届く命令
ヴァスケス艦隊の攻勢が、頂点に近づいていた。
戦艦数隻が中央に投入され、巡洋艦と駆逐艦が前衛で押し続けた。砲撃の密度が、観測卓の表示でも増していった。
ミリアが、戦況の更新を読み上げた。
ゼッケンドルフ艦隊、駆逐艦七隻機関停止、巡洋艦二隻大破、戦艦被弾、機関維持。
ラインベルク艦隊、駆逐艦十五隻機関停止、戦艦二隻被弾大破。
第七支援隊、軽傷数隻、機関停止艦なし。
同盟軍、駆逐艦多数機関停止、巡洋艦数隻大破、戦艦一隻機関停止。
「ゼッケンドルフ艦隊、損害深刻」
ミリアの声に、わずかな張り詰めた響きがあった。
「閣下のご応答が、わずかに遅れています」
「閣下、ご応答を」
通信回線が、開いた。
「クラウゼン少佐。攻勢の姿勢、まだ維持できる。だが、限界が近い」
「あと、何時間ですか」
「三時間。それ以上は、艦隊が壊れる」
「三時間あれば、最後の撤退対象が、流れます」
「了解だ」
同盟軍の指揮所では、ヴァスケスが星図の前で副官の報告を聞いていた。
「閣下、ゼッケンドルフ艦隊は、艦隊規模に対して、不釣り合いに粘っています」
「攻め続ければ、壊れる」
ヴァスケスの声は、迷いがなかった。
「中央、もう一段、突進。ゼッケンドルフ艦隊を、貫く」
「了解しました」
-
レオンは、観測卓の前で、配置の組み直しを決めた。
「ハルトマン、《ヴァイス》、前衛へ。コア艦四隻、前衛に配置」
「了解。攻めますか」
ハルトマンの応答は、即決だった。
「攻めます。ただし、ヴァスケス艦隊の前衛の側面、後衛との繋ぎの位置を狙ってください」
「補給線、ですか」
「補給線の繋ぎ目です。沈める必要はありません。機関停止狙い、距離維持」
「了解」
第七支援隊コア艦四隻が、これまで後尾で撤退対象を流していた配置から、前衛側に動いた。攻めの姿勢が、戦場の南西側に立ち上がった。
ヴァスケスの旗艦。
「敵第七支援隊、前衛側に動きました。補給線の繋ぎ目を狙っています」
副官の報告に、ヴァスケスは星図から目を上げなかった。
「クラウゼンが、攻めに転じたか」
「攻めです。これまでとは違います」
「ようやく、教科書通りに動いてきた。前衛、もう一段、突進」
「了解しました」
ヴァスケスは、レオンの攻めを戦果のチャンスと読んだ。教科書通りの判断だった。
-
ハルトマン《ヴァイス》、駆逐艦《イーゼ》《シュテル》が、ヴァスケス艦隊の前衛と後衛の繋ぎ目に砲撃を加えた。
目標は補給艦と修理艦。機関停止狙いで、装甲ではなく機関部を撃つ。
同盟軍補給艦二隻、機関停止。修理艦一隻、機関停止。
補給線の繋ぎ目に、薄い空白が広がっていった。
ヴァスケスの旗艦。
「閣下、補給艦と修理艦が、機関停止しています。前衛の補給線が、後衛と切り離される可能性があります」
「気にするな。前衛が突破すれば、補給線は後で繋ぎ直せる」
「ですが、深追いになります」
「深追いではない。突破だ」
ヴァスケスは、戦果を求めて攻勢を継続した。前衛が、シュテルン環礁の中央へ、さらに深く入っていった。
観測卓の前で、ミリアが状況の更新を流した。
「敵補給線、構造的に分断されつつあります」
「分かりました」
「ハルトマン、現位置を維持。これ以上、攻めない」
「了解」
レオンは、攻めの限界を引いた。攻めれば、戦闘が長引く。撤退対象を流す時間が、削れる。
-
ノアの《リベルテ》からの通信が、後尾の回線に届いた。
「最後の集団、抜ける。あと一時間」
「了解です」
ミリアの応答が、観測卓から流れた。
「撤退対象、最後の集団、流れ始めています」
ゼッケンドルフからの応答が、同時に届いた。
「クラウゼン少佐。《ヴァイデンブルク》、被弾度合いが上がってきている。残り、二時間」
「最後の集団が、抜けるまで、約一時間」
「もう一時間、攻勢を維持する。それで足りるか」
「足ります」
「了解だ」
ラインベルク中将の応答も、続いた。
「軍務省直轄部隊、損害甚大。だが、書類通りの執行は、まだ維持できる」
「お疲れです、中将」
「貴官の指示を、待つ」
「もう少しだけ、お願いします」
「了解した」
-
ミリアの観測卓に、最後の数字が流れた。
「最後の集団、抜けました。撤退対象、全員、後方へ」
「全艦への撤退命令、起案します」
短い間。
通信卓に、戦況の更新が流れていた。ゼッケンドルフ艦隊、損害更新。ラインベルク艦隊、損害更新。
ミリアは、観測卓の前で、応答を待った。
「少佐」
「はい」
「ご命令を」
レオンは、答えなかった。
代わりに、窓外の星を見た。
八年前、届かなかった命令がある。
今、届く。
「全艦、撤退」
命令は、届いた。
-
撤退命令が、艦隊全体に伝わった。
ゼッケンドルフ艦隊、ラインベルク艦隊、第七支援隊が、整然と撤退を開始した。シュテルン環礁の北方境界を抜けて、帝国艦隊が後方へ流れていった。
同盟軍の指揮所。
「閣下、帝国艦隊、撤退を開始しました」
「追え。前衛、深追い」
「閣下、補給線が」
「追え」
ヴァスケス艦隊の前衛が、深追いを始めた。だが、前衛は深く入りすぎていた。機関停止した補給艦と修理艦の位置を越えて、後衛との距離が、さらに広がった。
「閣下、前衛の補給が、完全に切れました」
「……前衛、停止」
「前衛、停止」
ヴァスケスは、星図の前で、深追いを止めた。だが、もう遅かった。帝国艦隊は、すでにシュテルン環礁の外へ抜けていた。
戦闘の総括が、観測卓に並んだ。
帝国側、ゼッケンドルフ艦隊、駆逐艦九隻喪失、巡洋艦三隻大破、戦艦一隻被弾大破。ラインベルク艦隊、駆逐艦二十隻喪失、戦艦三隻被弾大破。第七支援隊、軽傷数隻、撃沈なし。戦死約三千名、行方不明約六百名、重傷約一千五百名。
同盟側、戦艦五隻大破、巡洋艦十二隻大破、駆逐艦三十五隻喪失、補給艦・修理艦多数機関停止。戦死・行方不明・重傷は、こちらが確認しない。
撤退対象、合計約三万人、全員、後方へ抜けた。
-
帰投後、《アルゲン》の指揮所。
ミリアが、報告書を起草していた。
「報告書、整理します」
「お願いします」
短い間。
「ヴァスケス艦隊は、押し戻されたわけではありません。ですが、補給線が分断され、戦線の維持に失敗しました」
「分かりました」
「同盟軍最高評議会で、観測網に異変があります。ヴァスケス上級提督の指揮への不満が、決定的に高まっています。推測ではなく、外務省側の観測情報です」
「了解しました」
通信卓に、グライフからの通信が入った。
「クラウゼン少佐。撤退完了、聞いた」
「はい」
「同盟軍最高評議会で、ヴァスケス上級提督の罷免の動きが、出ている」
「了解しました」
「皇女殿下にも、伝えた。停戦予備案の実体化が、近づいている」
「お願いします」
通信が切れた。
レオンは、机の上の引き出しを開けた。これまでの紙が、並んでいた。
内ポケットから、薄い一枚を取り出した。子供の字で書かれた、古い手紙。「こわいかおのしょうささんへ」と書かれていた。
レオンは、その手紙を、しばらく見た。それから、引き出しに置いた。これまでの紙の上に、もう一枚。
引き出しを閉めた。
窓外には、北方の星があった。星の位置は、いつもと同じだった。
届かなかった命令は、届いた。届いた命令の先で、別の命令が、近づいていた。
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