イネツィエ
「――おい、聞いたか。あの『謎の組織』がまた動いたらしいぞ」
「国家魔法管理局の精鋭部隊が三日かけても攻略できなかった特級ダンジョンを、一ノ瀬朱音がたった一人、数分で最深部まで凍らせてボスを瞬殺したって……」
「化け物め。彼女を従えるトップの『アヤカ』は、どれほど冷酷な支配者なんだ……」
世間や政府がそんな噂で戦々恐々とする中、その『本拠地』である引きこもり部屋の中は、驚くほど平和な空気に満ちていた。
「んー、この期間限定のコンソメ味、やっぱり美味しいな」
私はベッドの上で寝転がりながら、ポテチをサクサクと口に運んでいた。
外の人と喋るのは心臓が止まるほど苦手だけど、この部屋の中だけは私の聖域だ。何より、今の私には、世界で一番頼りになる可愛い『家族』がいる。
パタン、と部屋のドアが開いた。
そこに立っていたのは、ついさっきダンジョンを文字通りフリーズさせて世界を震撼させてきたばかりの私の妹――朱音だった。
朱音は部屋に入るなり、ツカツカと私のベッドに歩み寄ってくると、腰に手を当ててぷくーっと頬を膨らませた。
「もう! 彩花お姉ちゃん、外でお仕事してきたのに、またそんなだらしない格好でポテチ食べてる! 少しは動かないと太っちゃうんだからね!」
「あはは、おかえり朱音。だってこのコンソメ味、本当に美味しいんだもん。ほら、朱音も食べる?」
外の大人相手なら気絶するレベルの小言も、元々ずっと一緒にいたトキのぬいぐるみだと思えば、ちっとも怖くない。私は笑って、ポテチの袋を朱音に差し出した。
「もー、彩花お姉ちゃんはすぐそうやって私を子供扱いして誤魔化すんだから……」
朱音はぶつぶつ文句を言いながらも、ベッドにするりと潜り込んできた。
外では「国会議事堂ごとフリーズさせる」なんて言って管理局を恐怖のどん底に叩き落とした最高魔法顧問なのに、家の中では完全に甘えん坊な妹だ。朱音は私の背中に後ろからぎゅーーっと抱きついて、白髪の頭をスリスリと私の肩に擦り寄せてくる。
「……あーあ。ダンジョンで戦ったら、なんだか体がすっごく冷えちゃった。お姉ちゃん、もっと温めて」
「よしよし、お疲れ様。外のお仕事、大変だった?」
朱音の細い肩をぽんぽんと叩いてあげると、朱音は嬉しそうに目を細めて、スマホの画面を見せてくれた。
「全然。私が『お姉様の睡眠時間を邪魔したら、次は東京湾をスケートリンクにします』って言ったら、管理局のおじさんたち、青い顔して『一ノ瀬彩花閣下の休息を最優先せよ!』って大慌てで書類にハンコ押してたよ。お姉ちゃん、閣下だって。すごいでしょ」
「ええっ!? か、閣下……!? なにそれ、怖いよ……」
思わずポテチを喉に詰まらせそうになった。
ただ部屋でパジャマのままアニメを見て着るだけの女子高生が、国家レベルで「閣下」と呼ばれて最大級の配慮をされている。完全に外の世界の勘違いが宇宙まで行っている気がする。
「お願いだから、私のハッタリをこれ以上大きくしないでね……?」
「大丈夫だよ。お姉ちゃんを怖がらせる悪い大人たちは、私が全員遮断してあげるから。お姉ちゃんは、ずっとこの部屋で私の大好きな優しいお姉ちゃんでいてくれればいいの」
朱音はそう言って、私の腕をさらに強く抱きしめた。その瞳には、かつて私が泣きながら抱きしめていたぬいぐるみと同じ、深い深い親愛の光が宿っている。
「ありがと、朱音。本当に助かってるよ」
「ふん、別に妹として当然のことだし。……それより、そのポテチ、私にも『あーん』して」
「はいはい、あーん」
「……ん、美味しい。お姉ちゃんに食べさせてもらうポテチが世界一!」
世界中が正体不明の「最凶の影」に怯える中。
その頂点に立つ二人は、一つのベッドでポテチを分け合いながら、どこまでも穏やかで甘い姉妹の時間を過ごしているのだった。
次回新しい子出ます




