消えた補給線
第十八輸送群は、公式には沈んでいた。
同盟軍の奇襲を受け、カレリア到着前に壊滅。生存者なし。積荷回収不能。輸送記録、戦闘により消失。
報告書の上では、よくある損害だった。
前線へ向かう船が沈む。燃料が届かない。医療物資が届かない。酸素ユニットが届かない。
そういうことは、戦争では珍しくない。珍しくないからこそ、多くの者はその一行を読み飛ばす。
だが、ミリア・エーレンベルク中尉は読み飛ばさなかった。
帝国軍務省監察局の臨時執務室は、狭かった。
天井は低く、空調は古く、棚には過去十年分の監査資料が詰め込まれている。前線司令部のような警告灯もなければ、司令室のような立体星図もない。
あるのは、書類だった。
紙の書類。電子記録。古い記録媒体。封印された証拠箱。
帝国の負け戦は、最後にはここへ来るらしい。
ミリアは端末を抱え、資料の山を避けながら、部屋の奥へ駆け込んだ。
「少佐」
レオン・クラウゼン少佐は、積み上がった報告書の山から顔を上げた。
「沈んだ船が、燃料を下ろしています」
レオンは一拍置いて言った。
「器用な沈み方ですね」
ミリアは端末を卓上に置いた。
画面には、第十八輸送群の輸送艦《ヘルメス三号》の識別信号が表示されている。
沈没推定時刻から四十六時間後。帝都近郊、ノルトハーフェン民間ドック。貨物識別は、軍用高濃度燃料。受領先は、ローエン商会系列の民間倉庫。
「公式記録では、第十八輸送群はカレリア到着前に同盟軍の襲撃で壊滅しています」
「救難信号は」
「ありません」
「残骸確認は」
「ありません」
「護衛艦の戦闘ログは」
「戦闘そのものが記録されていません」
「敵側記録は」
「捕虜交換時に中立ステーションへ提出された同盟軍の該当宙域戦闘記録に、該当する攻撃はありません」
レオンは画面を見た。
「沈んだ理由が一つ減りましたね」
「代わりに、下ろした理由が増えました」
ミリアは別の画面を開いた。
カレリア要塞群へ送られるはずだった積荷リスト。燃料。医療物資。酸素ユニット。砲台修理部品。低温区画用熱交換器。
その一部が、ノルトハーフェンで民間物資として再登録されている。再登録名は、北方貴族領開発支援物資。受領認証は、帝国軍需商会連合。
監察局の扉が開いた。
「朝から楽しそうだな」
入ってきたのは、マティアス・グライフ大佐だった。
帝国軍務省監察局所属。年齢は五十を少し越えたくらい。灰色の髪を短く刈り、片手には冷めたコーヒー、もう片方には分厚い書類束を持っている。軍服はよれ、襟元の階級章だけが妙に磨かれていた。
彼はレオンの新しい上官だった。
「沈んだ輸送艦が帝都で燃料を下ろしていました」
ミリアが言うと、グライフ大佐は眉一つ動かさなかった。
「よくある」
「よくあるんですか」
「報告書の中ではな。現実では、あまりない方が助かる」
大佐は空いている椅子に腰を下ろした。
「ようこそ監察局へ、クラウゼン少佐、エーレンベルク中尉。ここでは砲弾の代わりに稟議書が飛ぶ。避け損ねると、体ではなく証拠が死ぬ」
「前線より悪いですね」
ミリアが言った。
「前線は、誰が撃ってきたか分かるだけ親切だ」
グライフ大佐は、ミリアの端末を覗き込んだ。
「第十八輸送群か。なるほど。カレリアに届いていれば、要塞の持久日数が三日は延びた船団だ」
レオンは言った。
「ご存じでしたか」
「知らないふりをしていた」
「理由は」
「部下が少なかった。敵が多かった。あと、私の机の引き出しが一つ爆発した」
ミリアは瞬きをした。
「爆発?」
「比喩だ」
グライフは冷めたコーヒーをすすった。
「半分は」
-
ノルトハーフェン民間ドックは、帝都の外縁軌道に浮かぶ巨大な貨物施設だった。
帝都本星へ直接降ろせない軍需物資や民間開発資材が、ここで再仕分けされる。倉庫、燃料貯蔵タンク、整備バース、税関監査区画が複雑に絡み合い、外から見れば金属でできた小都市のようだった。
レオン、ミリア、グライフの三人は、監察局の権限でドックへ入った。
案内役のドック主任は、最初から汗をかいていた。
「監察局の方々が来られるとは、事前に聞いておりませんで」
「事前に聞かせると、片づけるでしょう」
グライフが言った。
「いえ、そのような」
「片づいていない方が助かる。歩け」
主任は黙った。
貨物区画には、無数のコンテナが並んでいた。外装は民間用に塗り替えられている。だが、ミリアが携帯端末を近づけると、古い軍用識別コードが薄く反応した。
「少佐」
彼女は声を落とした。
「これ、カレリア行きの酸素ユニットです。上書きされていますが、下層タグが残っています」
レオンはコンテナの側面を見た。
表示には、民間鉱山用生命維持補助機材、と書かれている。積荷の目的地は、エーベルハルト伯爵家の関連鉱山。
「酸素は用途を選びませんね」
「人間が選ぶんですね」
ミリアが言った。
レオンは少しだけ彼女を見た。
グライフ大佐は、別のコンテナを叩いた。
「こっちは医療用凝固剤だ。北方開発会社向けになっている。戦場では出血を止める。鉱山では事故に備える。使い道としては、どちらも間違っていない」
「では、何が問題ですか」
主任が恐る恐る言った。
グライフは彼を見た。
「届く場所だ」
その時、区画の奥から拍手の音がした。ゆっくりと、三度。
上等な外套を着た男が歩いてくる。
太った男ではない。むしろ細身で、身のこなしは軽い。髪には油が行き届き、指には派手ではないが高価な指輪が光っていた。
「いやはや、監察局の皆様は仕事が早い」
男はにこやかに頭を下げた。
「グスタフ・ローエン。ローエン商会の理事を務めております」
「あなたの倉庫ですか」
レオンが聞いた。
「弊社系列の管理施設です。戦時物流は複雑でして、名義も所有権も一つの箱の中で何度も変わります」
「便利ですね」
「必要なのです」
ローエンは穏やかに答えた。
「戦争は勇気で動くものではありません。船と燃料と契約で動きます。閣下方が前線でどれほど勇ましく命じても、荷が動かなければ兵は飢え、砲は沈黙する」
「では、なぜカレリアに荷が届かなかったのですか」
ミリアが聞いた。
ローエンは彼女へ微笑んだ。
「中尉、戦時には優先順位が変わります。カレリアが危険となれば、荷を別の前線へ回すこともある。失われる場所へ物資を投げ込むより、守れる場所へ送る。冷たいようですが、合理的です」
「その結果、カレリアでは医療物資が七日分でした」
「前線はいつも物資を欲しがるものです」
ミリアの表情が固くなる。
レオンが口を開いた。
「第十八輸送群は、公式には敵襲で壊滅しています」
「痛ましいことです」
「その船がここに来ています」
「混乱でしょう」
「燃料も下ろしています」
「識別信号の誤りかもしれません」
「積荷タグも一致しています」
「タグなど、いくらでも偽装されます」
「では、倉庫を開けます」
ローエンは一瞬だけ黙った。すぐに、柔らかい笑みを戻す。
「監察令状は」
グライフ大佐が、よれた軍服の内ポケットから書類を出した。
「ある」
ローエンは、その書類を見て肩をすくめた。
「さすが監察局。嫌われる理由が分かります」
「褒め言葉だ」
「もちろん」
ローエンは一歩下がった。
「どうぞ、お調べください。ただし、ひとつ忠告を。戦時物流は血管のようなものです。乱暴に切れば、膿だけでなく血も流れます」
レオンは答えなかった。
-
倉庫の奥には、カレリアの名前が残っていた。
完全には消されていない。むしろ、完全に消す必要がないと考えられていたのだろう。
現場の作業員は、ただ荷を動かす。主任は、ただ受領印を押す。商会は、ただ名義を変える。
誰も、自分が要塞の酸素を奪ったとは思っていない。
ミリアは、薄く残った識別コードを一つずつ記録した。
酸素ユニット、三百二十。医療用凝固剤、二千箱。艦載燃料タンク、十二基。砲台駆動部品、四十八セット。
カレリアへ届くはずだったもの。届かなかったもの。
それらが、今は帝都近郊の倉庫で、別の名前を与えられて眠っている。
「少佐」
ミリアは言った。
「これが届いていれば、カレリアは」
「仮定は後で」
レオンは静かに言った。
「今は番号を拾ってください」
「はい」
彼女は唇を噛み、記録を続けた。
倉庫の出口近くで、作業服姿の女性がこちらを見ていた。
痩せた顔。疲れた目。見覚えがあった。
「ハンナ・リート技師」
ミリアが声をかけると、女性は肩を震わせた。
アルム採掘衛星から帰還した民間技師だった。彼女は、捕虜交換後、ローエン商会系列の医療審査を受けているはずだった。まだ休養中でなければならない。
「なぜここに」
レオンが聞いた。
ハンナは視線を落とした。
「出勤命令が来ました。捕虜だった期間は、会社規定では欠勤扱いだそうです」
ミリアは何か言いかけたが、言葉にならなかった。
ハンナは周囲を見回し、小さく言った。
「ここでは話せません」
-
ハンナが指定したのは、ドック外壁近くの整備用通路だった。
窓の外には、帝都が遠く輝いている。
彼女は何度も背後を確認してから、袖の内側から小さな記録チップを取り出した。
「証言はできません」
最初にそう言った。
「私は兵士ではありません。家族もいます。商会に逆らえば、仕事だけで済まない」
「分かりました」
レオンは受け取らなかった。
ハンナは顔を上げた。
「受け取らないのですか」
「証言しない自由もあります」
「自由?」
「はい」
「私は、助けてもらったのに?」
「助けたことと、証言を求めることは別です」
ハンナの目が揺れた。
ミリアは、レオンの横顔を見た。彼は本当に、証言を求めていないのだと分かった。必要なら諦める。それが最適なら、彼はそうする。
ハンナはしばらく黙っていた。
それから、記録チップをレオンではなく、ミリアに差し出した。
「証言ではありません。写しです」
ミリアは受け取った。
「何の写しですか」
「アルムで燃料を積み替えた時の作業リスト。第十八輸送群の積荷番号もあります。私が見た、ということは書かれていません」
「それでも、あなたが渡したと分かれば」
「拾ったことにしてください」
ハンナは少しだけ笑おうとして、失敗した。
「捕虜収容所で、同盟の医師が言いました。名前が記録に残っている限り、あなたは迷子ではない、と。変な言い方だと思いました。でも、帰ってきたら、分かりました」
彼女は倉庫の方を見た。
「私は、また迷子になりたくありません」
ミリアは記録チップを握った。
「保全します」
「お願いします」
ハンナは頭を下げ、足早に去っていった。
レオンは、彼女の背を見送った。
「中尉」
「はい」
「複製を」
「もう始めています」
「早いですね」
「迷子が増えると困りますので」
レオンは何も言わなかった。




