重なる命令
《セレナ》救援から、五日が経っていた。
北方戦線後方司令部、レオンの執務室。
クラリッサ・フォン・ヴァイト参事官からの通信は、いつも以上に静かだった。
「通商連合から、非公式メッセージが届きました」
「内容は」
「『北方戦線の長期化に懸念。早期決着を、双方に望む』。短いです」
「同盟側にも」
「同じ文面が、同盟外務局にも届いていると、コルニエ参事官から確認しました」
「経済的な圧、ですね」
「軍事的には動かない。だが、経済の側から、戦線を急がせようとしています」
短い間。
「皇女殿下にも、お伝えしました。お言葉は『急がせれば、北方の人を失う』、と」
「ご意向は」
「決着ではなく、一時的な安定です。今、戦線を一気に動かせば、人が失われる側が増えます」
「同感です」
-
クラリッサとの通信が切れた後、ミリアが観測卓の最新を持って入室した。軍服の襟元は規律通り、ただし、いつもより、報告の速度が早かった。
「同盟軍最高評議会の決定が、外務省側の観測網に上がりました」
「内容は」
「ライナルド・ヴァスケス上級提督が、北方戦線新司令官として任命されました」
「確定ですか」
「確定です。同時に、ヴェガ提督は、別任地への異動が、正式に通達されました」
「異動先は」
「中央方面の連絡参謀。北方の指揮系統からは、完全に外されます」
短い間。
「《オルトリーヴ》は」
「ヴェガ提督の旗艦のまま、別任地に同行します。罷免ではない、というのが、外務省側の説明です」
「了解」
通信卓に、別の信号が入った。中立通信回線。
ミリアが、回線を開いた。
ヴェガ提督の声が、流れた。短く、平坦だった。
「クラウゼン少佐。私は、北方から離れる」
「ヴェガ提督」
「次の指揮官は、ヴァスケス上級提督。観測されている通りだ」
「観測しています」
短い間。
「君に、一つだけ言える。借りは、いずれ返す」
「お待ちします」
「ただし、私は、北方の外にいる。すぐには、返せないかもしれない」
「了解しました」
「以上」
通信が切れた。
ミリアは、応答欄に短く記入した。
中立通信、ヴェガ提督。要旨「北方から離れる」「借りは、いずれ返す」「返せる場所が、限られる」。
-
グライフからの通信が、急報として入った。声には、これまでにない、わずかな鋭さがあった。
「軍務委員会で、伯爵が決戦命令を起案した」
「内容は」
「件名『北方戦線回復のための反転攻勢』。シュテルン環礁を確保し、雪線群以南の戦線を再構築せよ」
「シュテルン環礁」
「北方戦線南端の集約点だ。お前が、これまで撤退路の集約点として使ってきた宙域の、もう少し南」
「反転攻勢、ですか」
「決議は、もう通った。執行命令は、明日、お前に伝達される。ヘルダー大佐経由で」
「皇女殿下のご反対は」
「反対された。だが、軍務委員会の決定を、完全には覆せなかった」
短い間。
「皇女殿下は、別の手を打っている。詳細は、まだ分からない」
「了解」
グライフは、声の鋭さを、わずかに緩めた。
「伯爵の真意は、戦線回復ではない」
「お聞きします」
「お前を、大艦隊戦で、消耗させる構造だ。敗北の責任を、お前に負わせる」
「分かっています」
「お前は、命令違反はできない」
「できません」
「だが、命令の解釈は、お前に残されている」
短い間。
「解釈、ですか」
「『反転攻勢』とは何か。攻勢に出ることか、攻勢に出る振りで撤退を成立させることか。お前は、軍人として、命令の文言に従う。だが、文言の解釈は、現場の指揮官の裁量だ」
「攻勢防御、というご意味でしょうか」
「言葉は、お前が選べ。私は、書類で守る」
「分かりました」
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翌日、ヘルダー大佐が、直接、執務室に来た。
軍務委員会の公式印で封蝋された書類を、机に置いた。
「クラウゼン少佐。軍務委員会の決議による、執行命令をお伝えします」
「拝受します」
「件名『北方戦線回復のための反転攻勢』。詳細は、書類の通り」
「期日は、来月。編成は、第七支援隊に加えて、ゼッケンドルフ艦隊、それから帝国軍務省直轄の追加動員」
「ゼッケンドルフ大将のご意向は」
「軍務委員会から、ご出陣をお願いする形になります。すでに、ご承諾いただいています」
「了解しました」
「執行は、来月の節目に。詳細は、別便で」
ヘルダーは、書類の上に、もう一通の封蝋付き書類を重ねた。
「以上です。何か、ご質問は」
短い間。
「命令の文言について、一点だけ」
「お聞きします」
「『反転攻勢』の意味するところは、軍事的にどの範囲ですか。シュテルン環礁の確保が、目標なのか、それとも、攻勢の姿勢そのものが目標なのか」
「軍事的判断は、現場の指揮官に委ねられます。文言は、お手元の通り」
「現場判断、ということですね」
「現場判断です。ただし、軍務委員会への報告は、文言通りの執行をお願いします」
「文書で答えます」
ヘルダーは、わずかに頭を傾けた。否定でも肯定でもない、規律ある軍人の所作だった。
「失礼します」
ヘルダーが退室した。
レオンは、机の上の二通の書類を、揃え直した。
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ヘルダー退室から、しばらく経った頃、通信卓に、特別な暗号符号が表示された。
ミリアが、回線を確認した。
「皇女殿下からの直接通信です。回線、開けますか」
「開けてください」
通信卓のスピーカーから、アレシア皇女の声が流れた。査問の議場以来の、直接の声だった。
「クラウゼン少佐」
「皇女殿下」
「軍務委員会の決議を、止められませんでした」
「ご事情、伺っています」
「私が、別の手を打ちます」
「お聞きします」
「ゼッケンドルフ大将には、お願いしました。あの方は、現場で動いてくださいます。それから、外務省側に、停戦の枠組みの予備案を、立てるよう、伝えました」
「停戦」
「まだ予備案です。実体化は、北方戦線が、ある節目を越えてからになります」
「節目」
「シュテルン環礁での艦隊戦の、結果次第です」
短い間。
「クラウゼン少佐。命令の文言は、変えられません。ですが、文言の中で、何を成すかは、あなたに委ねられています」
「攻勢防御、と読みます」
「結構です。私からは、それ以上は申しません」
もう一度、短い間。
「ただ、お願いします。あなたの艦隊を、残してください」
「整えます」
「お願いします」
通信が切れた。
レオンは、通信卓の前で、襟を一度、指で整えた。それから、机の上の二通の書類に、視線を戻した。
-
ミリアが、書類の写しを持って入室した。
「シュテルン環礁の艦隊運用計画、いつから着手しますか」
「明日から。ゼッケンドルフ大将との連携準備も、同時に」
「了解しました」
ミリアは、書類を机の端に置いた。退室しなかった。
「少佐」
「はい」
「『攻勢防御』というのは、どのような型ですか」
「攻勢に出る振りで、撤退を成立させる型です。ただし、振りに留まるとは、限りません」
「と、いうと」
「敵が引かない局面では、実際に攻めます。猛烈に、と言ってよい場合もあるかもしれません。敵に引く理由を、こちらが作る形です」
「攻撃が、手段、ということですか」
「目的は、撤退の成立です。攻撃は、それを成立させるための一つの手段。振りで済めば、振りで。済まなければ、手を変えます」
「文書では、攻撃の成功は、要求されていない、と」
「要求されていません。文言は『反転攻勢』。攻勢の姿勢が、要求されています。姿勢の中身は、現場で決めます」
ミリアは、応答欄に短く記入した。
攻勢防御。撤退を成立させる手段としての攻勢。振りから猛攻まで、現場判断。
「準備します」
「お願いします」
ミリアが退室した。
レオンは、引き出しを開けた。これまでの紙はそのまま。今日加わるのは、ヘルダーから受領した執行命令の写しと、アレシアの停戦予備案の通達の写しだった。
レオンは、二通の写しを、これまでの紙の上に重ねた。
引き出しを閉めた。
窓外には、北方の星があった。シュテルン環礁の方向は、星図の上で、薄い赤の点が、ゆっくりと位置を変えていく宙域の、もう少し南だった。
命令は、重なっていた。同盟軍に降りた命令と、帝国に降りた命令と。二つの命令は、シュテルン環礁の一点で、交わる予定だった。
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