飢えの引き金
「エドワルド様!」
扉が勢いよく開いた。
「どうした、レオン?」
「偵察隊が戻って来ました!」
一瞬で空気が張り詰める。
「なに!?ここへ連れて来い。直接話を聞きたい」
ほどなくして、埃まみれの偵察兵が通された。
膝をつく。
「報告します」
「で?どうだった?」
「はい。接触した村人の噂ですが……どうやらラーデン領とモルガン領が戦を始めた模様です」
室内が静まり返る。
「……どちらが先に手を出した?」
「不明です。ただ、双方が“相手が奪いに来た”と主張しているとか」
エドワルドは目を閉じた。
「そうか……原因は、聞くまでも無いか」
「はい。食料不足が引き金の様です」
短い沈黙。
「無ければ、奪え……か」
「その様です」
偵察兵の声は重い。
エドワルドはゆっくりと息を吐いた。
「解った。ゆっくり休め。詳しくは書類で提出しろ」
「はっ!」
兵が退室する。
扉が閉まった後、静寂が残る。
「……始まったな」
レオンが低く呟く。
「王政が崩壊した以上、いずれこうなるとは思っておりましたが」
「ああ」
エドワルドは窓の外を見る。
王が居ない。命令も無い。裁く者も居ない。
ならば。
「自分で決断するしかない」
動けなくなる前に、動けるうちに動く。
それは責められない。
「どちらが悪いとは、俺には言えないな」
「食うための戦ですからな」
「……そうだ」
食料が尽きれば、人は理屈を捨てる。
正義も、誇りも、条約も。
全ては腹の前に沈む。
「更に言えば、戦を終わらせる手段もない」
レオンが視線を向ける。
「仲裁、ですか?」
「出来るか?」
即答だった。
「出来ん」
うちの備蓄は安定している。
だが二領を丸ごと救えるほどではない。
「その二つの領を助けられる程の食料備蓄は、うちには無い」
「仮に送ったとしても」
レオンが続ける。
「奪われる可能性もありますな」
「ああ」
支援物資が、戦火の燃料になる。
それでは意味がない。
「……どうします?」
問われる。エドワルドはしばらく考えた。
「静観だ」
レオンの目が細くなる。
「ただし」
エドワルドは続ける。
「難民が流れてくる可能性は高い」
「間違いありませんな」
「門の検問を強化しろ。だが追い返すな。選別は慎重に」
「承知しました」
「それと」
少しだけ声を落とす。
「両領の戦況を継続監視だ。どちらが優勢か。どちらが崩れるか」
「……崩れた側が、次の問題になると」
「ああ」
崩れた領は、流民を生む。
流民は野盗になる。
野盗は、周辺を荒らす。
そしてまた——戦になる。
「……嫌な連鎖だな」
エドワルドは小さく呟いた。
守るために力を持つ。
だが、力を持てば周囲の崩壊も見える。
「王政があった頃は」
レオンがぽつりと言う。
「少なくとも、責任の所在は一つでしたな」
「今は違う」
「ええ。全員が、自分で決める時代です」
エドワルドは机に置かれた地図を見る。
また一つ、赤く塗られる場所が増える。
「……俺たちも例外じゃない」
戦うか。守るか。動くか。
その判断を、誰も保証してくれない。
「動けなくなる前に動く」
あの二領の決断は、それだったのだろう。
正しいかどうかは別にして。
「……俺は」
小さく呟く。
「守れる範囲を守る。それだけだ」
その範囲は、確実に広がっている。
窓の外では、町が動いている。
笑い声もあるし市場の声も。
まだここは、平和だ。
その平和が、いつまで続くか。
エドワルドは、静かに目を閉じた。




