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銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第一部 消えなかった名前たち
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届いた報告

 グスタフ・ローエンの逮捕状が出たのは、補給切り替え開始から三日後だった。

 容疑は、軍需物資の不正転用、戦時輸送記録の改竄、監察妨害。

 ただし、逮捕状にエーベルハルト伯爵の名はなかった。

 ローエン商会の理事数名と、兵站局の中級官僚、民間ドックの責任者。倒れてよい者たちの名だけが、きれいに並んでいた。

 ミリアはその一覧を見て言った。

「伯爵の名前がありません」

「証拠が足りない」

 レオンは答えた。

「証拠はあります」

「伯爵まで届く形ではありません」

「届かないように切られているんですね」

「はい」

 グライフ大佐が横から言った。

「貴族の尻尾は、いつも高級品だ。切り落としても本体は痛がらん」

「嫌な表現ですね」

「監察局では上品な方だ」

 ローエンは、出頭時と同じように穏やかに逮捕された。

 護送艇へ乗る前、彼はレオンを見た。

「少佐」

「何ですか」

「荷物は届きましたか」

「一部は」

「なら、私の船は役に立った」

「はい」

「私も役に立った」

「それは記録に残します」

 ローエンは笑った。

「本当に、商人に向かない」

 護送艇の扉が閉まった。

 その十二時間後、護送艇は通信を絶った。

 公式記録では、所属不明艦の襲撃。護送対象、死亡推定。遺体未確認。護送兵三名死亡。

 ローエンの生死は不明。

 ミリアが報告を読み上げた時、部屋の空気は重かった。

「便利な死に方ですね」

 レオンは言った。

 グライフ大佐は、冷めたコーヒーを置いた。

「死んだことにしたい者が多い時、人はよく消える」

「追いますか」

 ミリアが聞いた。

 レオンは少しだけ考えた。

「今は補給を追います」

 彼は端末を開いた。

 北方行き第一便の航行状況。雪線要塞群まで、あと二時間。

     -

 雪線要塞群からの通信が届いたのは、翌朝だった。

 短い報告だった。

『第一補給便、到着。燃料、医療物資、酸素ユニット、熱交換器、受領確認』

 ミリアはそれを読み上げた。次の行で、少し声が止まった。

『負傷兵四百十二名のうち、緊急手術対象九十六名、手術開始。避難船三隻、燃料補給後、民間人搬出予定』

 それだけだった。

 感謝の言葉も、勝利の報告もない。ただの受領確認。

 補給が着いた。手術が始まった。船が飛ぶ。

 ミリアは画面を見つめていた。

「中尉」

 レオンが言った。

「記録に」

「はい」

 彼女は受領報告を保存した。

 数字は小さかった。四百十二。九十六。三隻。要塞。船。燃料。画面の上では、それだけだった。

 だが、ミリアには、医療区画の照明が戻る様子が見えた。凍えた通路に暖気が流れ込む様子が見えた。避難船の推進器に火が入る様子が見えた。

 カレリアで届かなかったものが、別の場所には届いた。それだけのことだった。それだけで、十分だった。

 グライフ大佐は、箱に積まれた抗議文を見た。

「さて、次は貴族院から山ほどお手紙が来るぞ」

「読むんですか」

 ミリアが聞いた。

「表題だけ読む。中身はだいたい同じだ」

 レオンは新しい報告書を開いた。

 北方戦線補給再編、第一次報告。不正転用物資、回収分。未回収分。再配分先。関係商会。失踪者、グスタフ・ローエン。関連疑義、エーベルハルト伯爵家。

 彼はそこで手を止めた。

 伯爵の名は、まだ疑義の欄にしか置けない。だが、欄はできた。

     -

 同じ頃、自由星系同盟軍旗艦オルトリーヴでは、北方戦線の補給状況が更新されていた。

 アレクサンドル・ヴェガ提督は、帝国側の補給効率が突然上がったことに気づいた。

「雪線要塞群に補給が届いています」

 副官が報告する。

「カレリア喪失後、帝国北方の輸送系統は混乱していたはずですが、ここ数日で一部が回復しています」

 ヴェガは星図を見た。

 帝国の補給線が、以前とは違う形で伸びている。太くはない。むしろ細い。だが、必要な場所へ向かっている。

「クラウゼンか」

 ヴェガは呟いた。

「敗戦処理官が、補給まで?」

 副官が怪訝そうに言う。

「前線に届かなかったものを数え始めたのだろう」

 ヴェガは静かに言った。

「面倒な男だ」

「作戦を変更しますか」

「する」

 彼は帝国北方戦線の星図を拡大した。

「補給不足を突く作戦は、効果が薄れる。ならば、別の弱い場所を探す」

「どこを」

 ヴェガは、帝国領内の政治境界線を表示した。貴族領、軍管区、開発会社所有宙域、避難民収容ステーション。線は多く、複雑で、互いに重なっていた。

「補給は戻り始めた」

 ヴェガは言った。

「だが、命令はまだ遅い」

     -

 帝都の監察局に、また新しい箱が届いた。

 今度は抗議文ではなかった。雪線要塞群からの追加報告。

 補給到着後、避難船三隻が出発。民間人、千二百名搬出。手術完了、八十八名。死亡、八名。

 レオンは数字を見て、短く息を吐いた。

 ミリアはその横で、補給再編の通信ログを整理している。

「少佐」

「何ですか」

「ローエンは、死んだと思いますか」

「分かりません」

「生きていたら」

「また出てくるでしょう」

「死んでいたら」

「誰かが、彼の席に座るでしょう」

 ミリアは手を止めた。

「終わらないですね」

「終わる仕事なら、監察局に回ってきません」

「それは慰めですか」

「事実です」

「慰めの方がよかったです」

 レオンは少しだけ考えた。

「第一便は届きました」

 ミリアは画面を見た。雪線要塞群、受領確認。民間人搬出。手術完了。

「はい」

「それで今日は十分です」

 ミリアは、ほんの少し笑った。

「少佐にしては、慰めに近いです」

「不慣れですので」

「記録しておきます」

「それは困ります」

 彼女は本当に記録しようとして、やめた。代わりに、雪線要塞群の報告を正式保存した。

 窓の外では、帝都の昼が白く輝いている。美しい街だった。だが、その光の下を流れる線が、少しだけ見え始めていた。

 船の線。金の線。命令の線。そして、どこかで切られた線。

 レオン・クラウゼンは、新しい調査票を開いた。表題は、まだ空欄だった。

 ミリアは隣で、補給航路図を表示する。雪線要塞群のさらに先、帝国北方の薄い宙域に、小さな警告表示が点滅していた。

 通信遅延、増大。避難民船団、待機中。指揮系統、未確認。

 レオンはそれを見て、静かに言った。

「次は、命令が届いていないようですね」

 ミリアは端末を抱え直した。

「通信網を見ます」

 グライフ大佐が部屋の奥から声をかけた。

「おい、二人とも」

「何でしょう」

「前線へ戻りたそうな顔をするな。監察局の人間が前線に行くと、書類が泣く」

 レオンは答えた。

「人も泣いています」

 グライフはしばらく黙り、やがて冷めたコーヒーを掲げた。

「なら、書類は後回しだ」

 ミリアは新しいフォルダを作った。

 今度は、名前を迷わなかった。

 雪線宙域、通信遅延調査。

 補給は届いた。だが、まだ帰る命令が届いていない場所がある。

 帝都の静かな部屋で、次の戦場の輪郭が、少しずつ浮かび上がっていた。


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