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動かない議場

 聴聞の前夜。

 帝都、軍務省監察局の一室で、レオンとマティアス・グライフ大佐は、書類の最終確認を続けていた。

 文書回答は、十五枚。添付資料は、三十枚。

 最初の部分は、権限拡大の根拠。皇女殿下の辞令の写しが、その軸だった。

 次の部分は、権限の運用実績。これまでの作戦記録を、淡々と並べていた。

 最後の部分は、捕虜交換の越権性への反論。外務省主導であり、軍側は補佐であった、という形式論。

「これで足りるか」

 グライフが、コーヒーを置いて言った。冷めていた。

「足りないかもしれません」

「だが、これ以上は、書く意味がない」

「同感です」

 ミリア・エーレンベルク中尉が、別の書類を差し出した。

「明日の現場任務の通達です」

 レオンは、書類を受け取った。

 北方戦線南東部の民間船団中継護衛。民間船七隻、避難民約六百名。同盟軍前衛との接触の可能性あり、ただし主力ではない。

「私は、議場です」

 レオンが言った。

「現場は」

「ハルトマン大尉と、ノアです」

 通信回線が開いた。《ヴァイス》のハルトマン大尉。

「ご指示を、お伺いします」

「議場の時間が、見えない。現場判断は、お任せします」

「了解」

「《シュテル》艦長、ご同行いただきます。ノアからは、《リベルテ》が随伴」

「ご無理のないように」

 短い間。

「沈めないことが、優先ですね」

「沈めないことが、優先です」

 通信が切れた。

 グライフが、コーヒーをもう一口飲んだ。

「ハルトマンは、お前を真似ている」

「真似ではありません。学習です」

「お前らしい」

 ミリアが、机の隅の通信端末を確認した。

「クラリッサ参事官から、短信です」

 外務省は、捕虜交換の主導権を、書類で明示します。

 ご無事で。

     -

 貴族院軍務委員会の議場は、これまでと変わらなかった。

 大理石の床、半円形に並ぶ議席、中央の卓、星図の投影。

 査問の時には、証言者がそこに並んだ。今日は、証言者の席は、空いていた。代わりに、書類の束が、卓の上に積まれていた。

 ヘルダー大佐が、議長席の隣に座った。書類の束は、レオンより薄かった。

 エーベルハルト伯爵は、議席の中央付近にいた。表情には、いつも通りの薄い微笑があった。

 ミリアは、傍聴席の端に座った。観測卓の小型端末を、膝の上に置いた。議場のすぐ外で、観測網の更新を受信できるようにしてあった。

「ご準備、結構です。それでは、聴聞を始めます」

 ヘルダーの声は、若くも老いてもいなかった。語尾に、丁寧さが残っていた。

 同時刻、北方戦線後方の発進ドックでは、駆逐艦ヴァイス駆逐艦シュテル民間船リベルテが出撃していた。

「出撃。中継宙域到達まで、四時間」

 ハルトマンの声が、通信ログに記録された。

「《リベルテ》、随伴」

 ノア・カザンの声も、続いた。

 ミリアの小型端末に、出撃ログが届いた。応答欄に、短く記入した。

 現場、出撃。

     -

 ヘルダーの質問は、件名「広くなった権限の、運用の妥当性」に沿って進んだ。穏やかで丁寧、だが、内容は執拗だった。

「皇女殿下の辞令で拡大された権限は、貴族院軍務委員会の同意を経たものですか」

「文書一の三項目、ご覧ください」

 ヘルダーが、文書を確認した。確認に時間がかかった。意図的に、と分かる速度だった。

「権限の運用実績は、軍事的合理性に基づきますか」

「文書四の七項目、ご覧ください」

 ヘルダーが、もう一度、文書を確認した。

「民間船団への要請権限は、実質的な命令になっていませんか」

「文書七の二項目、ご覧ください」

 議場の空気が、徐々に重くなった。

 同じ頃、中継宙域では、ハルトマンの艦隊が民間船七隻と合流していた。ノアが民間船を整理し、撤退順序を組んだ。

「敵前衛、接近。三隻」

 ハルトマンの応答が、通信ログに走った。

「規模は小さい。常駐前衛か」

 ノアの声が続いた。

「同感。だが、撃ってくる」

 限定的な砲戦が始まった。応射のみ、距離維持。同盟軍前衛のうち、二隻が機関停止した。一隻は後退した。

「機関停止艦への攻撃は、停止」

 ハルトマンの指示は、レオンの方針通りだった。

 ミリアが応答欄に記入した。

 敵前衛、機関停止二隻、後退一隻。民間船、無事。

 レオンは、議場の卓の隅で、応答欄を一瞥した。表情は、変えなかった。

     -

 伯爵が、ヘルダーの質問が終わる頃に、追加質問を入れた。

「クラウゼン少佐」

「はい」

「先月のヘリオス七での捕虜交換について、お聞きしたい」

 伯爵の声は、いつも通り、柔らかかった。

「あなたは、軍籍にありながら、外務省主導の交渉団に同行した。これは、軍人としての本務を逸脱した、越権ではないか」

「越権ではありません」

「根拠を」

「捕虜交換の主導権は、外務省戦時調停局です。私は、軍側補佐として、同行しました。文書四、別添資料の七番」

 ヘルダーが、資料を確認した。

「補佐、というのは便利な言葉ですな」

「規則上の正確な役職名です」

「規則は、便利な言葉です」

「同感です」

 クラリッサ・フォン・ヴァイト参事官が、傍聴席から立ち上がった。

「議長、外務省戦時調停局の参事官として、補足してよろしいでしょうか」

 議長が許可した。

「捕虜交換は、外務省の主導案件です。軍側補佐の同行は、規定通りの手続きです。クラウゼン少佐の同行は、外務省からの正式要請に基づきます。文書は、お手元の別添資料の七番に」

「ヴァイト参事官。あなたが要請を出したのですか」

「私の上司がです。私は、要請の事務手続きを担当しました」

「上司の名は」

「外務省戦時調停局長官、ご公開されている人事録の通りです」

 伯爵は、それ以上は問わなかった。

 同時刻、中継宙域では、同盟軍前衛が機関停止艦の回収に動いていた。その間、別の艦影が観測網に上がった。

 ミリアが、観測網経由で、観測情報を受信した。

 《オルトリーヴ》、観測。中継宙域の北方、距離は遠い。射程外。

 ハルトマンとノアにも、観測情報が伝わった。

「《オルトリーヴ》、ですか」

 ハルトマンの応答は、短かった。

「これまでに、こういう場所で観測されたことは」

 ノアが訊いた。

「初めてだ」

 短い間。

「撤退路を変える」

 ハルトマンの判断は、速かった。

「南方主航路ではなく、南西の旧鉱山航路を通る」

「旧鉱山航路は、《リベルテ》の慣れた航路だ。先導する」

 ノアの応答も、即決だった。

「お願いします」

 撤退路が、変更された。

 ミリアが応答欄に記入した。

 《オルトリーヴ》観測。撤退路変更、南西旧鉱山航路。

 レオンは、議場の卓の隅で、応答欄を一瞥した。視線の動きは、目立たないほど短かった。だが、応答欄の文字を、確かに読んでいた。

 《オルトリーヴ》が、動いた。

 その事実は、レオンの内側で、声にならずに認められた。

 視線を上げると、伯爵の質問は終わっていた。レオンは、応答を一つ、撃ち返したところだった。

     -

 ヘルダーが、質問を継続した。質問は、権限の運用実績の細部に入った。議場の時計が、午後三時を回った。

 議長が、休憩を提案した。委員会の決定の前に、文書の精査時間が必要、と。

 委員の一人が、書類の束を確認している間に、議長席に一通の覚書が届いた。短い書面だった。議長が、それを読んだ。

「皇女殿下からの覚書を、読み上げます」

 議場が、静まり返った。

 権限拡大の運用は、皇女殿下の辞令に基づきます。

 運用実績の妥当性については、現在進行中の北方戦線撤収作戦の完了後に、改めて検討することとします。

 聴聞は、本日をもって一時保留とし、次回期日は、撤収作戦の節目に応じて、皇女殿下が指定します。

「以上、皇女殿下の覚書です。本日の聴聞は、一時保留とします」

 伯爵が、わずかに眉を寄せた。声は、荒げなかった。

「皇女殿下のご意向、承知しました」

「次回期日は、追って通達されます」

 聴聞は、結論を出さずに閉じられた。

 同時刻、南西旧鉱山航路では、民間船団七隻と帝国艦三隻が撤退を続けていた。《オルトリーヴ》は、中継宙域の北方の位置から、動かなかった。観測のみ、撃たず。

「撤退、完了」

 ハルトマンの応答が、通信ログに走った。

「《リベルテ》、無事」

 ノアの声も、続いた。

 避難民約六百名が、後方の中継基地に到着した。

 《シュテル》の損害は、軽傷だった。戦死なし、軽傷三。敵艦機関停止二隻、沈没なし。

 ミリアが応答欄に記入した。

 現場、撤退完了。《オルトリーヴ》、観測のみ、撃たず。

 レオンが、応答欄の余白に、自分の手で書き加えた。

 観測のみ、撃たず。

     -

 議場退出後、帝都の街路を、レオンとグライフは並んで歩いた。

「保留だ」

 グライフが言った。

「保留です」

「皇女殿下が、書類で押してくださった」

「直接、おいでにはなりませんでした」

「査問の時とは、違うな」

「違います」

 短い沈黙。

「伯爵は、次の手を準備するだろう」

「準備します」

「何の準備だ」

「次の撤退戦の」

「お前らしい」

     -

 北方戦線後方司令部、レオンの執務室。

 ハルトマン大尉とノア・カザン船長が、現場から戻ってきていた。ハルトマンが、現場の報告を直接行った。

「《オルトリーヴ》、動きました。観測のみ、撃たず」

「初めて、ですか」

「初めてです。これまで前線寄りで停止していた位置から、わずかに動きました」

「撤退路を、変えていただいたとのこと」

「ノアの航路を借りました」

「《リベルテ》の修理代の話は、また後でな」

 ノアが、いつも通り言った。

「お聞きします」

 短い間。

「《オルトリーヴ》は、撤退路の予測位置に動きました。私たちが南方主航路を通る前提で」

 ハルトマンの応答は、即物的だった。

「読んだ、ということですね」

「読んだ、と思います」

 レオンは、引き出しを開けた。アレシアの一行、ヴェガの短信、そして今日の聴聞の文書回答のうちの一枚、皇女覚書の写し。

 覚書の写しを、引き出しに加えた。

 紙は、もう一枚、増えた。

 通信が入った。ミリアからだった。

「少佐。次の撤退戦の通達が、入っています。北方戦線、青の縁の少し北側、雪線群以北の境界宙域から、退避要請」

「規模は」

「軍人と民間人、合わせて約八千名。同盟軍前衛接触まで、六十時間」

「整えます」

 通信が切れた。

 レオンは、机の上に新しい通達書類を広げた。窓外には、北方の星があった。

 議場は、動かなかった。現場は、動いた。だが、現場の動きの先で、別の艦影が、もう一つ、動いていた。


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