第11話 エアメール
離縁の話が出てからというもの、幸雄と百合子の距離は、目に見えて近くなっていった。
店先で並んで立つ二人。
幸雄が百合子に何かを囁けば、百合子が嬉しそうに笑う。
夫婦であった二人だ。
雄一という子まで生している。
仲が良いこと自体は珍しくない。
けれど、離縁の話が出てからは、まるで周囲に見せつけるかのようだった。
「やっぱり、元々あの二人が一緒になるはずだったんだろ」
「皐月さんは、最初から身代わりみたいなものだったんじゃないか?」
「気の毒になぁ」
店員たちは仕事の合間に、面白半分で噂をしていた。
皐月の耳にも、それは届いていた。
「それでは、私は仕事がありますので」
以前なら、胸を刺されるように傷ついていただろう。
けれど今は。
幸雄が誰と笑おうと、自分には関係のないことだと思えるようになっていた。
自分は、自分のこれからを考える。
それだけで精一杯だった。
◇
皐月が向かったのは、離れだった。
蔵之介の机には、今日もたくさんの書類が積まれている。
「お帰りなさい……あ」
言いかけて、皐月は気づいた。
蔵之介はまだ帰っていない。
最近の蔵之介は、朝早く出かけ、夜遅くに帰ってくることが増えていた。
出かけるときには何も言わない。
そして帰ってくると。
必ず一つ、茶封筒を抱えている。
皐月はそれが気になっていた。
「……何をしているのかしら」
机の上には、外国語で書かれた書類。
英語の手紙。
横浜宛ての封書。
そして、見慣れない外国の地名。
皐月は触れずに眺めていた。
やがて、蔵之介から頼まれていた郵便物を整理する。
一通。
二通。
三通。
どれも英語で書かれていた。
封筒には、赤と青の縁取りがあるものもある。
「エアメール……」
皐月は小さく呟いた。
宛先には横浜の文字。
別の封書には海外の住所が記されている。
蔵之介は、いったい何をしているのだろう。
皐月の中に、少しずつ疑問が膨らんでいった。
◇
夕方になっても、蔵之介は帰ってこなかった。
皐月は一人で書類を整理する。
母屋の喧騒より、こちらのほうがずっと落ち着く。
自分には、こちらの世界のほうが合っている気がした。
やがて夜。
ようやく玄関の戸が開く音がした。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ」
皐月が迎える。
蔵之介の手には、やはり茶封筒があった。
「今日もお疲れですね」
「ええ。少し」
「その封筒は……」
皐月が思わず尋ねる。
蔵之介は茶封筒を見た。
「ああ、これですか」
「毎日お持ち帰りになっていますよね」
「よく見ていますね」
蔵之介が笑った。
「すみません。気になってしまって」
「構いませんよ」
蔵之介は封筒を机に置いた。
「横浜で、いろいろ調べているんです」
「翻訳のお仕事ですか?」
「それもあります」
「それも?」
「ええ」
蔵之介は少しだけ意味ありげに笑った。
「まだ、皐月さんには話していないことがあります」
「……?」
「もう少しだけ待ってください」
そう言って、茶封筒を大切そうに机の引き出しへしまった。
皐月は首を傾げた。
「分かりました」
それ以上、聞かなかった。
けれど。
胸の奥では、少しだけ期待していた。
何が入っているのだろう。
蔵之介は、何を準備しているのだろう。
そして。
なぜ、こんなにも朝早くから夜遅くまで動いているのだろう。
◇
翌朝。
皐月が郵便物を整理していると、一通の封書が目に入った。
英語。
宛先は横浜。
差出人の名前を見て、皐月は目を止めた。
「……蔵之介さん」
まただ。
最近、毎日のように届く。
英語の手紙。
横浜への封書。
海外へ送るエアメール。
それらは、ただの仕事ではないように思えた。
皐月は封書を大切にまとめる。
「これを、今日も郵便局へ届ければいいのね」
そう呟いた。
母屋では、今日も幸雄と百合子が並んでいるだろう。
店員たちは、また自分たちのことを噂するかもしれない。
雄一も、自分を追い出そうとするかもしれない。
けれど。
皐月はもう、それらを気にしてはいなかった。
自分には、自分の未来がある。
そして、その未来を考えるための時間が、少しずつ増えている。
皐月は英語の封書を抱え、離れを出た。
向かう先は郵便局。
その一通の封書が。
皐月自身もまだ知らない、蔵之介の未来へと繋がっていることを知らずに。




