動き出す旗艦
北方戦線後方司令部、レオンの執務室。
前の聴聞から、三日が経っていた。聴聞は保留のまま、伯爵の次の手は、まだ届いていなかった。
扉が、軽く叩かれた。
「入ってください」
ミリアが、観測卓の最新を持って入室した。軍服の襟元は、いつも通り規律通りに整っていた。
「《オルトリーヴ》、前線寄りで、動きを続けています。観測のみ、撃たず」
レオンは、書類から目を上げた。
「あの中継護衛の後も、ですか」
「続いています。前線寄りの位置を、わずかずつ調整しています」
「今度は、こちらに来る可能性は」
「可能性は、あります。撤退対象の宙域が、《オルトリーヴ》の動きの予測線上にあります」
レオンは、机の上の通達書類を引き寄せた。雪線群以北の境界宙域、エンスデール後方倉庫およびノルト第三通信中継所からの退避要請。軍人約二千五百、民間人約五千五百、合計約八千名。同盟軍前衛接触まで、六十時間。
「観測継続を。経路の予備案も、用意してください」
「複数経路の予備案、整えます」
「お願いします」
ミリアが退室した。
レオンは、引き出しを開けた。アレシアの一行、ヴェガの短信、皇女覚書の写し。三枚に、これまでの五枚を加えて、八枚になっていた。増えていない。
引き出しを閉めた。
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第七支援隊は、編成上の十一隻が、ほぼそのまま出撃した。
コア五隻、補助五隻、民間船一隻。《シュテル》は、軽傷から復帰している。前回の中継護衛で軽い被弾を受けたが、機関は維持されていた。
ハルトマン大尉から、《ヴァイス》艦長として、出撃の応答が入った。
「《ヴァイス》、配置につきます。左腕は、変わりません」
「了解しました」
ノア・カザン船長は、《リベルテ》の指揮所から、いつも通り言った。
「修理代の話は、また後でな」
「お聞きします」
「今回は、後尾ですね」
「後尾です。機関調整中の船が、何隻かあります」
「先導しなくていい、ということだ」
「お願いします」
出撃。
中継宙域到達まで、八時間。
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雪線群以北の境界宙域は、低温粒子の薄い霧と、削れた小惑星の残骸が混ざる、見通しの悪い宙域だった。
第七支援隊は、予定の時刻通りに、エンスデール後方倉庫の宙域に到着した。
二か所の拠点、エンスデール後方倉庫とノルト第三通信中継所は、宙域の中央付近に並んでいる。間に、低温粒子の濃密帯。船団の集約点には、その濃密帯の影が使える。
「集約点は、濃密帯の影です」
レオンが指示した。
「ノアの旧航路は、使えますか」
「使えます」
ノアの応答は、即決だった。
「南西方向に、旧鉱山航路の続きがあります。前回、中継護衛で通った航路の延長線上です」
「予備経路として、使います」
「了解」
ミリアが、観測卓の星図に薄い印を入れた。集約点、主航路、予備経路。三つが、薄い線で繋がった。
「《オルトリーヴ》の位置は」
「集約点の北東、距離は遠い。射程外。だが、観測網には、はっきり捉えられています」
「動いていますか」
「動いています。前線寄りの位置を、わずかずつ南へ。撤退対象の宙域に、寄ってきています」
レオンは、星図を見た。北東に、薄い赤の点。その点が、ゆっくりと位置を変えていく。
「読まれていますね」
「読まれている、と判断します」
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同盟軍前衛が、予定より一時間早く、接近を開始した。
マルコ・セヴリーノ大佐、前衛六隻、本隊十隻、計十六隻。
《マリスタ》の指揮所では、セヴリーノが、観測報告を聞いていた。
「クラウゼンは、また、配置を読み直す」
副官が、応答を待った。
「楔形は、今度は中央突破にする。連絡切りは、前回、読まれた」
「了解」
同時に、別の通信が、《マリスタ》に届いていた。《オルトリーヴ》から。
ヴェガからの命令は、短かった。
「セヴリーノ、深追いはしないでいい。距離を取れ」
「了解。なぜですか」
「私が、撤退路の予測位置にいる。深追いをすれば、こちらの動きが、教科書通りに見える」
「教科書通り、ですか」
「クラウゼンに、教科書通りに見えれば、彼は別の手を組む。私の動きを、隠す必要がある」
セヴリーノは、それ以上は問わなかった。命令通り、楔形の中央突破は実行する。だが、深追いはしない。
《マリスタ》前衛は、楔形を組み、集約点に向かって突進した。
帝国側の前衛、駆逐艦(ハルトマン)は、応射のみで距離維持を選んだ。
「沈めません。距離維持です」
「了解」
ハルトマンの応答に、迷いはなかった。
《ヴァイス》の左舷を、楔形先端の砲撃がかすめた。被弾なし。応射が、楔形の二番目の艦の機関部に当たった。同盟軍駆逐艦一隻、機関停止。
《マリスタ》から、撤退命令が出された。楔形は、深追いせず、距離を取った。
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ミリアの観測網に、変化が走った。
「《オルトリーヴ》、移動。北東から、東方向へ」
「位置は」
「集約点の東、距離は変わらず。射程外」
レオンは、星図を見た。
集約点の主航路は、南東方向。予備経路は、南西方向。
「《オルトリーヴ》が、東に来ました。南東の主航路に、先回りされる可能性があります」
「南西の予備経路、ですね」
「予備経路を、使います」
撤退路の変更。第七支援隊と民間船団は、南西の予備経路に進路を変えた。ノアの旧航路の続き、低温粒子の影を伝う細い経路。
ところが、その予備経路の出口側に、別の艦影が観測された。
「《オルトリーヴ》、再移動。東から、南東へ」
「先回りを変えてきましたか」
「変えています。南西の予備経路の出口側に、回り込もうとしています」
レオンは、星図を見た。《オルトリーヴ》の動きは、撤退方向を予測して先回りする位置取りだった。射程外を維持している。撃たない。だが、動き続けている。
「もう一度、変えます」
「経路を、ですか」
「予備経路の途中で、北西に折れます。旧鉱山航路の、さらに古い枝航路です。ノアが知っているはずです」
ミリアが、ノアに通信を繋いだ。
ノア「枝航路、知っている。だが、機関調整中の船が二隻ある。曳航しながらだと、速度が落ちる」
レオン「速度は」
ノア「予定の七割」
レオン「七割で、整います」
ノア「同意する」
第七支援隊と民間船団は、予備経路の途中で、北西に折れた。
ミリアの観測網が、《オルトリーヴ》の次の動きを待った。
《オルトリーヴ》は、南東で停止した。
「《オルトリーヴ》、停止。北西の枝航路には、進まず」
「読みを、外せましたか」
「外せた、と判断します」
レオンは、星図の前で、襟を一度、指で整えた。
「撃たない、と決めているようですね」
「決めている、と読みます」
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撤退完了は、予定より四時間遅れた。だが、軍人約二千四百、民間人約五千四百、計七千八百名が、南西の枝航路を経て、後方の中継基地に到着した。
損害は、駆逐艦軽傷、戦死一、軽傷五。敵艦撃沈なし。民間船被害なし。
報告書のタイトルは「雪線群以北、境界宙域撤収完了」。末尾の一文は「敵主力艦の前線進出を観測。直接対峙なし、射程外維持。撤退路を、計二度、変更」。
ミリアが、応答欄に記入した。
「《オルトリーヴ》の動きは、撤退方向の予測。撃たず、観測のみ。意図、不明」
短い間。
「不明、と書きます」
「書いてください」
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同盟軍旗艦の艦内。
ヴェガが、報告を整理していた。セヴリーノからの戦闘報告、観測網の更新、《マリスタ》前衛の損害。
「セヴリーノ。楔は、また、外された」
セヴリーノからの応答が、通信ログに走った。
「了解。なぜ深追いしないのか、ご教示願えますか」
「深追いの理由がない。我々は、追うべき相手を、まだ決めていない」
「決めていない」
「決まれば、追う。決まる前に追えば、追う相手を間違える」
セヴリーノは、それ以上は問わなかった。
ヴェガは、指揮日誌に、短い一行を書き加えた。
「クラウゼン少佐は、経路を二度、変えた。私の動きを、二度、読んだ。読みは、まだ衰えていない」
もう一行、続けた。
「だが、こちらの読みも、まだ衰えていない。次は、決まる」
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帰投後、北方戦線後方司令部のレオンの執務室。
レオンは、引き出しを開けた。八枚の紙は、そのままだった。新しい紙は、加わらなかった。引き出しを閉めた。
扉が、軽く叩かれた。
「入る」
グライフ大佐が入ってきた。書類の束は、これまでより薄かった。
「補給線の調査要請が、軍務省から来ている」
「内容は」
「今回の撤退戦で、補給物資の一部が、予定通り届かなかった。それも、二か所の拠点だけでなく、北方戦線全体の補給線で、似たような小さな不達が、増えている」
「規模は」
「個別には小さい。だが、合算すると、無視できない」
「調査します」
「ローエン商会の系譜から、調べる」
「ローエン商会」
「あの理事は、生死不明のまま、戻ってこない。だが、商会自体は、後継者が継いだ。北方戦線の補給に、まだ深く関わっている」
短い間。
「お前が、出てきた方がいい。書類だけでは、足りない」
「文書だけでは足りない、ですか」
「同じ言葉が、別の場所で使える」
「分かりました」
通信が切れる頃合いだった。レオンは、机の上に補給線の調査資料を広げた。
窓外には、北方の星があった。
動き出した旗艦は、また停止した。動かない旗艦の代わりに、別の線が、動き始めていた。




