北境の現実
北との領境を越えた瞬間、空気が少し変わった気がした。
だが――
見える風景は、我が領と大差ない。
森。緩やかな丘。細い街道。
「……思ったより荒れてはおらぬな」
父は小さく呟く。
進むにつれて違いが見えてきた。
畑は耕されているが痩せている。
家は立っているが修繕が追いついていない。
やがて、最初の村が見えてきた。
子供が、遠目からこちらを見る。
大人たちは、戸口から顔を出す。
警戒。そして、諦め。
「……難民達よりは、まだマシか」
以前こちらへ流れ込んできた難民は、
すでに“崩壊後”だった。
ここは、まだ崩れていない。
「食料の状況を確認せよ」
部下に命じる。
数名が下馬し、村へ入る。
しばらくして戻ってきた。
「報告します」
「言え」
「現状、あと一ヶ月ほどは持つ見込みとの事」
父は静かに息を吐く。
一ヶ月。
「……持つ、か」
それは、何も起こらなければ、だ。
戦。
疫病。
盗賊。
どれか一つでも重なれば、崩れる。
「領主に会うまでの道のりの村々にも寄る。
状況を確認しつつ進む」
「はっ」
荷馬車を一台止める。
「この村に、少量下ろせ」
「宜しいのですか?」
「全部を今渡す訳ではない」
父は淡々と答える。
「だが、“見捨てていない”という証は必要だ」
袋を数個下ろす。
村人たちの目が、揺れた。
歓喜でもない。疑念でもない。
ただ――
安堵。
それだけだった。
行軍は続く。
次の村。その次の村。
どこも似た状況だった。
壊れてはいないが削られている。
骨のように。
「……確かに、限界だな」
馬上で呟く。
あと数日遅れていれば。
どこか一つが崩れていた。
一つ崩れれば、連鎖する。
略奪。
暴動。
逃散。
そして国境に穴が開く。
「ギリギリ、か」
本当に。文字通り。
ギリギリまで耐えたのだ。
北の領主は、最後の一線まで守り、それでも足りずに、頭を下げた。
「……恥ではない」
むしろ、誇りだ。
耐えきったからこそ、今この形で話が出来る。
遠くに城塞が見え始めた。
北領の中心。父は手綱を握り直す。
これは救援か。
それとも統合の第一歩か。
いずれにせよ――
もう引き返せない。北は、選んだ。
そして今、エドワルドもまた、選んでいるのだから。




