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銀河帝国の敗戦処理官、撤退命令だけで三万人を救う  作者: 鷹山
第一部 消えなかった名前たち
13/53

届いた保持命令

 雪線要塞群に補給が届いたのは、帝都標準時で午前三時十二分だった。

 報告は短かった。

『第一補給便、到着。燃料、医療物資、酸素ユニット、熱交換器、受領確認』

 それだけなら、ただの受領報告だった。

 だが、続く行に、ミリア・エーレンベルク中尉は指を止めた。

『負傷兵四百十二名のうち、緊急手術対象九十六名、手術開始。避難船三隻、燃料補給後、民間人搬出予定』

 燃料が届いた。医療物資が届いた。酸素ユニットが届いた。

 それだけで、手術室の灯りが戻る。避難船に火が入る。凍えかけていた通路に、暖気が流れる。

 帝国軍務省監察局の狭い執務室には、相変わらず書類が積み上がっていた。窓の外には帝都の朝が白く広がっている。前線の低温も、血の匂いも、ここには届かない。ただ、数字だけが届く。

「少佐」

 ミリアは端末を持って、レオン・クラウゼン少佐の机へ向かった。

「雪線要塞群、第一補給便の受領確認です」

 レオンは報告書から顔を上げた。

「手術は」

「開始されています。避難船三隻も燃料補給後、民間人搬出予定です」

「間に合いましたか」

「一部は」

 ミリアはそう答えてから、自分の言葉がレオンに似てきたと思った。全部ではない。だが、ゼロでもない。最近、そういう数え方ばかりしている。

 部屋の奥で、グライフ大佐が冷めたコーヒーをすすっていた。

「よかったな。監察局の仕事で珍しく、前線が温まった」

「珍しいんですか」

 ミリアが聞く。

「監察局が触ると、大抵は誰かの椅子が冷える」

 グライフは山積みの抗議文を足元の箱に押し込んだ。

「ローエン商会からの抗議、北方開発評議会からの抗議、貴族院軍務委員会からの照会。補給が届くと怒る人間もいるらしい」

「前線は喜んでいます」

「なら十分だ」

 そう言いながらも、グライフの顔は晴れなかった。レオンも、報告を読み返している。

 ミリアは違和感を覚えた。補給は届いた。手術も始まった。避難船も飛べる。それなのに、二人は喜んでいない。

「何か問題が?」

 レオンは端末を回した。

 新しい命令書が届いていた。

『雪線要塞群、防衛線保持。

 補給到着により一時的戦力回復を確認。

 現地司令部は要塞群を放棄せず、北方航路再制圧作戦まで現状を維持せよ。

 民間船団の避難は段階的に実施。

 反撃準備を継続』

 ミリアは命令書を読み終え、顔を上げた。

「保持命令……?」

「補給が届いたからです」

 レオンは言った。

「補給は、逃がすために送ったのでは」

「帝都は、守るために使えると判断しました」

 ミリアはもう一度、命令書を見た。

 燃料が届いた。だから船が飛べる。そう思っていた。

 だが別の者は、こう見る。燃料が届いた。だから要塞はまだ戦える。

 同じ物資が、まったく違う意味を持つ。

「この命令、いつの状況で出ていますか」

 ミリアは通信履歴を開いた。

 雪線要塞群から帝都へ送られた戦況報告。補給受領前の危険報告。低温粒子嵐の進路予測。民間船団の待機限界。通信遅延。

 複数の時刻を重ねる。そして、息を止めた。

「少佐」

「何時間ですか」

「三十二時間です」

「古いですね」

「古いというより……」

 ミリアは言葉を探した。

 三十二時間。帝都では、会議が一つ延びる程度の時間かもしれない。だが前線では、手術の可否が変わる。避難船の燃料が凍る。通信ブイが死ぬ。要塞の外壁が割れる。

「この命令、三十二時間前の数字で出ています」

 レオンは頷いた。

「戦場では、三十二時間あれば死者数が変わります」

 グライフ大佐が眉間を押さえた。

「嫌な予感がしてきた」

「雪線へ行きます」

 レオンが言った。

「監察局は前線に行かん」

「補給物資の使用状況確認です」

「便利な言い訳だな」

「大佐に教わりました」

「私はそこまで悪い教育をした覚えはない」

 グライフは立ち上がり、壁面端末に手を伸ばした。

「雪線要塞群への監察出張。名目は、北方補給再編後の物資配分状況確認。同行者、エーレンベルク中尉。現地作戦への関与は禁止」

 彼はそこで一度、レオンを見た。

「禁止だぞ」

「承知しました」

「本当に承知する顔ではないな」

「記録には残ります」

「だから監察局は嫌われる」

 グライフは申請を送信した。

「二時間で出ろ。前線が帳簿の中に逃げ込んだ。追ってこい」

     -

 雪線宙域は、暗かった。

 星明かりはある。だが、宙域全体に漂う低温粒子の薄い霧が、光を鈍く散らしている。艦の外壁には、霜のような結晶が付着し、推進器の熱が青白く尾を引いた。

 雪が降るわけではない。だが、初めてその光景を見た帝国兵は、皆、雪線と呼んだ。

 凍りつく境界線。帝国北方の小要塞群は、その中に浮かんでいた。

 巨大なカレリア要塞とは違う。雪線要塞群は、小型の防衛ステーションと砲台衛星、補給中継基地を鎖のようにつなげた防衛線だった。ひとつひとつは脆い。だが、互いに支え合えば、北方航路を一時的に塞ぐことはできる。

 支え合えれば、の話だ。

 レオンたちの連絡艇が第一要塞シュネーへ接舷すると、外壁に走る補修跡が見えた。装甲板は低温で白く変色し、いくつかの砲台は根元から凍りついたように停止している。

 出迎えたのは、雪線要塞群司令官、イザーク・ベルン少将だった。

 四十代半ば。目の下には濃い隈があり、軍服は清潔だが、袖口に修理油の跡が残っていた。貴族的な華やかさはない。ゼッケンドルフ大将のような威厳もない。

 ただ、疲れていた。それでも立っていた。

「クラウゼン少佐」

 ベルンは敬礼した。

「監察局から来たと聞いている」

「補給物資の使用状況確認です」

「この状況で監察とは、帝都も余裕がある」

「余裕がないので来ました」

 ベルンは少しだけ目を細めた。

 レオンは端末を開いた。

「第一補給便の受領後、帝都から保持命令が出ています」

「知っている」

「現地の評価は」

「保持は可能だ」

 ミリアはベルンの顔を見た。その言葉は、少し遅れて出た。嘘ではない。だが、完全な本音でもない。

 レオンは言った。

「何日ですか」

「……三日」

「民間船団を抱えたまま?」

 ベルンは答えなかった。

 要塞の通路を、負傷兵を乗せた担架が通っていく。補給が届いたおかげで、医療区画は動き始めている。だが、それは余裕があるということではない。壊れかけたものが、かろうじて止まっただけだ。

「こちらへ」

 ベルンは短く言い、作戦室へ案内した。

 作戦室の星図には、雪線要塞群、民間避難船団、同盟軍の推定位置が表示されている。民間船団は要塞群の内側、低温粒子帯の影に集まっていた。数は百三十隻以上。大型移民船、民間貨物船、旧式旅客船、小型作業艇。どれも、長期滞在には向いていない。

 ミリアは船団の状態データを見た。

 機関温度低下。外殻結晶化。燃料粘度上昇。乗員疲労。暖房効率低下。

「この船団は、いつまで待てますか」

 ミリアが聞くと、ベルンは答えた。

「公式には四十八時間」

「実際には」

「二十四」

 レオンは民間船団の位置を見た。

「今なら出られます」

「だから帝都は、段階的に避難させろと言っている」

「段階的に、何日かけて?」

「七日だ」

 ミリアは思わず声を上げそうになった。

 七日。民間船団が持つのは二十四時間。帝都の避難計画は七日。数字が合っていない。

 だが、書類の上では成立しているのだろう。補給が届いた。要塞は保持可能。民間船団は段階避難。それぞれの文だけ見れば、間違いではない。並べると、人が死ぬ。

「ベルン少将」

 レオンは言った。

「補給は届きました。だから、今なら逃げられます」

 ベルンは目を閉じた。

「帝都は、だから守れと言っている」

     -

 民間船団代表、ノア・カザンは、元商船長だった。

 軍人ではない。だが、軍人よりも船の状態をよく知っていた。

 灰色の髪を後ろで縛り、古い船長服の上に厚手の防寒ジャケットを着ている。眉間には深い皺が刻まれ、声は低く荒れていた。

 彼はレオンを見るなり言った。

「軍はいつも、少し待てと言う」

 船団管理区画の窓からは、外で待つ民間船の灯りが見えた。

「その少しで、船は凍る」

 レオンは船団の状態表を見た。

「船団の自力離脱可能数は」

「今なら百一隻」

「十二時間後は」

「八十を切る」

「二十四時間後は」

「半分だ」

「四十八時間後は」

 ノアは笑った。

「数える必要があるか?」

 ミリアは黙って端末に記録した。

 ノアは彼女の手元を見た。

「中尉、記録は結構だが、船は記録で温まらない」

「分かっています」

「分かっていない軍人が多すぎる」

「そうですね」

 ミリアが即答したので、ノアは少しだけ意外そうな顔をした。

 レオンは聞いた。

「船団を今動かす場合、最大の障害は」

「燃料ではない。燃料は届いた。問題は航路だ」

 ノアは星図を指した。

「低温粒子嵐が、外縁航路を塞ぎかけている。軍用艦なら突っ切れるが、民間船は無理だ。使えるのは、要塞群の内側を抜ける狭い通路だけだ」

「護衛は」

「軍が出すと言っている。だが、護衛艦は要塞防衛にも必要だそうだ」

 ノアは吐き捨てるように言った。

「軍はいつも、船に二つの仕事をさせたがる。守れ、逃がせ、待て、動け。船体は一つしかない」

 レオンは頷いた。

「船団を二群に分けます」

「三群だ」

 ノアが即答した。

「大型船、小型船、故障寸前の船。大型船は先に出すと航路を塞ぐ。小型船は最後にすると凍る。故障寸前の船は、今出さなければ二度と出ない」

 レオンはノアを見た。

「あなたが組んでください」

「軍が民間船長の計画を使うのか」

「船のことは船長の方が知っています」

 ノアは少しだけ黙った。

「変な少佐だな」

「よく言われます」

「主に悪口としてか」

「はい」

 ノアは初めて、かすかに笑った。

「なら、信用はしないが、仕事はする」

     -

 同じ頃、自由星系同盟軍旗艦オルトリーヴでは、雪線宙域の星図が静かに更新されていた。

 アレクサンドル・ヴェガ提督は、帝国側の補給便到着を確認していた。

「届いたか」

 副官が言った。

「帝国北方の補給再編は、予想より早いです」

「クラウゼンだろう」

「敗戦処理官が補給線を?」

「前線に届かなかったものを数えれば、自然とそうなる」

 ヴェガは星図を拡大した。

 雪線要塞群。民間船団。帝国護衛艦隊。通信中継ブイ。そして帝都からの命令経路。

 彼は艦隊の正面攻撃を命じなかった。雪線要塞群は脆い。だが、攻めれば帝国軍は逃げる理由を得る。今の帝国中央は、要塞を保持したがっている。ならば、その判断を長引かせればよい。

「通信妨害は」

「微弱妨害を継続中です。偽命令は出していません」

「出すな」

 ヴェガは言った。

「偽命令は一度露見すれば警戒される。今回は順番だけでいい」

「順番?」

「古い報告を先に通し、新しい危険報告を遅らせる。帝国中央には、雪線がまだ守れるように見える」

「攻めないのですか」

「向こうが自分で凍るなら、撃つ必要は少ない」

 副官は少しだけ沈黙した。

「民間船団がいます」

「知っている」

「圧力として使うのですか」

 ヴェガは副官を見た。

「撃つな。だが、見える場所に置け」

 それは命令だった。冷たく、正確な命令だった。

「民間船団がいる限り、帝国軍は護衛を割かねばならない。護衛を割けば要塞は薄くなる。要塞を守れば船団が凍る」

 ヴェガは星図の光点を見つめた。

「帝国中央が迷っている間に、雪線は選択肢を失う」


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