第18話 白鷺家の没落
横浜で、皐月が新しい生活を始めた頃。
白鷺屋では、静かに異変が起きていた。
海外の戦争が終結した。
それまで戦争の影響で、海外から日本の陶磁器が大量に求められていた。
白鷺屋にも注文が相次ぎ、幸雄はそれを当然のことだと思っていた。
だが。
戦争が終われば、状況は変わる。
海外では安価な陶磁器が製造され、白鷺屋が取り扱う陶磁器の輸出はストップした。
在庫ばかりが増え、価格は値崩れを起こしていた。
一日。
また一日。
帳場に並ぶ数字が、目に見えて減っていく。
「……また減っている」
帳簿を見つめた幸雄が、苛立たしげに呟いた。
以前なら、客で賑わっていた店内も、今では閑散としている。
棚に並ぶ高価な陶磁器を眺める客はいても、手に取るだけ。
「これは、おいくらですか?」
値段を聞いた客が、顔を曇らせる。
「……少し考えます」
そう言って店を出ていく。
それが、一度や二度ではなかった。
そして。
皐月がいなくなったことも、白鷺屋にとって大きな痛手となっていた。
皐月が店先に立っていた頃には、不思議なほど高価な品が売れていた。
客が何を求めているのか。
どの品に心を動かされているのか。
皐月は、まるで客の心を読んでいるかのように見抜いていた。
だが。
それが、今はいない。
「こちらはいかがでしょう?」
店員が客に品を勧める。
「いや……もっと安いものはないかね」
客はそう言って、棚の隅にある安価な品へ移っていく。
売上は、日に日に落ちていった。
やがて、店員たちにも皺寄せが及んだ。
「すまないが……しばらく店を休んでもらうことになった」
幸雄が告げると、店員は青ざめた。
「旦那様……私には家族が……」
「仕方ないだろう。店がこういう状態なんだ」
「ですが……」
「もういい!」
幸雄は苛立った声を上げた。
結局、何人もの店員が白鷺屋を去ることになった。
広い店内が、さらに広く感じられる。
残った店員たちも、いつまで自分の仕事があるのか分からない。
白鷺屋は、ゆっくりと沈み始めていた。
それなのに。
幸雄は、現実から目を背け続けていた。
ある日の夜。
幸雄が遊郭から戻ってきたところを、店の者に見られた。
それだけなら、まだ言い逃れもできた。
だが、遊郭で使った金の一部が、白鷺屋の金だったことが発覚した。
帳簿を調べれば、金額は明らかだった。
「旦那様……この金は、店の金ではありませんか?」
幸雄の顔が強張る。
「何を言っている」
「帳簿と合いません」
「……うるさい!」
幸雄は怒鳴った。
だが、もう隠しきれなかった。
遊郭通い。
店の金の使い込み。
それが店中に知れ渡る。
「皐月さんがいらした頃は、こんなことは……」
誰かが小さく呟いた。
その言葉に、別の店員が慌てて口を閉ざす。
幸雄の顔が、赤く染まった。
「皐月の話をするな!」
しかし。
誰も何も答えなかった。
その沈黙が、かえって幸雄の胸を苛立たせた。
皐月がいた頃。
高価な品が売れた。
店員たちにも活気があった。
客の笑顔もあった。
そして、自分は何も考えずに遊んでいられた。
だが今は。
皐月はいない。
売上もない。
店員もいない。
残っているのは、積み上がった借金と、売れ残った陶磁器だけだった。
その頃。
白鷺屋の門前に、一台の人力車が止まった。
降りてきたのは、桜庭伯爵家の家紋が入った羽織を身につけた男だった。
男は白鷺屋の暖簾をくぐる。
「失礼いたします」
店員が振り返った。
「どちら様でしょうか?」
男は懐から書状を取り出した。
「桜庭伯爵家から参りました」
店員の顔色が変わる。
「桜庭伯爵家……?」
「はい」
男は店内を見渡した。
そして、尋ねる。
「皐月様は、どこですか?」
その言葉に。
幸雄の身体が、ぴたりと止まった。
「……皐月?」
「はい。桜庭皐月様です」
幸雄は答えに詰まった。
もう離縁した。
実家にも戻っていない。
横浜へ行ったことを、白鷺屋の者たちは知っている。
だが。
それを桜庭伯爵家に伝えてはいなかった。
「……あいつは、ここにはいない」
「では、どちらへ?」
「知らん」
幸雄は吐き捨てるように言った。
使いの男は黙って幸雄を見つめた。
その目には、何かを探るような光があった。
「本当に、何もご存じないのですか?」
「知らないと言っている!」
幸雄が怒鳴る。
男はそれ以上追及しなかった。
ただ、懐から書状を取り出すと、幸雄へ差し出した。
「旦那様へお渡しするよう、伯爵様から申しつかっております」
幸雄は書状を受け取った。
封には、桜庭伯爵家の紋。
その重みが、妙に不気味だった。
一方。
桜庭伯爵家では。
父・桜庭伯爵が書斎で一人、古い記録をめくっていた。
「……皐月」
幼い頃から、何の能力もないと思われていた娘。
家の中で存在を否定され続けた娘。
だが。
もし。
もし皐月に、残響視が発現していたとしたら。
これまでの出来事が、すべて繋がる。
桜庭伯爵は、白鷺屋に女中を一人、忍び込ませていた。
皐月が、まるで何かを知っているかのような目をしていたこと。
客の求めるものを把握していたこと。
伯爵は、ゆっくりと立ち上がった。
「……まさか」
その声には、驚きとともに、別の感情が混じっていた。
期待。
そして、執着。
「残響視が……発現したのか」
もし本当にそうなら。
皐月は、桜庭家にとって「役立たず」などではない。
長年探し求めていた、強力な力を持つ存在になる。
伯爵は窓の外を見つめた。
横浜へ向かった娘。
その先にいる、白鷺蔵之介。
そして。
皐月が何を見たのか。
何を知っているのか。
「……連れ戻せ」
伯爵は低く命じた。
「皐月を、必ず桜庭家へ連れ戻すのだ」
静かな書斎に、その声だけが響いた。
皐月はまだ知らない。
自分が捨てたはずの過去が。
今度は、向こうから追いかけてきていることを。




