消えた名、残る土
頭同士の話し合いは、長くはなかった。
言葉を尽くし、互いの現実を晒し、
そして最後に——
北の領地は、その名を失った。
「これよりこの地は、グレイス領の庇護下に入る」
宣言は静かだった。だが意味は重い。
一つの領地が、消滅したのだ。
早速、こちら側からも荷馬車隊を編成させた。
南の倉から運び出される穀物。
干し肉。塩。最低限の農具。
「可能な限り積め。戻り便は空で構わん」
北部側の兵も協力に回る。
これで当面は落ち着くはずだ。
飢えの連鎖は止まる。
問題は——その後。
私は文官たちを集めた。
地図。作付け表。収穫予測。水利の図面。
「エドワルドの農地改革案を出せ」
分厚い資料が机に広がる。
・輪作の徹底
・黒麦とじゃじゃ芋の併用
・痩せ地の改良
・種の選別管理
南町で成果を出した仕組み。
文官が慎重に言う。
「実績はあります。しかし北部方面の土質と気候が……」
「分かっている」
指で北部の地図を叩く。
「そのまま移せる保証はない」
だが。
何も変えなければ、一年後にまた同じ議論をしている。
「冒険になります」
若い文官が言った。
「それでもやる」
即答した。
「与えるだけでは何も変わらぬ」
食料を配り続ければ、北は“従属地”になる。
それでは駄目だ。
北部は生き直さねばならない。
「一年だ」
静かに言う。
「一年間、主作物をこちら式に切り替える」
周囲が息を呑む。
「全てを?」
「ああ。全てだ」
黒麦。じゃじゃ芋。硬豆。蕪。
まずは“生き延びる”作物。
「その後、土と収量を見て戻すか調整する」
文官が筆を走らせる。
「……かなりの反発が予想されます」
「だろうな」
北部の農民は、祖父の代から同じ作物を育ててきた。誇りもある。
だが誇りは、腹を満たさない。
「種は?」
「こちらから回せ」
「肥料は?」
「優先的に配給」
「失敗した場合は?」
一瞬、沈黙。
「その時は——私が責任を取る」
それしかない。
北部方面。名は消えた。だが土は残っている。その土に、何を植えるか。それがこの統合の真価だ。
会議の後。
一人になった私は、窓の外を見た。
北の空は、重い雲に覆われている。
「……噛み合えば良いが」
かけ離れてはいないはずだ。
そう信じたい。
だが改革とは、必ず摩擦を生む。
そしてその摩擦が、火種になることもある。
一年。
凌げれば未来が開く。
失敗すれば——北部は再び揺れる。
領地は消えた。
だが試練は、今始まったばかりだった。




