静かな距離
朝だった。
元領主館の町は、薄い霧に包まれている。
夜露で濡れた地面。
焚き火の煙。
パンを焼く匂い。
人の営みの音が、ゆっくり戻ってきていた。
数日前まで死都だったとは思えないほどに。
「……平和、か」
エドワルドは木柵の上から町を見下ろした。
保護した王都の民。曙町から来た商人。
女兵の訓練の掛け声。鍋の音。
確かに、生きている音だ。
守れている。
その実感だけは、あった。
だが。
ふと、違和感を覚える。
視線。兵も民も、こちらを見ると——
一瞬だけ、目を逸らす。
「……?」
気のせいか?
いや、違う。
昨日までの空気とは、明らかに違う。
レオンが横に立った。
「どうしました?」
「……いや」
少し迷ってから言う。
「皆、妙に静かじゃないか?」
レオンは、少しだけ苦笑した。
「あー……」
その反応で察した。
「何だ」
「いえ」
頭を掻く。
「エドワルド様」
「ん?」
「……少し、怖がられてますな」
「……は?」
予想外の言葉だった。
「怖がる?」
「はい」
レオンは視線を町に向けたまま言う。
「王都帰りの道中の盗賊の件」
「……」
「逃げた二人の件」
「……」
「全部、見られてます」
言葉が、刺さる。
「処刑が早い」
レオンは淡々と言った。
「迷いが無い。容赦も無い」
一拍。
「兵としては理想です」
さらに一拍。
「ですが……民から見ると“領主様”ですからな」
「……」
「ちと、刺激が強い」
言い方が優しいだけで、意味ははっきりしていた。
——怖い。そう思われ始めている。
子供たちが走っている。
笑っている。
エドワルドが近付くと。
少しだけ、距離を空ける。
無意識にそれが、胸に刺さった。
「……守ってる、つもりなんだがな」
ぽつりと漏れる。
レオンは笑わなかった。
「守る者ほど、怖くなるもんです」
「何だそれは」
「強い犬ほど、吠えなくても周りが道を空けるでしょう?」
「……例えが酷いな」
「はは」
小さく笑う。
「ですが必要です。今の世の中」
視線が鋭くなる。
「優しいだけの領主は、もう全員死にました」
反論できなかった。
王都の光景が、脳裏をよぎる。
吊られた貴族。焼けた城。泣く子供。
甘さの末路。
「……そうだな」
拳を握る。
「嫌われても、守れればいい」
「それでこそです」
レオンは軽く頷いた。
その言葉の奥に、わずかな寂しさが混じったのを、エドワルドは気付かなかった。
その時、見張り台から声。
「報告ー!」
「何だ!」
「西街道! 荷馬車一台接近!」
「商人か?」
「……違います!」
声が少し緊張している。
「旗なし!武装あり!」
空気が、変わった。
「人数は!」
「四名!」
少ない。
「……様子がおかしいです!」
「どうおかしい?」
「……首に縄を付けた人間を、荷台に積んでいます!」
「……は?」
レオンと同時に顔を上げた。
「捕虜……か?」
「いえ……」
見張りが叫ぶ。
「……縛られてるの、子供です!」
空気が凍った。
エドワルドの目が、ゆっくり細くなる。
さっきまでの迷いが、消えた。
「……レオン」
「はっ」
「迎撃準備」
声が、低い。冷たい。
「今度は——容赦するな」
兵たちが動き出す。
槍が構えられ、クロスボウが装填される。
さっきまでの“静かな町”が、一瞬で“戦場の顔”に変わった。
レオンが小さく呟く。
「……やれやれ」
「また、嫌われますな」
エドワルドは答えなかった。
ゆっくりと剣を抜いた。
その刃だけが、朝日に、冷たく光っていた。




