腐った柱
倉庫が燃えたのは、その夜だった。
ノルトハーフェン第七貨物区画。火災発生時刻、二十三時四十分。原因、燃料系統の整備不良。被害、倉庫三棟、保管記録室一室、貨物識別端末二十七基。
死者なし。負傷者軽微。
公式には、事故だった。
ミリアは翌朝、その報告を読んで、端末を握りしめた。
「また整理済みですか」
「今回は物理的ですね」
レオンは焼けた倉庫の映像を見ていた。炎は消えている。黒く焦げたコンテナの山だけが残っている。軍用タグも、民間ラベルも、燃えてしまえば同じ灰だ。
グライフ大佐は、コーヒーをすすりながら言った。
「死者が出ていないのは幸いだ」
「証拠は死にました」
ミリアが言うと、グライフは肩をすくめた。
「帝都ではよくある死因だ」
「大佐」
「怒るな。怒るなら記録しろ。怒りは証拠にならんが、記録は時々刃物になる」
ミリアは深く息を吸った。
「倉庫内の原本は焼けました。でも、下層タグのスキャン、ハンナ技師の作業リスト、ドック入港記録、第十八輸送群の識別信号は保全済みです」
「どこに」
「監察局、外務省戦時調停局、中立ステーションの共同記録庫」
グライフ大佐の眉が上がった。
「中立ステーション?」
「アルム捕虜の健康被害原因資料として、捕虜交換記録に紐づけました。燃料や医療物資の未着が、捕虜化前の環境悪化に関係するためです」
「誰がその理屈を考えた」
「私です」
「通したのは」
「クラリッサ参事官です」
グライフはレオンを見た。
「少佐、部下の教育が悪いな」
「はい」
「褒めている」
「でしょうね」
ミリアは少しだけ胸を張った。
グライフは端末を開いた。
「これで、商会は倉庫を燃やしただけでは済まなくなった。だが、ローエンはまだ沈まん」
「なぜですか」
「船を持っているからだ」
グライフは星図を表示した。
帝国北方へ向かう補給航路。その六割以上に、ローエン商会系列の輸送船が関わっている。直轄軍輸送だけでは足りない。帝国は、すでに商会の船で戦争をしている。
「ローエンを逮捕すれば」
グライフは言った。
「北方の補給は止まる。少なくとも、数週間は乱れる。カレリアの次に危ない小要塞が三つある。そこに燃料が届かなくなる」
「不正を見逃せと?」
ミリアが言った。
「そうは言っていない。だが、首を落とす前に、血管をつなげと言っている」
レオンは星図を見ていた。
補給線。船。契約。貴族領。商会倉庫。前線要塞。
線は、思ったよりも細かった。
「軍直轄輸送へ切り替えるには」
レオンが聞いた。
「本来なら三か月」
「最短で」
「書類上は六週間」
「実際は」
「権限を無視すれば十日」
グライフはにやりと笑った。
「権限を無視するのは得意か」
「よく嫌われます」
「それは得意ということだ」
-
ローエンは、監察局からの出頭命令に素直に応じた。
燃えた倉庫の件で、動揺した様子はない。むしろ、彼は新しい外套を着ていた。
「火災は残念でした」
彼は言った。
「幸い、死者は出なかったようですが」
「証拠は焼けました」
ミリアが言うと、ローエンは悲しそうに眉を下げた。
「戦時下では、物も記録も失われます。痛ましいことです」
レオンは端末を卓に置いた。
「第十八輸送群の積荷番号です」
「ほう」
「アルムで再積載され、ノルトハーフェンに到着し、貴族領開発支援物資として再登録されています」
「その記録は焼けたはずですが」
「焼ける前に写しました」
「用意がよろしい」
「あなたほどではありません」
ローエンは笑った。
「少佐、私を逮捕したいのですか」
「必要なら」
「必要ですか?」
レオンは答えなかった。
ローエンは椅子に深く座った。
「率直に話しましょう。私を潰せば、北方の補給は三か月乱れます」
「十日に短縮します」
「理論上は」
「実務上も」
「では、船員は? 航路許可は? 保険は? 燃料決済は? 民間ドックの整備権は? 軍の直轄輸送など、書類の上では勇ましいですが、現実には商会の台所を借りなければ鍋一つ動かせません」
ローエンの声は穏やかだった。だが、その中には自信があった。
「私たちは腐っているかもしれません。ですが、腐った柱でも屋根を支えることはある。あなたが蹴り倒せば、下にいる兵士が濡れます」
ミリアは何も言えなかった。腹立たしいが、ローエンの言葉には一部の事実があった。
レオンは言った。
「では、柱を交換します」
「簡単に?」
「濡れる前に」
ローエンの笑みが、少し変わった。
「誰の船で?」
「あなたの船です」
「私の?」
「ローエン商会系列の北方輸送船は、軍需契約に基づき、緊急時には軍の指揮下へ一時編入可能です」
「それは大規模侵攻時の条項です」
「カレリア喪失後の北方戦線再編は、大規模侵攻の前段階です」
「拡大解釈ですな」
「監察局は得意です」
グライフ大佐が横で咳払いをした。
「私は聞いていない」
「今聞きました」
「なら仕方ない」
ローエンはしばらく黙っていた。それから、ゆっくりと手袋を外した。
「少佐、あなたは私を倒していませんよ」
「はい」
「船も、倉庫も、人員も、航路も、まだ私のものです」
「一時的に借ります」
「借りたものは返さなければならない」
「返す時に数えます」
ローエンは初めて、不快そうな顔をした。
「あなたは商人に向きません」
「よく言われます」
「主に味方から?」
「はい」
「では、敵からも言っておきましょう」
ローエンは立ち上がった。
「あなたは勝っていません。荷物の流れを少し変えただけです」
「前線には、それで十分な時があります」
ローエンは答えず、部屋を出ていった。
-
その夜から、監察局は補給線の切り替えを始めた。
書類上は、北方戦線補給安定化のための一時措置。実態は、ローエン商会の喉元に軍の手を突っ込む作業だった。
ミリアは通信網を組み直した。
ローエン系列の輸送船へ、監察局、軍務省、外務省の三重承認付き航行命令を送る。船長たちには、従えば軍が燃料と保険を保証すること、拒否すれば契約不履行として船を接収することを伝えた。
脅しだけでは足りない。安心だけでも足りない。両方が必要だった。
グライフ大佐は、軍直轄ドックの古い倉庫を開けさせた。そこには、退役予定だった補給艇や整備資材が眠っていた。旧式だが動く。遅いが飛べる。燃費は悪いが、前線へ届く。
レオンは積荷の優先順位を組み替えた。
燃料。酸素。医療物資。熱交換器。砲台部品。食糧。嗜好品は最後。式典用物資は削除。貴族領開発支援物資は、すべて後回し。
抗議はすぐに来た。
エーベルハルト伯爵家の事務官。軍需商会連合。北方開発評議会。貴族院軍務委員会。抗議文は、次々と監察局へ届いた。
グライフ大佐は、それらを一つの箱に入れた。
「読むんですか」
ミリアが聞く。
「読む」
「いつ」
「戦争が終わったら」
「終わりますか」
「だから読まずに済む」
ミリアは少しだけ笑った。
だが、笑っている時間は長くなかった。
北方の小要塞から、緊急照会が入っていた。
雪線要塞群。燃料残量、二日分。外気温制御、低下。負傷兵、四百十二名。避難船、燃料不足で待機中。
ミリアはその通信をレオンへ渡した。
「少佐」
「最初に送る便を変えます」
「予定では、第三便でした」
「第一便へ」
「護衛は」
「薄くなります」
「危険です」
「燃料が届かなければ、避難船が飛べません」
ミリアは頷いた。
「雪線要塞群へ、第一便変更を送ります」
彼女は通信を打ち込んだ。今度は、どこかの衛星を継ぎ合わせる必要はない。正規の回線で、正規の命令として送る。
それが、少し不思議だった。
続きが気になると思っていただけたら、☆☆☆☆☆で評価いただけますと幸いです。
ブックマークや感想などもいただけると励みになります。




