割れる前線
補給線調査の四日後、新しい撤退戦の通達が、ミリアからレオンの執務室に届いた。
北方戦線南西部、メルケン補給拠点群からの退避要請。軍人約三千、民間人約六千、合計約九千名。同盟軍前衛接触まで六十時間。
これまでの撤退戦の規模と変わらない。だが、グライフが追加情報を持って入室した時、いつもとは違う気配があった。
「敵前衛の指揮系統が、これまでと違う」
グライフはコーヒーを置いて言った。冷めていた。
「セヴリーノ大佐ではないと」
「外務省の観測では、別系統の指揮官だ。強硬派系列、と」
「分かりました」
レオンは、引き出しを開けて、これまでの紙が並んだままなのを確認した。新しい紙は、加わっていない。引き出しを閉めた。
出撃準備。編成は、これまでと同じだった。
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メルケン補給拠点群は、小惑星帯の中の二か所、距離が近い宙域に並んでいた。
第七支援隊が現地に到着すると、駐留兵指揮官との通信が、すぐに繋がった。指揮官は通信のみで、ベルクマン少佐のように自ら降りてくる人物ではない。事務的な対応だった。
「クラウゼン少佐、ご到着ありがとうございます。撤退準備、進行中です」
「順序は」
「民間人優先、その後に軍人。集約点は、拠点間の中継点でお願いします」
「了解。低温粒子の影を、使います」
ミリアが、観測卓の星図に薄い印を入れた。集約点、主航路、予備経路。三つが薄い線で繋がった。
「敵前衛、観測網に入りました」
「指揮艦は」
「《グラディウス》。指揮官名、エーリック・モイラン中佐」
「初見ですね」
「初見です。観測網に、これまでこの艦は捉えられていません」
レオンは、星図の薄い線を、もう一度なぞった。指揮官の名前と、その指揮スタイルの予測は、別の問題だった。観測情報が積み上がるまでは、これまでの撤退戦の型で備えるしかなかった。
ノア・カザン船長の《リベルテ》から、通信が入った。
「修理代の話は、また後でな」
「お聞きします」
「今回も、後尾だ。機関調整中の船が、三隻ある。曳航しながらだと、速度が落ちる」
「速度は」
「予定の七割」
「七割で、組みます」
「同意する」
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同盟軍の指揮所では、エーリック・モイラン中佐が、星図の前にいた。
モイランは、襟元に強硬派の徽章を着けていた。ヴェガ系統の指揮官は着けない、最高評議会の派閥を示す印だった。
「クラウゼン少佐の艦隊。話には聞いている」
モイランの声は、規律ある軍人のものだった。だが、その規律の下に、攻めの強い気配があった。
「彼は、民間船を撃たないと聞く。だが、戦時には、民間船も標的になる」
副官が、星図に作戦案を投影した。楔形ではなく、扇形の展開案だった。
「セヴリーノ大佐の指揮日誌では、距離維持が原則とされています」
モイランは、副官の言葉を、短く切り捨てた。
「私は、セヴリーノ大佐ではない」
副官は、応答を待った。
「楔形ではなく、扇形で展開。前衛十、巡洋艦三、後衛は集約点側に回り込む」
「民間船団も、攻撃対象に含めますか」
「機関停止を狙え。沈める必要はないが、停止させれば、クラウゼンは救援に走る」
副官は、命令を受け取った。
「了解」
モイランは、星図の上で、扇形の弧を、指先で軽くなぞった。
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「敵前衛、扇形で展開開始」
ミリアの声が、観測卓から流れた。
「楔形ではなく、ですか」
「扇形です。前衛十、巡洋艦三が確認できます。後衛は、まだ動いていません」
レオンは、星図を見た。扇形の弧が、徐々に広がっていく。集約点の後尾側に、巡洋艦三隻が回り込み始めていた。
「狙いは民間船ですか」
「機関停止を狙っています。撃沈の意思は、観測上、確認できません」
レオンは、しばらく星図を見続けた。
「民間船を停止させて、こちらの救援を誘う構造ですね」
「読みです」
レオンは、配置を組み直した。
「コア艦を、民間船団の後尾に厚く配置します。ハルトマン、駆逐艦《エルベン》を後尾防衛に」
「了解しました」
ハルトマンの応答に、迷いはなかった。
「駆逐艦《イーゼ》は、前衛で扇形の展開を遅延させてください。機関停止狙い、距離維持」
「了解」
「民間船団は、ノアが先導して、北方の旧航路へ。集約点を経由せず、直接、後方の中継基地に向かわせます」
「集約点を、捨てるのですか」
「集約点は、敵の弧の中央にあります。捨てます」
ミリアは、応答欄に短く記入した。
集約点放棄、北方旧航路を、民間船団直行ルートに使用。
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限定的な砲戦が始まった。
ハルトマン《ヴァイス》前衛、駆逐艦《イーゼ》と並んで応射。機関停止狙いで、楔形扇形の弧の中央を撃った。
同盟軍駆逐艦二隻、機関停止。
モイランは、応答を待たずに、次の指示を出した。
「巡洋艦三、後尾側の民間船団に、機関停止狙いで攻撃を集中」
巡洋艦三隻が、扇形の弧の後尾側から、民間船団に砲撃を加えた。
民間船一隻が、機関停止した。
「民間船一隻、機関停止。乗員、確認中」
ハルトマンの応答が、通信ログに走った。
「《リベルテ》、救援に」
レオンの指示は、即決だった。
「《リベルテ》、向かう」
ノアの応答も、即決だった。
ノアの《リベルテ》が、機関停止した民間船の乗員を収容した。全員、救助。船体は放棄。
モイランは、観測報告を聞いて、独白した。
「クラウゼンは、救援に走った」
副官が、応答を待った。
「前衛、攻撃継続」
だが、レオンの後尾防衛が厚かった。ハルトマン《ヴァイス》、駆逐艦《エルベン》の三隻が、扇形の弧の内側を、応射で押し返していた。
扇形の展開が、遅れた。
その間に、民間船団の本隊は、ノアの先導で、北方の旧航路を抜けていった。
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撤退の途中で、ミリアからの報告があった。
「中立通信回線、向こう側から、要求あり」
レオンは、星図から目を上げた。
「開けてください」
通信卓のスピーカーから、ヴェガ提督の声が流れた。短く、平坦な声だった。
「クラウゼン少佐」
「ヴェガ提督」
「短く伝える。あれは、私の指揮系統ではない」
「分かりました」
「こちらでも、変わりつつある。詳細は、また」
「了解しました」
「以上」
通信が切れた。
ミリアが応答欄に記入した。
中立通信、ヴェガ提督。要旨「あれは、私の指揮系統ではない」「こちらでも、変わりつつある」。
「書いてください」
レオンは、星図に視線を戻した。
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撤退完了は、予定通りだった。
軍人約三千、民間人約五千八百名が、北方の旧航路を経て、後方の中継基地に到着した。民間船一隻、機関停止のため放棄。乗員は《リベルテ》が救助、全員無事。
第七支援隊の損害は、軽傷数名のみ。撃沈なし。同盟軍は、駆逐艦二隻機関停止、撃沈なし。
報告書のタイトルは「メルケン補給拠点群、撤収完了」。末尾の一文は「敵主力前衛、扇形展開。集約点放棄、北方旧航路を民間船団直行ルートに使用。第七支援隊損害、軽傷のみ」。
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同盟軍の艦内では、モイランが報告書を整理していた。
「クラウゼンは、撤退を成立させました。民間船一隻、放棄」
副官の応答に、モイランは星図の前で頷いた。
「彼は、救援に走った。それは想定通りだ」
「ですが、後尾防衛が、想定より厚かった」
「想定より厚かった。扇形の展開が、遅れた」
モイランは、星図の弧を、指先で軽くなぞった。
「次は、もう少し早く、民間船を狙う」
短い間。
「ヴェガ提督から、命令はありますか」
副官が訊いた。
「ない。私は、最高評議会の指示で動いている」
「了解しました」
モイランは、報告書の末尾に、自分の手で書き加えた。
クラウゼン少佐、救援に走る性質を継続。次は、より早期に民間船を停止させる。
ヴェガ提督の指揮系統については、最高評議会への報告事項として、別書面に記す。
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北方戦線後方司令部、レオンの執務室。
レオンは、引き出しを開けた。これまでの紙はそのまま。新しい紙が一枚、加わるところだった。
ミリアが、応答欄の写しを持って入室した。
「ヴェガ提督からの短信の写しです」
「紙にしますか」
「公式記録ではなく、執務机の紙として」
「お願いします」
ミリアが、紙を引き出しに置いた。これまでの紙の上に、もう一枚。
レオンは、引き出しを閉めた。
扉が叩かれた。グライフが入室した。
「同盟軍内で、ヴァスケス上級提督の名前が、外務省側の観測に上がっている」
「ヴァスケス」
「強硬派の頭目だ。北方の指揮系統で、主導権を握りつつある」
「観測を、続けます」
「もう一つ、伝えておく。次の撤退戦の通達で、同盟軍宙域に取り残された民間船の情報が入っている」
「同盟軍宙域、ですか」
「彼らの宙域だ。だが、機関停止したまま、彼らの艦隊からも見放されている」
「見放されている」
「強硬派系列の艦隊が攻めて、そのまま放置された、というのが外務省側の観測だ。詳細は、また」
グライフは、扉を閉めた。
レオンは、机の上の通達書類を、もう一度確認した。
窓外には、北方の星があった。
敵の前線は、割れていた。割れた前線の片側に、置き去りにされた者がいた。




