戻る指揮
シュテルン環礁の帰投から、三日が経っていた。
北方戦線後方司令部、レオンの執務室。
ゼッケンドルフ艦隊は別任地への移動準備に入り、ラインベルク中将の追加動員部隊は軍務省直轄に戻る書類を整えていた。第七支援隊は、後方司令部のドックで待機していた。
ミリアが、観測卓の最新を持って入室した。軍服の襟元は、いつも通り規律通りに整っていた。
「同盟軍最高評議会の決定が、外務省側の観測網に上がっています」
「内容は」
「ヴァスケス上級提督の北方戦線指揮権、剥奪。中央方面の予備指揮官に降格」
「降格、ですか」
「罷免ではなく、降格です。戦線維持失敗の責任を、形の上で問われる形」
「ヴェガ提督は」
「北方戦線指揮系統に、戻ります。中央方面の連絡参謀から、北方戦線方面軍司令官代行へ」
「代行」
「正式任命は、停戦交渉の節目で確定する見込みです」
短い間。
「戻ったというより、戻された、というところですね」
「同感です」
-
通信卓に、グライフからの通信が入った。声は、いつもより、わずかに穏やかだった。
「皇女殿下が、軍務委員会で停戦予備案を提示した。同盟軍ヴェガ提督の戻りを、停戦交渉の前提として」
「伯爵閣下は」
「反対している。北方戦線回復は未達成、撤退戦の継続を主張」
「軍務委員会の決議は」
「割れている。だが、皇女殿下が、外務省側の停戦予備案の枠組みを、書面で押し切った」
「中央連合と通商連合の枠組みですね」
「そうだ。中央連合の観察団が、ヘリオス七で動き始めている。通商連合の経済保証も、書面で組み込まれた」
短い間。
「伯爵は、最後まで抵抗するだろう。だが、軍務委員会の議席は、停戦予備案の側に動いた」
「了解しました」
「お前への命令は、当面、保留だ。撤退戦の継続も、新たな攻勢も、両方止まる」
「文書で答えます」
「いつも通りだな」
「分かっています」
通信が切れた。
-
通信卓に、別の回線が開いた。中立通信回線。ヴェガ提督からだった。
「クラウゼン少佐。北方戦線方面軍司令官代行として、応答する」
「ヴェガ提督。お戻り、お待ちしておりました」
「お待たせした。だが、戻ったというより、戻されたというのが、正確だ」
「同感です」
短い間。
「停戦交渉の同盟側交渉役を、引き受ける。同盟軍最高評議会の決定だ」
「了解しました」
「君の側の交渉役は、皇女殿下、ヴァイト参事官、それから外務省戦時調停局」
「観測されている通りです」
「私からは、もう一つ、伝えたい」
「お聞きします」
短い間。
「借りは、ここで返す」
「拝聴します」
「停戦交渉で、同盟側の譲歩できる範囲を、こちらが先に提示する。それで、君の側の交渉が、わずかに早く進む」
「ご無理のないように」
「無理ではない。同盟軍最高評議会内では、もう、強硬派は主導権を失っている。譲歩の範囲を提示することは、私の指揮権の範囲内だ」
「分かりました」
「以上」
通信が切れた。
-
しばらく後、クラリッサからの通信が入った。
「クラウゼン少佐。皇女殿下とヴェガ提督の直接通信が、外務省側で開かれます。同席をお願いします」
「承りました」
通信卓に、皇女殿下の暗号符号とヴェガの中立通信回線が、同時に接続された。
「ヴェガ提督」
「アレシア皇女」
短い間。
「お戻り、ご苦労様でした」
「皇女殿下のお呼び立て、ありがとうございます」
「停戦予備案の枠組み、最終調整に入ります」
「同盟側の譲歩範囲、こちらから先に提示します」
「ありがとうございます。それで、ヴァイト参事官との実務協議が、進められます」
「了解しました」
短い間。
「ヴェガ提督」
「はい」
「お父様の、お元気でしょうか」
短い間が、これまでより、わずかに長かった。
「父は、五年前に他界しました」
「ご無沙汰の間に、申し訳ありません」
「いえ。お気遣い、ありがとうございます」
短い間。
「お父様にお会いした時、まだ私が十六の頃でした。中央連合の学術交流の場で」
「父も、皇女殿下のことを、よく話していました。『お若いが、聡明な方だ』と」
「お父様も、聡明な方でした」
短い間。
「私からは、それ以上は、申しません。停戦交渉、よろしくお願いします」
「お任せください。以上」
通信が切れた。
レオンは、二人の対話を、何も言わずに聞いていた。襟を一度、指で整えた。
-
クラリッサからの通信が、改めて入った。
「クラウゼン少佐。同席、ありがとうございました」
「拝聴しました」
「ヴェガ提督の同盟側交渉役の受諾、確認しました。同盟側の譲歩範囲も、コルニエ参事官経由で、先に共有されています」
「同盟側の譲歩範囲は」
「以下の通りです。北方戦線の境界線、現状凍結。捕虜の全数返還、民間人帰還の保証。同盟軍の北方戦線からの撤退の段階的実施」
「これで停戦予備案の枠組みは、ほぼ整いますね」
「ほぼ整います。残るのは、中立保証の詳細です」
「中央連合の観察団と、通商連合の経済保証ですね」
「観察団は、すでにヘリオス七に派遣されています。北方戦線の艦隊戦の結果を、観察済みです」
「経済保証は」
「通商連合が、補給線の中立的な維持を、書面で保証しました。書面の写しは、外務省経由で、後ほど」
「了解しました」
短い間。
「もう一つ、お伝えします。停戦合意の正式調印は、ヘリオス七で行われます。期日は、来週」
「来週」
「クラウゼン少佐のご同席は、軍側補佐として、お願いしたい、と外務省からの要請があります」
「承ります」
通信が切れた。
-
通信卓のすべての応答が終わった後、レオンは引き出しを開けた。
これまでの紙が、並んでいた。引き出しの底は、もう、見えなくなりつつあった。
今日加わるのは、停戦交渉の枠組みの書面の写しだった。クラリッサから外務省経由で届いていた。レオンは、その紙を、これまでの紙の上に置いた。
引き出しを閉めた。
通信が入る。ミリアからだった。
「少佐。次の動きは」
「来週のヘリオス七での調印です」
「了解しました。軍側補佐の準備、進めます」
「お願いします」
短い間。
「少佐」
「はい」
「ヘリオス七には、ヴェガ提督も、出席されますか」
「観測される範囲では、出席されます」
「分かりました」
通信が切れた。
レオンは、机の上の停戦予備案の通達書類を、もう一度確認した。窓外には、北方の星があった。星の位置は、いつもと同じだった。
戻った指揮の先で、別の指揮が、待っていた。届く命令の先で、まだ届かない命令が、いくつか残っていた。
続きが気になると思っていただけたら、☆☆☆☆☆で評価いただけますと幸いです。
ブックマークや感想などもいただけると励みになります。




