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銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第一部 消えなかった名前たち
9/53

書き足された名

 交渉後、レオンはステーションの観測廊でヴェガと向き合った。

 窓の外には、捕虜交換用の医療艇が停泊している。白い船体に、両国の識別色が並んでいた。

「なぜ、映像を持ってきたのですか」

 レオンが聞いた。

「君たちが認めない場合に、帝都へ流すためだ」

 ヴェガは正直に答えた。

「あなたは人道で動いたのでは」

「人道も使えるなら使う」

「軍人らしい答えです」

「君も似たようなものだろう。人命を救うために、数字も規則も敵の通信も使う」

 レオンは答えなかった。

 ヴェガは窓の外を見た。

「アルムの捕虜は、君の国へ帰った後、証人になる。燃料の流れ、衛星の用途、誰が退避船を止めたか。話す者もいるだろう」

「でしょうね」

「彼らは安全か」

「分かりません」

「正直だな」

「嘘をつく相手でもありません」

 ヴェガはレオンを見た。

「君の国は、敵より厄介そうだ」

「あなたの国も、似たようなものでは」

「似ている。だから戦争は長引く」

 短い沈黙があった。

 観測廊の向こうで、ミリアが捕虜輸送リストを確認している。クラリッサは同盟側事務官と文書の署名をしていた。

 ヴェガは言った。

「次は戦場で会うかもしれない」

「可能性は高いです」

「その時、私は君の救おうとする船を撃つかもしれない」

「私も、あなたの兵が死ぬ配置を選ぶかもしれません」

「そうだな」

 ヴェガは少しだけ笑った。

「やはり、君は交渉官に向かない」

     -

 帰還した捕虜たちは、英雄のようには見えなかった。

 医療艇の扉が開くと、最初に降りてきたのは担架だった。

 その後に、痩せた兵士、作業服の民間人、顔色の悪い技師たちが続く。誰も歓声を上げない。迎える側も、どう声をかければよいか分からずに立っていた。

 ミリアは、名簿を片手に一人ずつ照合した。

「ラウル・ベッカー軍曹」

「はい」

「負傷区分、軽度。後方医療区画へ」

「家族へ連絡は」

「手続き中です」

 軍曹は頷いた。彼の目は、まだどこかを警戒していた。

「ハンナ・リート技師」

「はい」

「医療班が待っています」

「私は、まだ雇用されていますか」

 ミリアは一瞬、言葉に詰まった。その問いは、想定していなかった。

 代わりに、レオンが答えた。

「あなたの所属は確認済みです。未着扱いから、帰還扱いに変更しました」

「それだけですか」

「まずは」

 ハンナはしばらくレオンを見ていた。怒るかと思った。泣くかと思った。

 だが、彼女は小さく頷いた。

「まずは、それでいいです」

 次に降りてきた警備隊伍長が、レオンの前で立ち止まった。

「我々は、見捨てられたのですか」

 周囲の空気が固まった。

 レオンはすぐには答えなかった。少し離れた場所で、クラリッサがこちらを見ている。帝国側法務官は、不安そうに視線を逸らしていた。

「船は来ませんでした」

 レオンは言った。

「それは答えですか」

「事実です」

「誰の命令で」

「調査します」

「調査で、あの三十時間は戻りますか」

「戻りません」

 伍長の拳が震えた。

 ミリアは思わず前に出かけた。だが、伍長は殴らなかった。ただ、疲れた顔で言った。

「では、せめて調べてください」

「はい」

「本当に」

「はい」

 伍長は敬礼しようとした。途中で腕が上がらず、やめた。

 ミリアは彼に近づき、静かに言った。

「お帰りなさい」

 伍長の顔が崩れた。彼は目元を手で押さえ、声を殺した。

 その後ろで、二千人の列はゆっくりと進んだ。

 ミリアは名を呼び続けた。レオンは状態を記録し続けた。

 誰も拍手しなかった。

 だが、一人ずつ、欄が埋まっていった。

     -

 帝都に戻ると、エーベルハルト伯爵からの呼び出しが来ていた。

 今度は貴族院軍務委員会の正式な部屋だった。

 伯爵の微笑は、以前よりも薄かった。

「クラウゼン少佐。あなたは面倒な方だ」

「よく言われます」

「主に悪口として」

「はい」

 伯爵は笑わなかった。

「アルム捕虜の帰還により、帝都では余計な憶測が広がっています。軍需物資の流れ、採掘衛星の用途、避難船の未着。どれも、現時点では未確認です」

「調査すれば確認できます」

「だから余計なのです」

 伯爵は卓に手を置いた。

「あなたは敗戦処理官だ。負けた戦場の後始末をする。それは必要な仕事でしょう。ですが、後始末とは、散らかったものを片づけることであって、床板を剥がすことではありません」

「床下から声がしました」

「比喩がお好きですな」

「伯爵ほどではありません」

 沈黙。

 伯爵は、深く息を吐いた。

「あなたを前線に戻すべきではない、という意見が出ています」

「理由は」

「あなたが行く先々で、数字が増える」

「実数に戻るだけです」

「軍にとっては増えるのです」

 伯爵は書類を一枚差し出した。

「辞令です」

 レオンは受け取った。

 帝国軍務省監察局付き特別調査官。階級は少佐のまま。権限は限定的。任務範囲は、カレリアおよび北方戦線に関する補給・捕虜・撤収記録の調査。前線ではなく、帝都勤務。

「栄転ですかな」

 伯爵は言った。

「それとも左遷か」

 レオンは書類を読んだ。

「負け戦ですね」

「帝都を戦場扱いするのは感心しません」

「訂正します。書類の多い戦場です」

 伯爵の表情が硬くなった。

「少佐。帝都には砲弾は飛びません」

「その方が厄介です」

 レオンは辞令を畳んだ。

「砲弾は、少なくとも着弾すれば分かります」

     -

 夜、軍務省の臨時執務室で、ミリアは名簿を整理していた。

 アルム捕虜、帰還。重傷者、医療区画へ移送。民間作業員、身元照合中。死亡確認者、同盟側記録と照合。行方不明者、三十七名。

 まだ埋まらない欄がある。それでも、なし、ではなかった。

 レオンは向かいの席で、監察局の辞令を読んでいた。

「少佐」

「何ですか」

「これは栄転ですか、左遷ですか」

「伯爵にも聞かれました」

「答えは」

「負け戦だと」

 ミリアは小さく笑った。

「では、準備します」

「何を」

「通信ログ、避難者名簿、捕虜交換記録、アルム救難信号、医療搬送記録、補給航路図、軍需商会の燃料記録。全部、複製しておきます」

「命令していません」

「申請です」

「却下されるかもしれません」

「その場合は、意見書を五十枚添付します」

 レオンは顔を上げた。

「増えましたね」

「成長しました」

 彼は少しだけ口元を動かした。

 窓の外では、帝都の夜景が輝いている。カレリアの灰色の防壁とも、グリムワルトの赤い星図とも違う光だった。美しく、静かで、遠い。

 ミリアは、最後の名簿を保存した。

 アルム採掘衛星残留者。二千百四十六名。帰還、二千百九名。死亡確認、十二名。行方不明、二十五名。

 彼女はその数字を見つめた。完全ではない。終わってもいない。それでも、空欄ではなくなった。

 レオンの端末に、新しい調査項目が表示される。

 北方戦線補給横流し疑惑。関係組織、帝国軍需商会連合。関与疑い、貴族院軍務委員会関係者。関連人物、カール・フォン・メルツ大佐。関連施設、アルム採掘衛星。

 ミリアは画面を見て、息を吐いた。

「少佐」

「何ですか」

「帝都は、かなり広そうですね」

「ええ」

「逃がす人は、まだいますか」

 レオンは少し考えた。それから、窓の外ではなく、机上の名簿を見た。

「探すところからです」

 ミリアは頷いた。彼女は新しいフォルダを作った。名前をつけるのに、少し迷った。結局、ただ日付だけを入力した。余計な言葉をつける必要はなかった。

 翌朝になれば、また誰かが何かを「整理」しようとするだろう。その前に、残しておく。

 帝都の夜は静かだった。砲声はない。警告灯もない。

 だが、白い停戦旗の下で書き足された名前たちは、まだ画面の中に並んでいた。


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