」
兵の一人が腕を掴んだ。
「離せ!」
難民の男が振り払う。
周囲から声が上がる。
「兵ばかり守りやがって!」
「働いてるのはこっちだ!」
「難民だけ締め付けるな!」
石が一つ、地面に落ちた。
空気が変わる。
レオンが小さく呟いた。
「……火種ですな」
エドワルドは何も言わない。
ただ、状況を見ていた。
兵が難民を押さえつけた。
男は叫ぶ。
「俺達は奴隷じゃない!」
周囲の難民が動く。
一歩、二歩。
兵も剣の柄に手をかけた。
あと一歩で——衝突する。
「やめろ」
低い声が響いた。
エドワルドだった。
人の視線が一斉に集まる。
「……領主様」
兵が姿勢を正す。
エドワルドは、ゆっくりと歩いた。
難民の男の前まで。
「お前がパンを取ったのか」
男は睨む。
「……ああ」
「理由は?」
「腹が減ってるからだ」
周囲がざわめく。
エドワルドは商人を見る。
「値段は?」
「銀貨一枚です」
エドワルドは少し考えた。
そして兵に言った。
「その男を離せ」
兵が驚いた。
「よろしいのですか?」
「離せ」
兵が手を放す。
男は立ち上がる。
だが——エドワルドは静かに言った。
「パンは返せ」
男の顔が歪む。
「……」
数秒。やがて、パンを差し出した。
エドワルドはそれを受け取る。
そして商人に渡した。
「代金は俺が払う」
銀貨を置く。
周囲が静かになる。
エドワルドは男を見る。
「腹が減っているのは分かる」
男は黙っている。
「だが」
声が低くなる。
「町には規則がある」
周囲の空気が張り詰める。
「働けば配給がある。賃金もある。それでも足りないなら、訴えろ」
男が呟く。
「……聞いてもらえない」
エドワルドは一瞬だけ沈黙した。
そして言う。
「なら、今聞いた」
周囲がざわつく。
「配給を見直す。労働量の確認もする。だが」
視線を全員に向ける。
「盗みは許さない」
その声は静かだった。
「秩序が崩れれば、この町は終わる」
誰も反論しない。
エドワルドはレオンに言った。
「今日の件は記録しておけ」
「はっ」
「配給の調査も行う」
「承知しました」
騒ぎは、ゆっくりと収まった。
人々は散っていく。
市場の空気は、どこか変わっていた。
小さな火種。
それは、まだ消えてはいなかった。




