拾う船
メルケン補給拠点群からの帰投から、二日。
北方戦線後方司令部、レオンの執務室。
グライフ大佐が、追加報告を持って入室した。書類は、薄い一枚だった。
「同盟軍宙域に取り残された民間船、《セレナ》。乗員約三百名、うち民間人と少数の医療要員」
「攻めたのは」
「モイラン中佐の艦隊だ。機関停止、同盟軍は救援に行っていない」
「同盟軍の救援は、こない、ということですか」
「外務省側の観測では、同盟軍内で『見放された』状態だ。強硬派系列の艦隊は、戦果として記録した後、放置している」
「乗員の生存は」
「機関停止から四十時間。酸素は、あと三十時間。船体は無事だ」
短い間。
ミリアからの通信が、別の回線で入った。
「中立通信回線、向こう側から、短信。無署名です」
「読んでください」
「要旨『あの船は、私の指揮系統ではない』『私には、救う余裕がない』『以上』」
レオンは、応答を待ってから、確認した。
「ヴェガ提督ですね」
「ヴェガ提督と判断します」
「依頼ではないと」
「依頼の言葉は、ありません。事実の伝達です」
短い間。
「依頼ではない、ということは、依頼できない立場、ということですね」
「同感です」
グライフが、薄い書類を、机の中央に置き直した。
「外務省側で、人道救援の枠組みを通せるか」
「クラリッサに繋ぎます」
-
クラリッサ・フォン・ヴァイト参事官との通信は、すぐに開いた。
「枠組みは、整います。ただし、同盟軍側の正式な依頼が、ありません」
「依頼が、ない場合は」
「外務省戦時調停局の独自判断で、人道救援を申請できます。ただし、同盟軍側が拒否した場合、越境はできません」
「拒否の可能性は」
「強硬派は、拒否を要求するでしょう。だが、ヴェガ提督が、応じる側に回れば、形式上は通ります」
「ヴェガ提督の応答を、待つ形ですか」
「はい。提督が、形式上の応答をすれば、越境は可能です」
短い間。
「お願いします」
「進めます」
通信が切れる前に、グライフから補足が入った。
「軍務省側は、外務省主導の人道救援に、軍側補佐として同行する形なら、書類で通せる」
「文書で進めます」
「了解だ」
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越境前、ヴェガからの形式上の応答が、中立通信回線に届いた。
「中立通信回線で、人道救援の通過を確認した。同盟軍は、当該宙域の通過を妨害しない」
それだけだった。直接の「お願い」も、感謝の言葉もなかった。
第七支援隊コア五隻と、医療艦、民間船が、同盟軍宙域に越境した。エリナ・ファルク医師が、医療艦に乗艦していた。北方医療連合からの派遣だった。
越境後、ハルトマン《ヴァイス》前衛、ノア《リベルテ》後尾の編成で、《セレナ》の宙域に向かった。
「同盟軍前衛、距離維持。ヴェガ提督の指示通り、妨害なし」
ミリアの応答に、レオンは短く返した。
「了解」
《セレナ》に到着した時、船体は星図上で停止していた。機関は完全に止まっている。酸素は、あと二十時間。
ノアの《リベルテ》から、《セレナ》船長との通信が繋がった。
「クラウゼン少佐、ありがとうございます」
船長の声は、女性のものだった。四十代、痩せた声、だが整っていた。
「お時間です。乗員の救助を、お願いします」
「乗員は約三百名。うち、医療要員が七名、民間人の治療にあたっています」
「医療要員も、同じ扱いです。民間人として、保護します」
「ありがとうございます」
ノアの《リベルテ》、修理艦、医療艦が、《セレナ》の乗員収容を分担した。民間人約二百九十三名、医療要員七名、計三百名を全員収容。
《セレナ》の船体は、放棄された。機関修復は不可能、曳航も難しかった。
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医療艦の医療区画は、戦時の中継機能を持つ装備が整っていた。だが、寝台に並んでいたのは、戦闘の負傷者ではなく、機関停止の漂流から救助された人々だった。
エリナが、一人一人の容態を確認していく。重傷者は数名、ほとんどは軽傷または無事だった。
医療要員七名は、エリナと短く話した。代表は、若くはない男性だった。痩せていた。
「ありがとうございます。先生」
「治療を、続けてください。同じ仕事です」
「先生は、もう、現場には」
「現場に戻ります。あなた方も、戻る場所があります」
短い間。
「私たちは、ここで治療されるのですか」
「いいえ。即座に、解放されます。同盟軍側に、お返しします」
「私たちも、ですか」
「医療要員も、民間人として扱われます。捕虜にはしません」
「ありがとうございます」
エリナは、応答を一度受けてから、続けた。
「同盟側の受け取り体制が整い次第、お返しします。三日以内です」
「分かりました」
レオンは、医療区画の入口で、襟を一度、指で整えた。それ以上は、現場で言葉を発しなかった。
クラリッサとの中立通信回線で、解放の手続きが進んだ。同盟側の窓口は、ファビアン・コルニエ参事官だった。
「コルニエ参事官から、応答があります。受け取り体制を、整える、と」
「進めてください」
三日後、中立点で、同盟側に引き渡し。民間人三百名全員、即時解放、捕虜記録なし。医療要員も民間人扱いで記録された。
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同盟軍旗艦の艦内で、ヴェガが報告を受けた。
「民間船、乗員全員、即時解放。同盟側に引き渡し完了」
副官の声に、ヴェガは星図の前で短く頷いた。
「クラウゼン少佐に、感謝の言葉は」
「中立通信回線では、まだ何も。提督から、何か送りますか」
「送らない」
「分かりました」
短い間。
ヴェガは、指揮日誌を開いた。
短い一行を書き加えた。
借りができた。返す機会は、必ず来る。
もう一行、続けた。
依頼の言葉は、誰にも出していない。だが、借りは、借りだ。私の中で、返す。
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同盟軍艦内で、モイラン中佐が報告を受けた。
「クラウゼン少佐が、《セレナ》を越境救援しました」
「越権だ」
「形式上は、人道救援です。最高評議会の応答も、不問でした」
「ヴェガ提督が、応じたからだろう」
「はい」
モイランは、星図の前で、襟元の徽章を一度、指で整えた。
「彼は、敵に媚びている。報告書に、その旨を書く」
「最高評議会に、報告しますか」
「する。ヴェガ提督は、近いうちに、北方の指揮系統から外される」
「分かりました」
モイランは、報告書の末尾に、自分の手で書き加えた。
ヴェガ提督、敵への形式応答により、人道救援の越境を許容。北方戦線指揮系統の判断として、不適切。
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北方戦線後方司令部、レオンの執務室。
帰投の翌日、グライフが入室した。
「救援、完了したか」
「完了です」
「同盟軍側からの公式の応答は」
「ありません」
「ヴェガ提督からは」
「ありません」
短い間。
「それでいい。彼が応答すれば、彼の立場が危うくなる」
「分かっています」
グライフが、別の書類を出した。
「もう一つ、伝える。外務省側の観測で、同盟軍最高評議会が動いている」
「動いている」
「ヴァスケス上級提督の任命が、いよいよ確定する。北方戦線新司令官として」
「ヴァスケスが」
「ヴェガ提督は、別任地への異動が予定されている。罷免ではない。だが、北方の指揮系統からは、外される」
「いつ」
「最高評議会の決定が、来週。ほぼ確定だ」
短い間。
「もう一つ。帝都の方で、伯爵が動いている」
「伯爵」
「同盟軍が攻勢に転じる兆候を理由に、軍務委員会で『反転攻勢』の決議を起案している」
「反転攻勢」
「具体的な命令の中身は、まだ。だが、お前への命令になることは、間違いない」
「整えます」
「お前らしい」
グライフが退室した。
レオンは、引き出しを開けた。これまでの紙はそのまま。今日加わるのは、ヴェガからの短信の写しだった。ミリアが応答欄の写しを別に置いていた。
レオンは、ヴェガの短信の写しを、これまでの紙の上に置いた。
紙は、もう一枚、増えていた。
引き出しを閉めた。
窓外には、北方の星があった。
拾った船は、解放された。だが、拾われたのは、船だけではなかった。




