値札の裏の戦場
翌朝。
臨時司令部の一室。
机の上には銀貨と銅貨が山積みになっていた。昨夜、両替商が持ち込んだものだ。
「……本当に集めてきやがったな」
レオンが感心したように言う。
「商人の足は軍より早いな」
「命懸けですからな」
銀貨を一枚摘まむ。
軽い。だが、昨日までの金貨より、よほど“現実的”だった。
「これで市場は回る……はずだったんだが」
扉がノックされる。
コンコン。
「エドワルド様」
「市場で少々揉め事が」
「揉め事?」
嫌な予感しかしない。
市場に朝から人が溢れている。
パン。干し肉。布。鍬。薬草。
活気はある。
だが。
「高ぇんだよ!!」
怒号が飛んだ。
「昨日まで銅貨三枚だったろうが!」
「仕入れ値が上がったんだよ!」
「嘘つけ!」
商人と保護民が掴み合いになっている。
エドワルドが割って入る。
「何だ」
商人が慌てて頭を下げる。
「り、領主様……」
保護民が叫ぶ。
「同じパンなのに倍の値段です!」
「倍?」
商人は必死に言う。
「銀貨が入ってきたせいで相場が崩れたんです!
他の店が値を上げたから、うちも……!」
……なるほど。
エドワルドはすぐ理解した。
金が流れた。
→ 皆「金持ちになった気」になる
→ 値段が上がる
→ 実質物不足
→ インフレ
「……早すぎる」
まだ一日だぞ。
横でレオンが小声で言う。
「商人ってのは抜け目ないですからな」
「違う」
首を振る。
「これは“当然”だ」
商人は利益を取る生き物。
善悪じゃない。仕組みの問題。
「……両替商を呼べ」
しばらくして、灰色髪の両替商が現れた。
にこにこしている。
全部分かっている顔だ。
「……もう始めたな」
エドワルドが睨む。
「何の事で?」
「値段操作だ」
「操作ではありません」
即答。
「“需要”です」
淡々としている。
「金が流れれば物価は上がる。自然現象ですよ」
「自然?」
「はい」
肩をすくめる。
「商人は慈善団体ではありませんので」
正論。腹が立つほど正論。
「だがこれでは保護民が買えん」
「なら配給に戻しますか?」
にやり。
完全に試されている。
「配給=経済死」
「自由市場=弱者死」
どっちを取る?と。
「……舐めるな」
エドワルドは机を叩いた。
全員が静まる。
「好き勝手に値を吊り上げるなら」
一歩踏み込む。
「市場への出入りを制限する」
空気が凍った。
「独占営業許可の剥奪」
「仕入れ路の優先権停止」
「軍需品の契約打ち切り」
静かに並べる。
「どれがいい?」
商人たちの顔色が変わる。
兵糧。武器。塩。
全部、軍需契約が生命線だ。
「……」
両替商が初めて真顔になる。
「……脅し、ですか」
「違う。統治だ」
はっきり言った。
「ここは“商売の場”であって“搾取の場”じゃない」
沈黙。
数秒。
やがて。
老人が、ふっと笑った。
「……なるほど」
「ようやく“領主の目”になりましたな」
「何だと」
「昨日までは“優しい救済者”だった」
銀貨を指で弾く。
「今日からは“支配者”だ」
目が細くなる。
「分かりました。では提案を」
「言え」
「主要物資は価格上限を設ける。代わりに嗜好品は自由価格」
「税は軽く、そして」
ニヤリ。
「我々にも儲けさせて下さい」
本音だ。
エドワルドは少しだけ笑った。
「……最初からそれを言え」
「駆け引きです」
「性格悪いな」
「商人ですから」
しばし睨み合い。
そして。
「いいだろう」
決着。
「パン、穀物、塩、薬は上限設定。違反は営業停止。代わりに他は自由」
商人たちが一斉に頭を下げた。
「感謝します、領主様」
市場の空気が戻る。
喧騒が再開する。
だが。
レオンがぼそっと言った。
「……戦場より疲れますな」
「同感だ」
心底そう思った。剣なら斬れば終わる。
だが金は違う。
切れない、殺せない、なのに命を握る。
「……商人ってのは」
「はい」
「一番厄介な連中だな」
両替商が後ろから笑った。
「最高の褒め言葉です」
値札の裏。そこもまた、戦場だった。




