表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第一部 消えなかった名前たち
10/53

消えた補給線

 第十八輸送群は、公式には沈んでいた。

 同盟軍の奇襲を受け、カレリア到着前に壊滅。生存者なし。積荷回収不能。輸送記録、戦闘により消失。

 報告書の上では、よくある損害だった。

 前線へ向かう船が沈む。燃料が届かない。医療物資が届かない。酸素ユニットが届かない。

 そういうことは、戦争では珍しくない。珍しくないからこそ、多くの者はその一行を読み飛ばす。

 だが、ミリア・エーレンベルク中尉は読み飛ばさなかった。

 帝国軍務省監察局の臨時執務室は、狭かった。

 天井は低く、空調は古く、棚には過去十年分の監査資料が詰め込まれている。前線司令部のような警告灯もなければ、司令室のような立体星図もない。

 あるのは、書類だった。

 紙の書類。電子記録。古い記録媒体。封印された証拠箱。

 帝国の負け戦は、最後にはここへ来るらしい。

 ミリアは端末を抱え、資料の山を避けながら、部屋の奥へ駆け込んだ。

「少佐」

 レオン・クラウゼン少佐は、積み上がった報告書の山から顔を上げた。

「沈んだ船が、燃料を下ろしています」

 レオンは一拍置いて言った。

「器用な沈み方ですね」

 ミリアは端末を卓上に置いた。

 画面には、第十八輸送群の輸送艦《ヘルメス三号》の識別信号が表示されている。

 沈没推定時刻から四十六時間後。帝都近郊、ノルトハーフェン民間ドック。貨物識別は、軍用高濃度燃料。受領先は、ローエン商会系列の民間倉庫。

「公式記録では、第十八輸送群はカレリア到着前に同盟軍の襲撃で壊滅しています」

「救難信号は」

「ありません」

「残骸確認は」

「ありません」

「護衛艦の戦闘ログは」

「戦闘そのものが記録されていません」

「敵側記録は」

「捕虜交換時に中立ステーションへ提出された同盟軍の該当宙域戦闘記録に、該当する攻撃はありません」

 レオンは画面を見た。

「沈んだ理由が一つ減りましたね」

「代わりに、下ろした理由が増えました」

 ミリアは別の画面を開いた。

 カレリア要塞群へ送られるはずだった積荷リスト。燃料。医療物資。酸素ユニット。砲台修理部品。低温区画用熱交換器。

 その一部が、ノルトハーフェンで民間物資として再登録されている。再登録名は、北方貴族領開発支援物資。受領認証は、帝国軍需商会連合。

 監察局の扉が開いた。

「朝から楽しそうだな」

 入ってきたのは、マティアス・グライフ大佐だった。

 帝国軍務省監察局所属。年齢は五十を少し越えたくらい。灰色の髪を短く刈り、片手には冷めたコーヒー、もう片方には分厚い書類束を持っている。軍服はよれ、襟元の階級章だけが妙に磨かれていた。

 彼はレオンの新しい上官だった。

「沈んだ輸送艦が帝都で燃料を下ろしていました」

 ミリアが言うと、グライフ大佐は眉一つ動かさなかった。

「よくある」

「よくあるんですか」

「報告書の中ではな。現実では、あまりない方が助かる」

 大佐は空いている椅子に腰を下ろした。

「ようこそ監察局へ、クラウゼン少佐、エーレンベルク中尉。ここでは砲弾の代わりに稟議書が飛ぶ。避け損ねると、体ではなく証拠が死ぬ」

「前線より悪いですね」

 ミリアが言った。

「前線は、誰が撃ってきたか分かるだけ親切だ」

 グライフ大佐は、ミリアの端末を覗き込んだ。

「第十八輸送群か。なるほど。カレリアに届いていれば、要塞の持久日数が三日は延びた船団だ」

 レオンは言った。

「ご存じでしたか」

「知らないふりをしていた」

「理由は」

「部下が少なかった。敵が多かった。あと、私の机の引き出しが一つ爆発した」

 ミリアは瞬きをした。

「爆発?」

「比喩だ」

 グライフは冷めたコーヒーをすすった。

「半分は」

     -

 ノルトハーフェン民間ドックは、帝都の外縁軌道に浮かぶ巨大な貨物施設だった。

 帝都本星へ直接降ろせない軍需物資や民間開発資材が、ここで再仕分けされる。倉庫、燃料貯蔵タンク、整備バース、税関監査区画が複雑に絡み合い、外から見れば金属でできた小都市のようだった。

 レオン、ミリア、グライフの三人は、監察局の権限でドックへ入った。

 案内役のドック主任は、最初から汗をかいていた。

「監察局の方々が来られるとは、事前に聞いておりませんで」

「事前に聞かせると、片づけるでしょう」

 グライフが言った。

「いえ、そのような」

「片づいていない方が助かる。歩け」

 主任は黙った。

 貨物区画には、無数のコンテナが並んでいた。外装は民間用に塗り替えられている。だが、ミリアが携帯端末を近づけると、古い軍用識別コードが薄く反応した。

「少佐」

 彼女は声を落とした。

「これ、カレリア行きの酸素ユニットです。上書きされていますが、下層タグが残っています」

 レオンはコンテナの側面を見た。

 表示には、民間鉱山用生命維持補助機材、と書かれている。積荷の目的地は、エーベルハルト伯爵家の関連鉱山。

「酸素は用途を選びませんね」

「人間が選ぶんですね」

 ミリアが言った。

 レオンは少しだけ彼女を見た。

 グライフ大佐は、別のコンテナを叩いた。

「こっちは医療用凝固剤だ。北方開発会社向けになっている。戦場では出血を止める。鉱山では事故に備える。使い道としては、どちらも間違っていない」

「では、何が問題ですか」

 主任が恐る恐る言った。

 グライフは彼を見た。

「届く場所だ」

 その時、区画の奥から拍手の音がした。ゆっくりと、三度。

 上等な外套を着た男が歩いてくる。

 太った男ではない。むしろ細身で、身のこなしは軽い。髪には油が行き届き、指には派手ではないが高価な指輪が光っていた。

「いやはや、監察局の皆様は仕事が早い」

 男はにこやかに頭を下げた。

「グスタフ・ローエン。ローエン商会の理事を務めております」

「あなたの倉庫ですか」

 レオンが聞いた。

「弊社系列の管理施設です。戦時物流は複雑でして、名義も所有権も一つの箱の中で何度も変わります」

「便利ですね」

「必要なのです」

 ローエンは穏やかに答えた。

「戦争は勇気で動くものではありません。船と燃料と契約で動きます。閣下方が前線でどれほど勇ましく命じても、荷が動かなければ兵は飢え、砲は沈黙する」

「では、なぜカレリアに荷が届かなかったのですか」

 ミリアが聞いた。

 ローエンは彼女へ微笑んだ。

「中尉、戦時には優先順位が変わります。カレリアが危険となれば、荷を別の前線へ回すこともある。失われる場所へ物資を投げ込むより、守れる場所へ送る。冷たいようですが、合理的です」

「その結果、カレリアでは医療物資が七日分でした」

「前線はいつも物資を欲しがるものです」

 ミリアの表情が固くなる。

 レオンが口を開いた。

「第十八輸送群は、公式には敵襲で壊滅しています」

「痛ましいことです」

「その船がここに来ています」

「混乱でしょう」

「燃料も下ろしています」

「識別信号の誤りかもしれません」

「積荷タグも一致しています」

「タグなど、いくらでも偽装されます」

「では、倉庫を開けます」

 ローエンは一瞬だけ黙った。すぐに、柔らかい笑みを戻す。

「監察令状は」

 グライフ大佐が、よれた軍服の内ポケットから書類を出した。

「ある」

 ローエンは、その書類を見て肩をすくめた。

「さすが監察局。嫌われる理由が分かります」

「褒め言葉だ」

「もちろん」

 ローエンは一歩下がった。

「どうぞ、お調べください。ただし、ひとつ忠告を。戦時物流は血管のようなものです。乱暴に切れば、膿だけでなく血も流れます」

 レオンは答えなかった。

     -

 倉庫の奥には、カレリアの名前が残っていた。

 完全には消されていない。むしろ、完全に消す必要がないと考えられていたのだろう。

 現場の作業員は、ただ荷を動かす。主任は、ただ受領印を押す。商会は、ただ名義を変える。

 誰も、自分が要塞の酸素を奪ったとは思っていない。

 ミリアは、薄く残った識別コードを一つずつ記録した。

 酸素ユニット、三百二十。医療用凝固剤、二千箱。艦載燃料タンク、十二基。砲台駆動部品、四十八セット。

 カレリアへ届くはずだったもの。届かなかったもの。

 それらが、今は帝都近郊の倉庫で、別の名前を与えられて眠っている。

「少佐」

 ミリアは言った。

「これが届いていれば、カレリアは」

「仮定は後で」

 レオンは静かに言った。

「今は番号を拾ってください」

「はい」

 彼女は唇を噛み、記録を続けた。

 倉庫の出口近くで、作業服姿の女性がこちらを見ていた。

 痩せた顔。疲れた目。見覚えがあった。

「ハンナ・リート技師」

 ミリアが声をかけると、女性は肩を震わせた。

 アルム採掘衛星から帰還した民間技師だった。彼女は、捕虜交換後、ローエン商会系列の医療審査を受けているはずだった。まだ休養中でなければならない。

「なぜここに」

 レオンが聞いた。

 ハンナは視線を落とした。

「出勤命令が来ました。捕虜だった期間は、会社規定では欠勤扱いだそうです」

 ミリアは何か言いかけたが、言葉にならなかった。

 ハンナは周囲を見回し、小さく言った。

「ここでは話せません」

     -

 ハンナが指定したのは、ドック外壁近くの整備用通路だった。

 窓の外には、帝都が遠く輝いている。

 彼女は何度も背後を確認してから、袖の内側から小さな記録チップを取り出した。

「証言はできません」

 最初にそう言った。

「私は兵士ではありません。家族もいます。商会に逆らえば、仕事だけで済まない」

「分かりました」

 レオンは受け取らなかった。

 ハンナは顔を上げた。

「受け取らないのですか」

「証言しない自由もあります」

「自由?」

「はい」

「私は、助けてもらったのに?」

「助けたことと、証言を求めることは別です」

 ハンナの目が揺れた。

 ミリアは、レオンの横顔を見た。彼は本当に、証言を求めていないのだと分かった。必要なら諦める。それが最適なら、彼はそうする。

 ハンナはしばらく黙っていた。

 それから、記録チップをレオンではなく、ミリアに差し出した。

「証言ではありません。写しです」

 ミリアは受け取った。

「何の写しですか」

「アルムで燃料を積み替えた時の作業リスト。第十八輸送群の積荷番号もあります。私が見た、ということは書かれていません」

「それでも、あなたが渡したと分かれば」

「拾ったことにしてください」

 ハンナは少しだけ笑おうとして、失敗した。

「捕虜収容所で、同盟の医師が言いました。名前が記録に残っている限り、あなたは迷子ではない、と。変な言い方だと思いました。でも、帰ってきたら、分かりました」

 彼女は倉庫の方を見た。

「私は、また迷子になりたくありません」

 ミリアは記録チップを握った。

「保全します」

「お願いします」

 ハンナは頭を下げ、足早に去っていった。

 レオンは、彼女の背を見送った。

「中尉」

「はい」

「複製を」

「もう始めています」

「早いですね」

「迷子が増えると困りますので」

 レオンは何も言わなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ